« 「オネーギン」というバレエ | トップページ | ボリショイ「ドン・キホーテ」 »

2008年12月 4日 (木)

「オネーギン」というバレエ(続き)

またきょうの○+のご案内メールに笑わせてもらいました。「ザ・カブキ」の得チケのネーミングが「討入りペアシート」というのです その感覚、ある意味すごい。さて、ちょっと友人から指摘を受けたことでお詫びをしなくてはなりません。前に書いたこの「ザ・カブキ」について、私の暴言に東京バレエ団並びにベジャールファンの方が気を悪くされたのではないかと思います。見てもいないくせに申しわけありませんでした。

宣伝文句に「歌舞伎好きの皆様にぜひご覧いただきたい」とあったので、単純に「え~っ?」と思ったのです。ミュージカルやオペラなど洋ものを見る人は免疫があるでしょうが、私の知っている歌舞伎好きの方などは、バレエの男性の写真を見せただけで、「何これ?タイツだけで下半身何もはいてないの?お尻丸出し?見るに堪えない~!」とおっしゃいました。バレエファンが「美しいわ~」と感じるものも、免疫がない方にすれば「討入り」のストーリー以前のことじゃないのかなと。なので、「歌舞伎好きの皆様」が見るにはどうかな~と思っただけなのです。ごめんなさい。

で、その後なぜか食わず嫌いな私もなりゆきで「ザ・カブキ」を見に行くことになりました。12月14日はちょうど「討入り」の日だし、あの長ーい「忠臣蔵」を2時間でやるって、どんなんだろう~?楽しみ!?

では、やっと本題の「オネーギン」に‥‥

1幕(ラーリナ夫人邸の庭)
幕が開くと中央にテーブルがあって、そこで母のラーリナ夫人と乳母、妹のオリガがパーティドレスを仕上げています。タチアーナは寝ころんで本に夢中。ドレスのことなんか見向きもしません。夢見がちな文学少女というところでしょうか。そこにレンスキーがオネーギンを連れてやってきます。鏡をのぞきこんで、そこに写った人が運命の人。オリガを写す鏡の中に婚約者のレンスキーが現れ、二人は最初からもうラブラブ。この世の幸せを一身に謳歌しているような二人なのでした。

タチアーナが覗き込んだ鏡に写ったのは、何と黒づくめのオネーギン。びっくりして母のもとに走って行く内気なタチアーナ。でも、村の青年たちとは違う、この洗練された都会の男に一目で心を奪われてしまいます。オネーギンは幸せいっぱいのレンスキーとは逆に、何か深い悩みを抱えている様子。都会の暮らしに倦んで、親友の住む田舎に気晴らしにやってきたのに、退屈な田舎の雰囲気にもなじめないのです。いい女でもいるかと思って来たのに、くだらない小説を読むガキしかいない。早くも帰りたくなったよってな感じ。タチアーナの本を手にとって、一瞥して返すしぐさ一つでも、何とも高慢な奴なのです。

そうそう、この場面、踊りがとてもよかった。ちょっとコサックダンス風の元気な青年たちの踊り。それから連続してグランジュテする娘たちを支えながら、ペアで1列になって舞台を斜めに横切って走っていくのがとても盛り上がりました。レンスキーとオリガのパ・ド・ドゥはまるで幸せに酔っているかのよう。でも、音楽は哀愁を帯びていて、幸福の絶頂の中に潜む危うさを表していて何だかせつない。オネーギンもタチアーナと踊るのだけれど、儀礼的なちょっと距離のあるパ・ド・ドゥ。タチアーナは十分夢見心地なのだけれど、ふとオネーギンの心がここにはないという現実に戻され、戸惑って立ちつくしてしまう。何かこれだけで、すごくよくできているなあと感動してしまいます。振付と音楽が一体となって心が手に取るようにわかるのです。クランコすごい~!

場面転換は内側の幕と、表の紗幕の二つの間でまた一芝居行われていて、流れるような飽きない構成になってます。帰って行く村の男女。また明日、と離れがたいレンスキーとオリガ。紗幕の外側ではそこに溶け込めないオネーギンの孤独な姿。

(タチアーナの寝室)
再び幕が開くと天井から大きなレースの布がかけられていて、田舎ながら瀟洒な感じの部屋。そうだよね~眠れないよね。小説の中であこがれていた恋、それが突然リアルな姿で現れたのです。机に向かってオネーギンに手紙を書こうとしますが、どう書いていいかわからない。いつしかまどろむタチアーナ。上手奥に大きな鏡があり、その前に立つと自分の姿が写ります。ところが、ふとそこにオネーギンの姿が!

夢の中で鏡の中から現れた愛しい人と踊る、まるで「薔薇の精」みたいですね。ただ、飛び出してきたのは中性的な美しい薔薇の精ではなくて、何か妖しい笑みをたたえた黒づくめの危険なオジサン!(爆)でも、それがまさしく少女のあこがれそのものというか、そういうのわかるような気がします。

夢の中のオネーギンには、昼間のよそよそしい態度はありません。少女の願い通り耳元に何度も優しい言葉をささやきかけ、激しく、情熱的に迫ってきます。それを恥らうこともなく全身で受け止め、舞い上がるような勢いで大胆に彼の腕に飛び込んでいくタチアーナ。何度も繰り返されるスピード感あふれるリフトが、思いがかなった幸福感を余すところなく表現しているのです。このこれでもかというようなパ・ド・ドゥは圧巻でした。(鏡の中へ消えるときのバランキ様の怪しい悪魔的な表情もすごかった!)そんなめくるめくような一瞬から目覚めたあと、タチアーナは一気に手紙を書き上げます。

これが、役作りが面白くて、アマトリアンのタチアーナは本当にうぶな田舎の少女で、多分オネーギンが見たら一瞬で眉をしかめるような(「あたしゎ~めっちゃ好きぃ」みたいな?)稚拙な手紙を書いているんだろうな~?という感じ。それに対してアイシュヴァルトのほうはいかにも賢い文学少女らしい、しっかりした文章を書いているような‥偏見?私は最初に見たアマトリアンの羽が生えたような軽さ、柔らかさ、かわいらしさに感動してしまいました。ほんとに、人生最高の夢だったよね~って。アイシュヴァルトはブレがないかわりに、器械体操みたいな感じ?がしないでもなくて、美しかったけれど、アマトリアンのほうが感情がのっていて好みでした。

2幕(タチアーナの誕生日)
踊る老若男女。その中にはレンスキーもいます。相変わらずオリガにべったり。いいな~狭い田舎のことだから、多分タチアーナがオネーギンにラブレターを書いたことはたちまち知れ渡っているでしょうね。オネーギンにしたら、つまらない手紙をもらって暇な田舎の奴らに話の種にされるなんて我慢がならない。だけど、人々の好奇の目には勝てず、一応儀礼的にタチアーナの手をとって踊ります。でも、人がいなくなると、タチアーナに手紙を突き返し、自分にはその気はないと伝えるのです。

お願い、どうかそんなことはしないで。と泣きそうな目で訴えるタチアーナ。それすらウザいガキとしか思えないのに、またどやどやと人々が入ってくる。再び作り笑いを浮かべて踊るオネーギン。この辺の芝居が本当に見ごたえがありました。誰もいなくなったのを見計らって、オネーギンは言ってもわからんガキんちょに、わざわざ手紙をびりびりと破いてその手に握らせます。なんてひどい男なんだ!

だけど、初日にオネーギンを踊ったイェリネクの解釈では(プログラムによると)オネーギンはちっともひどい男じゃない。むしろ常識的で、30前後の大人が10代の少女と恋愛関係を成就させるのはどう考えても無理。だから理性的にそれをわからせようとしたのだとのこと。うわ~ホント?日本のロリコンオヤジどもに聞かせてやりたい言葉だわ。そのとおりイェリネクのオネーギンは傲慢な態度の反面、ちょっと保護者的になだめるようなところもあったのでした。一方バランキ様(バランキエヴィッチと打つのは大変なので‥)は垢ぬけた都会のプレイボーイ風で、いいか、お前みたいな田舎娘相手にしないんだ、覚えとけ!みたいな、かなり冷やかな視線を浴びせかけていました。

人々の輪に入らず、一人でカードを始めるオネーギン。タチアーナは誕生日を祝う人たちの前でソロを踊りますが、踊っているうちに悲しみに耐えきれなくなってだんだん踊りが乱れて、最後はめちゃめちゃになってきて、オネーギンと目が合った瞬間、いらついたオネーギンがテーブルをばんっ!と叩くのです。一瞬の注目。踊りが終わらないうちに泣きながら消え入るように走り去るタチアーナ。かわいそう~

この辺からどんどんドラマチックに展開していき、もうどこを見ていいかわからない状態に(2回目は、ザイツェフのレンスキーだけしか見ていませんでしたが‥!)キレたオネーギンはあろうことか親友のレンスキーをからかい始めます。きっとあまりにも幸せそうで腹がたったんでしょうね。オリガにちょっかいを出し、一緒に踊り始めます。オリガもよせばいいのにって、オリガだってほんの戯れのつもりだったんでしょう。姉と違って快活でお茶目なオリガは、遊び慣れたオネーギンのエスコートで踊るのが誇らしかったかもしれないし、本気で人々の間を縫って追いかけてくるレンスキーを見るのも楽しかったのかも。

でもとうとう、純粋なレンスキーに限界がきちゃった。姉妹が止めるのもきかずに、オネーギンに手袋を叩きつけてしまったのです。何て冗談が通じない奴なんだ!最初はレンスキーをなだめていたオネーギンもとうとう怒りだし(こういうところでくるくる回るパが効果的!)ついに決闘を受けることに。また二重の幕が閉まり、紗幕の内側は早いフォックストロット?で通り過ぎる何組もの男女。一瞬頭に血が上って決闘を受けてしまい、後悔の念に駆られるオネーギンはうなだれながら紗幕の外を歩いていきます。

(決闘の場)
人気のない淋しい郊外。柔らかな色の衣装から一転して、モスグリーンのような暗い色のマントに身を包んだタチアーナとオリガ。レンスキーを必死で止めようとするのだけれど、一度言いだしてしまったものは引っ込められない。そのくらいプライドの高い理想家肌の青年を傷つけてしまったのです。この場面のちょっと長いレンスキーのソロは、せつせつと後悔の念を表現して泣ける~膝をついて背中を反らせたまま、「ジゼル」のアルブレヒトのようにばたっと倒れちゃうところが痛々しかったです。

そして舞台奥でシルエットの決闘シーン。オネーギンのピストルが火を噴き、倒れるレンスキー。幸福から一転して悲劇のどん底に落ちてしまったのです。幕が閉まる前、動転したオネーギンを見つめるタチアーナの、今までと違った毅然とした強い目が印象的でした。

3幕(サンクトペテルブルク)
時は流れ、放浪の旅から帰ったオネーギンは、グレーミン侯爵邸の舞踏会に現れます。そこで侯爵夫人として美しく時を重ねたタチアーナと再会します。何ということでしょう、今度はオネーギンが恋におちるのです。キューピットは残酷ないたずらをする。

侯爵役は初日のダミアーノ・ペテネッラはあまり印象に残っていない(というか、そこまでよく見る余裕がなかった)けれど、最終日の侯爵はずいぶん老けているな~と思ったらジェイソン・レイリーではないですか。「眠り」で妖艶なカラボスを踊り、私は見ていないけれど別の日に王子もオネーギンも踊り、そして今度はかなり年のいった(50過ぎぐらいの?つくり)侯爵ときた!まるで歌舞伎役者のような変幻自在ぶりにびっくりです。

タチアーナは侯爵とゆったりとした曲で踊りますが、今までの年月、強い恋愛感情はなかったけれど望まれて結婚し、少しずつお互いの理解と愛情を深めあってきたというのがよくわかる静かな幸せに包まれたパ・ド・ドゥでした。ひときわ華やかなサーモンピンクのドレスは、侯爵夫人として内面から磨かれてきたタチアーナをよく表しています。穏やかな包容力のあるレイリーの侯爵もよかった。でも何であそこまで老け役にするのかなあ‥?

(タチアーナの部屋)
思いがけず再会したオネーギンから熱烈なラブレターをもらい、困惑するタチアーナ。ここの場面「手紙のパ・ド・ドゥ」は、去年ルグリ&ルディエールの黄金ペアで情感たっぷりに見せてもらいました。でも、全幕を知らなかったので「こんなものか」だったのですけど、全幕ではオネーギンが来る前に侯爵が来るんですよね。この場面があったので、とてもよく心情が理解できました。

侯爵は何かの任務につくのか、重厚な軍服のような衣装を着ています。出かける前に妻の部屋へ来たのでしょう。でも、突然タチアーナは不安になり「お願い、行かないで。一人にしないで」と言っているよう。侯爵は行きかけたのをまた戻って、優しくタチアーナをなだめるようにしばし愛情こめて踊ります。この侯爵の包容力。こんなシーンがあったから、次に続くというのがよくわかりました。悲しい事件を乗り越え、年月をかけて築き上げてきた今の暖かい暮らし。侯爵夫人としての地位よりもずっと大切なものがそこにあったことがよくわかります。

侯爵が去った後、悲痛な形相でオネーギンが登場します。オネーギンは今までのことをわび、激しく愛を訴えます。最初は拒んでいたタチアーナも、少女の頃の甘い思い出がよみがえり、心が揺れてしまいます。アマトリアンのタチアーナは、ここでまた一瞬少女のような顔になってしまうのよね~。この人もレイリー同様変幻自在な人!もう、昔憧れていた人にこんなに激しく迫られたらグラグラになっちゃうわ。それを必死で押さえて踊る、本当に何というパ・ド・ドゥ!あ~、これを見てからルグリ&ルディエールを見たかった!

理性もプライドもかなぐり捨てて追いすがるオネーギン。(ある意味この人は自分に正直な人だったのかな?ホントにレンスキーと対称的になっていたんだ)それを背中で引きずるように、重い足取りで振り切ろうとするところや、床に崩れ落ちた姿勢からいきなり背中をそらしたジャンプをするところなど、タチアーナの引き裂かれるような苦しい心情が余すところなく表現されていて、圧巻でした。

タチアーナはオネーギンの手紙を、かつて自分の手紙をビリビリと破かれたように破り、出て行って!と弱々しくドアを指差します。なおもすがりつくオネーギンを振り払い、2度目はきっぱりと力強く。絶望とともに走り去るオネーギン。タチアーナはすぐにあとを追ってドアのところまで走るけれど、外までは追えず、しばらく行きつ戻りつして、最後は泣きながら立ち尽くすのでした。ここまでが息をつく間もないほどドラマチックに展開して、最後はもう口を開けたまま、すごいもの見ちゃったという感じでした。2回目も同じでした。踊りが感情を表現する、いや、それ以上のものをダンサーの身体に語らせてしまうのにただただ感動してしまいました。

予定外だったけれど、3回のうち2回を見ることができて本当によかったです。次に見られるのはいつかわからないけれど、また絶対見たい演目になりました。

| |

« 「オネーギン」というバレエ | トップページ | ボリショイ「ドン・キホーテ」 »

コメント

こんにちは~。以前猫ちゃんネタでコメした者です。

「オネーギン」と「ドンキ」の感想とっても面白いです。今回両方ともみられなくて残念だったのですが、自分で見ているような気持ちになりました。どうもありがとう!!!

投稿: Yuka | 2008年12月 8日 (月) 01時26分

一度で書けばいいのにすみません。

二人のタチアーナの対比もとてもよく分かりました。

ちなみに、このバレエは見た人がみな素晴らしいと言うけれど、唯一、手紙を破くところが何となく嫌です。バレエだから象徴的な表現もあるのかもしれないけれど、貰った手紙を目の前でびりびり破くなんて、私に言わせれば「ありえな~い」って感じです。

投稿: Yuka | 2008年12月 8日 (月) 01時30分

yukaさん、コメントありがとうございます。

そうですよね。
普通ではありえない。
第一失礼ですよね
せっかく思い入れたっぷりに書いたのに、自分ならものすごくショックというより、いくら好きな人でも怒っちゃうかもしれません。
また3幕で今度は逆に相手の手紙を破くのも、昔の仕返しみたいで嫌ですよね。
私だったら記念に取っておくかも

でもほとんど平穏であったはずの田舎の貴族の娘の、一生のうちに2度あった人生の転機を象徴的に描く小道具として、この手紙というのはとても効果的に使われていました。

あとでオペラのラストシーンだけですが、you tubeにあるものを見てみたら、オペラでは破いていないんですよね。
それ以上のことを歌詞で山ほど(字幕付きのもありました)言ってますから。
私が伯爵夫人で、お金持ちになったから好きになったの?なんて!もっと直接的ですごい応酬にたじたじ。
そこまで言えば破る必要もないわけで、この手紙を破るところも思いを断ち切る、バレエとしての表現だったんでしょうね。

投稿: 友香梨 | 2008年12月 8日 (月) 10時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「オネーギン」というバレエ | トップページ | ボリショイ「ドン・キホーテ」 »