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2006年6月21日 (水)

国性爺合戦見ましたけど~。

国立劇場では6月、7月に毎年恒例の歌舞伎鑑賞教室というのがあります。これは私が学生のころからあったので、すごく歴史が長いものなんでしょう。特に7月後半は「夏休み親子鑑賞教室」ということで、とても安く見られるので結構利用していました。今年は、何だか今ひとつぱっとしない演目で、6月の方が面白いかなと思っていたら、「中学生のための」何たらかんたらでご案内が来たので行くことにしました。

国性爺合戦って、聞いたことがあるけど見たことはありませんでした。異国を舞台にスケールの大きい、血わき肉踊る感じを想像していたら、???もともと浄瑠璃なので、義太夫さんの語りにあわせて進行するものでした。一部が義太夫になるのならいいけれど、こう最初から最後まで純粋な義太夫狂言だとね~。おまけにご丁寧に舞台両脇に字幕が付くんですよ。(ちょっと慣れればわかるんだけど)後ろの席の高校生?大学生?の女の子たちが「字幕読むのに手一杯で舞台あまり見れなかった」などと言っているのが聞こえました。正直言って眠くなりました。楼門の場面も場内の場面も動きがあまりなく、細かい所作事も同じように見え、義太夫さんだけが熱演しているような。

それでボーっとしているうちに終わってしまい、うちの子が「えーっもう終わりなの」と言ったくらい、あまり迫るものがないままでした。歌舞伎をよく知る人ならともかく、多くの人がこういう状態だったのでは‥‥‥。大体「鑑賞教室」というのだから、しろうとの人に歌舞伎の楽しさを知ってもらおうというものでしょう。「初めて見た歌舞伎がこれなら、きっと退屈なものだって思っちゃうよね」というのが娘の言。もっとも兄の方は最初から寝ていましたが。

そのあと、場所を変えて例の「中学生のための‥‥」に参加しました。主演の松緑さんと、芝雀さんを迎えてのトークショーというか、こちらは結構面白かったです。素顔の歌舞伎役者を見るのは初めてでしたが、芝雀さんはいかにも歌舞伎役者という感じのソフトな物腰。一方の松緑さんは、そのまま秋葉原あたりを歩いている現代の若者という感じ(キャップを後ろ向きにかぶり、アロハシャツ姿)で、今さっき勇壮な飛び六法を演じた役者さんには見えず、驚きました。それに、本当によくしゃべる。歌舞伎は本来「傾く(かぶく)」という言葉からきたもので、奇抜な格好をする、とんでもなく目立つという意味だったとか、「今の暴走族とかギャルサーなんかの方が僕らよりよっぽど傾(かぶ)いてるよね~」とか。中学生向けにくだけて話してくれているのですが、その場にいた中学生はみんなまじめな雰囲気の“お子ちゃま”ばかりで(親にむりやり連れられて来たような)この傾いた「お兄さん」の話をぽか~ンと聞いている感じでした。

奇しくもここで聞いたのは、もともとの脚本の話。近松の原作では、当時の大陸に対する知識の乏しさからか、中国に対して差別的な表現があちこちに入っていて、(テレビのトーク番組だったら「ピーッ」っと鳴って発言が消されるような状態?)現代の日中関係を配慮して、そういうところを大幅にカットしてあるということでした。へー、それで何か平板なものになっちゃったんだ。現代的にするのはいいことだけど、原作の持つパワーというものがあるわけだし。

現代的というなら、何かよくわからないことがいっぱいあるのはどうするのでしょう。最初の楼門にしても、生き別れになった実のお父さんが現れたとき、階下の父の姿を手鏡に映し、絵図と見比べるシーンなんか、現代の感覚ではいらいらしちゃうよね。どうして「お父さ~ん!」といって身をのり出さないのでしょう。義太夫の言葉は尽くしても、身もだえするぐらいの所作では今の中高生には伝わりません。

それと、館の場面で錦祥女が自害するのはわかるけど、何でお母さんまで死ななきゃいけないかがわからない。(この会ったばかりの義理の娘を必死でかばう母が一番よかったんだけど)わかったとしても、自分の母が死にそうなのに平然と明朝再興を誓い合う主人公の気が知れない。その前に、死にそうな妹を放っておいてお着替えをするのも変だし、何よりお着替えの時間稼ぎの“チャリ場”は面白かったけど、よく考えると、この館の奥様が倒れているのには目もくれず、ひたすらユーモラスに演じるのは絶対おかしい!歌舞伎は写実じゃなくて様式だというのはわかるけど、理解に苦しみます。

長年やっている「歌舞伎鑑賞教室」で、どれだけの人が歌舞伎に親しんだか、それは数知れないと思います。でも、その中でどれだけの人が歌舞伎ファンになったかというと、現状は私が学生で見ていた頃とあまり変わっていないのではないでしょうか。「こんなものか」というのがわかっただけで、相変わらず「通の人の見る世界」という意識なのではと思ってしまいます。

実は3月に国立劇場でやった「小栗判官」、市川笑也さんの照手姫が見たくて、昼夜通しで行ったのです。でも、何だか期待はずれで‥‥‥。昼夜通しでと言いながら、昼の部と夜の部の間が2時間以上もあくのは許せない!歌舞伎座と違って国立劇場は回りに何もないじゃないですか。さんざん時間をつぶして見たのにいまひとつ。笑也さんは相変わらずきれいで、ちょっと冷たい感じがするものの、いかにもお姫様の気品を感じさせ、ファンとしてはよかったのですが。

やっぱりこれも現代の感覚とかけ離れているのです。もう大方忘れましたが、照手姫と小栗判官の絆が薄い気がする。そんなことはもうご存知、ということでしょうか。そういう表現なしでは、この二人が流浪しながらも添い遂げようとする必然性がわからない。それといいなずけを探しているのに何で居候になった家の娘と結婚するのよ!それで姫が見つかり破談になった娘がいやだと駄々をこねると、お母さんがその娘を殺してしまう。(いくら照手姫の家に恩があるとはいえ、ねぇ。)その娘はお化けになってやたら観客を怖がらせる、ってまるで変。最後の馬に乗っての宙乗りも精神の高揚がなく、別に宙乗りしなくても、という感じでした。

12月の歌舞伎座はすごく面白かったのに、国立劇場、しっかりしろよ、という感じ。3月のはともかく、もっとしろうとの感覚で見て演目を選ばないと「鑑賞教室」と銘打ってチケットを安くしたって逆効果じゃないでしょうか。何でも最初に見たイメージで決まるのだから。初めての人や中高生が見てもよくわかって、もっともっと面白い演目はたくさんあるはずです。伝統芸能とはいえ歌舞伎自身も多少は現代の感覚やテンポに変わっていってもいいと思います。歌舞伎座でも時々すごい斬新なのをやるようなので、歌舞伎座が「鑑賞教室」をやってくれればいいのに~。チケットを思いっきり安くして、ね。

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コメント

久しぶりに拝見いたしました。
この歌舞伎鑑賞教室に娘の学校も行っていたんです。
あら?同じ日かしら?
何見に行くの?って聞いたら「こく・・せい・・じい・・合戦?」ですと!!をいをい!でしょ?
そりゃ、こくせんやかっせんって読むんだよ。と教えたらふ~む・・とわかったような判らんようなコメントで出かけました。
トークショーは面白いようでしたね。特に「テレビではピー音が掛かってしまう表現が沢山ある」という件は興味を持っていました。
で、肝心の歌舞伎は「やっぱ、ジジイは出なかった」
ですと^^;
何を聞いていたんだか・・?
失礼致しました

投稿: ちぐ母 | 2006年6月27日 (火) 09時42分

ちぐ母さん、こんにちは。
同じ舞台を見るなんて、縁がありますね。
私たちが行ったのは6月18日でした。
制服姿の中高生もたくさん来ていましたが、
歌舞伎、楽しめたでしょうかね~。

悪口ばかり書いてしまいましたが
少なくとも松緑さんの和藤内は
若々しくてかっこよかったです。

例のトークショーのとき、松緑さんが
「どうしてもわからないところが一つある」
というのです。
最初、一緒に大陸へ渡ったはずのお父さん。
これが楼門の場面以降、
原作でももうそれきり出てこないそうです。
そもそもお父さんの縁で意気込んで乗り込んだのに、
一体どこへ行ったんだろう??
確かにその後「爺(ジジイ)」は出なかった。
役者さんにもよくわからないところはあるんですね。

投稿: 友香梨 | 2006年6月27日 (火) 14時10分

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