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2008年6月17日 (火)

バレエ・フォー・ライフ

Bara_008 渋谷で「薔薇空間」を見たあと、ベジャールの「バレエ・フォー・ライフ」を見に行きました。ベジャールといえば、昨年11月に80歳で世を去った巨匠?的な振付家です。昔見た映画「愛と哀しみのボレロ」の中で踊られる「ボレロ」を振付けた人、と聞くと「ああ、そう」と思う程度の知識しか、ちょっと前まではありませんでしたけどね。作品も、バレエを見るようになってから東京バレエ団の公演で、「ボレロ」や「バクチ」のほか、いくつか見ていると思いますが、何となく苦手系  だったのです。だから「バレエ・フォー・ライフ」を見るのは初めてだし、ベジャール作品を本家本元のカンパニーで見るのももちろん初めてでした。001

今回、ラッキーにもチケットを直前に譲っていただけることになって見ることができたのですが、なぜ苦手系なのにこれを見たいと思ったかというと、単純にジョルジュ・ドンフレディー・マーキュリーへのオマージュというところに興味を持ったからでした。ダンサーとロックシンガーでは一見関わりがないように思いますが、この二人には、70年代後半~80年代の青春?を生きてきた者にとって、多分特別な思い入れがあるのです。

昔、私がとても影響を受けた友人の一人も、この二人の熱烈なファンでした。特にジョルジュ・ドンは「愛と哀しみのボレロ」を見て感銘を受け、その後来日するたびに見に行っていたようです。私も何度か誘われたのですが、その頃はバレエなどというものにほとんど興味がなかったのでお断りしていました。今考えるとすごいチャンスだったのに、超もったいなかった!

そんなちょっとした興味で見に行ったのですが、実は正直、どこが見どころなのかわからなくて、ボケッとしている間に終わってしまったのです。え~?そんな~  というくらい唐突に。そして休憩なしのぶっ通しの110分。どこで拍手していいかわからない。すみません、途中でふ~っと3回ぐらい眠気で目がくっついてしまいました。音楽はライブ演奏のものが多く使われ、ライティングもロックコンサートのようなノリなのですが、観客はみんなじっと座ったまま静まり返っているので、シラケているのかな?と思ったくらいです。

ところが終わってみたら、カーテンコールはすごい拍手で、総立ちのスタンディング・オベーション!全くびっくりです  ひえ~!これって何で?一体どこがよかったんだろう?申しわけないけど、私には皆さんの感動がよくわかりませんでした。ダンス的には、鍛え上げられたダンサーたちの動きはシャープで美しく、それはそれなりに楽しめたのですが、表現の中の感情とか、意思というのがよく理解できないまま、ただただ流れていってしまったようで、スタオベするほどのものだったかしら?と、正直取り残されたみたいで焦ってしまいました(やっぱり苦手だった!ということにしておこうかな‥)

最初、白いシーツを被って横たわっているたくさんの人々。それが「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」で一人一人起き上がっていきます。でも、朝日に目覚めるというよりは、何だか墓の中の亡霊がよみがえってきたみたいな‥‥‥。ゴメン、最近頭が「ジゼル」モードなので、こういう白一色の舞台装置で、白いシーツ、白を基調とした衣装などを見ると、もう亡霊のような気がしてきちゃう

白の軽快な衣装の若者たちが、はじけんばかりのエネルギーで踊り始める。まるで「生きる」ということを謳歌するように。でも待って。ストレッチャーに乗せられた半裸の男女とか、巨大なレントゲン写真とか?何か変。そうだ、これはAIDSに関するメッセージだったんだ。あふれる生のエネルギーを持ちながら、生ききれなかった若者たち?ジョルジュ・ドンもフレディ・マーキュリーも、45歳で相次いでAIDSで亡くなっているのですよね。

クライマックスで、天井から降りてきた大スクリーンに在りし日のジョルジュ・ドンが映し出されます。その中の彼はピエロのようなメイクで、踊るというよりは苦しげに転げまわるような映像で、時々白塗りの顔の額から血が流れるシーンが入っていたりして、何だかドキッとしてしまいました。これは一体どういう意味なんでしょうね?とても痛々しい感じがしますが、それとは逆に、踊るジョルジュ・ドンの肉体は力がみなぎり、ものすごいエネルギーを放っているのです。

ジョルジュ・ドンという人は、バレエダンサーとしてはスタイルがよいとは決していえません。顔が大きいし、体もいかついし、スリムで美しいラインというものからはかけ離れています。踊りも、流れるように正確な動きをするこのカンパニーのダンサーたちからすれば、ダイナミックというよりはかなり荒っぽい踊りではなかっただろうかと想像します。誰だかが言っていましたが、舞台ではなく、レッスン場で間近に見たときは、まるでけだものみたい!と思ったそうです。その迫力ある、生のエネルギーあふれる身体と、それに似つかわしくないピエロのメイク。額の血。

この場面で、かつてのドンのファンは感極まって泣くのでしょうか?私には何だかひどい悪趣味のように思えてなりませんが。これって一体どういう意味?

それで、2,000円という値段を多少苦々しく思いながら、帰りにプログラムを買って帰ったのですが、解説どころかジョルジュ・ドンについても何の記載もありませんでした。この映像の由来(いつ、どういう意図で撮影されたのかとか)や、ここで使われる意味が知りたかったのに。勝手に想像してくださいということなのか、あるいはベジャールファンの方々は既に知っている、当然のことだったのか?プログラムに白黒でひとつだけ、「ニジンスキー、神の道化」という演目の写真があって、その写真のドンはちょうどこのフィルムと同じメイクをしていますね。その演目のリハーサル風景か何か?でしょうか?

だけどまあ、映像のジョルジュ・ドンのすごいこと。現に目の前で踊っているダンサーより、プロジェクターに映し出されたドンは強烈なオーラを放っていて、圧倒されました。(本当に生前、見なかったことに後悔しきり!)それはとてもよかったけれど、こんな見方でいいの?と思ってしまいますよね。

あと、フレディー・マーキュリーに関しては、私は特にファンというわけではなかったけれど、あのパワフルな歌声、独特の曲想など、あの時代を生きた者にとって忘れられない印象を残していると思います。でも、この「バレエ・フォー・ライフ」に使われている曲は半分以上が最後のアルバムからのものということで、私の知っている曲は少なくて。だからいまいち、のれなかったのかなあ。

一昨年見たミュージカル「We will rock you」では、本当に共感し、同じころに青春時代を過ごしたであろう周りにいた人みんな、誰彼なく手を取り合わんばかりに「We are the champions」や「ボヘミアン・ラプソディ」を泣きながら大合唱したりしました。ところがこれはそんなノリでは全くなく、私はただ淡々と見ていたのに、最後にスタオベなんて、何でよ~?本当に私にとっては不意打ち。ショックでしたよ。「え~っ?アンタ、わかんないの?これ。」「ごめんなさ~い。でも何で?こっそり教えて?」まあ、そんな感じでした。

「バレエ・フォー・ライフ」、また次の機会があったら見るでしょうか?私は多分見ないかも。だから今回見る機会ができてよかったと思っています。こういう作品もあったのかと。もし10年前に見ていたら、私も素直に泣いていたかもしれませんが‥‥‥。

ひところ大変な危機感で騒がれたAIDSも、まだ脅威だという情況は少しも変わらないと思いますが、今はまるで何事もなかったように話題には上りません。そしてドンも、フレディも、かけがえのない強烈な個性ではあったけれど、すでに記憶のかなたに押しやられ、21世紀は別の価値観が世の中を支配しています。そのうちこの作品を見る人に「ジョルジュ・ドンとは」とか、「フレディー・マーキュリーとは」というところから解説しなくてはならなくなっちゃうかもしれないし。そうやって過去のヒーローへの追悼も、悲しいけれどやがて色あせていってしまうのではないでしょうか。そう思ってしまった自分にも多少ショックでした。

この舞台に感動した方がいたらごめんなさい。せっかく見たのにのれなかった、かわいそうな人だと聞き流してください。それに、スクリーン映像のドンに一番感動したなんていったら、目の前で実際に踊っていたダンサーの方々に失礼ですしね。モーリス・ベジャールバレエ団を見るのは初めてだったので、ダンサーの方、誰も知らないで見に行きました。前日がファースト・キャストで、私が見に行ったのはセカンド・キャストだったということですが、どなたも生き生きとして、表情豊かで素敵でした。やっぱり苦手系ですが、今度は違う演目で見てみたいと思います。

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