歌舞伎鑑賞2008年以前

2008年11月18日 (火)

フレッシュな「先代萩」

Simgp6563_2 新橋演舞場の花形歌舞伎を見てきました。

その前に、歌舞伎座の前を通りかかると、夕刻になってうっすらとライトに浮かび上がった歌舞伎座のきれいなこと。ちょっと前まではチンケな建物だと思っていたけれど、いや、なかなか重厚で味があっていいものです。思わず立ち止まって写真を撮ってしまいました。これがあと1年半で見られなくなると思うと本当に残念です。

今週半ばの新国の「アラジン」から、いよいよ楽しみにしていた私の冬のバレエシーズン(?)が始まるのですが、今月は歌舞伎で見たいものがたくさんあって困りました。

この間見た歌舞伎座の昼の部の「盟三五大切」はすごく面白かったし、浅草では平成中村座の「法界坊」、国立劇場では江戸川乱歩の「人間豹」の江戸時代版?を上演していて、本当にどれを見ようか迷ってしまいます。これからバレエが始まるからそんなに見れないのが悲しい‥Simgp6560_2

新橋演舞場では昼の「伊勢音頭」も見たかったけれど、やっぱり夜の部の「伽羅先代萩」にしました。というのも、一昨年に歌舞伎座で見た「伽羅先代萩」は團十郎の仁木弾正、菊五郎の政岡。それが、今回のは海老蔵の仁木弾正に菊之助の政岡なのです。ほかもみな若手揃いで、初役の人ばかり。一昨年の「先代萩」と上演する場面は同じだけれど、配役が一世代下ということで、興味を持って見に行きました。

こちらは新橋演舞場。上のほうは何になっているかわからないけれど、歌舞伎座もそのうちこんなそっけない複合施設のビルになってしまうのでしょうか?何だか淋しい気がします。Simgp6566_2

予想通りとてもフレッシュな舞台でした。観客も海老蔵目当て?か若い女性が多くてびっくり。歌舞伎って、ひどい時には周りを見渡すとじいさんばあさん(いや、おしゃれなおばさま方とか)ばっかりで、もしかしてこの席あたりでは私が一番若い?なんてこともあるけれど、今回の花形歌舞伎はぐっと観客の年齢層が下がってましたね。私の両隣りはどちらも母子連れでした。親子で歌舞伎なんてうらやましいです。

序幕(鎌倉花水橋の場)
お家騒動の渦中にある殿様でありながら、伽羅でつくった下駄をはき、豪華ないでたちで廓通いする頼兼公。賊に襲われ駕籠かきはみな逃げてしまっても、恐れることなく扇子一本で優雅に賊をあしらいます。刺客たちのコミカルな動きも見もの。そこへお抱え力士の絹川谷蔵が現れ、素手でばったばったとやっつける気持ちの良いたちまわり。全体のストーリーには関係なさそうだけれど、この、ここだけしか出てこない廓通いの殿様が物語のそもそもの原因なのです。

この殿様が遊び呆けて幕府に隠居を命じられている一方で、奥向きでは家督を継いだ若君を守ろうと必死の攻防が繰り広げられ、はたまたお家を乗っ取りから守るため一身を投げ打って幕府に訴え出た忠臣の物語があり‥‥だけど当の殿様はそんなのどこ吹く風で、こんなふうにひたすら鷹揚なのでございました。

絹川谷蔵もここしか出てこないキャラ。力士ということで手足に肉を着てるんだけど、それがしわしわなのが気になりました。いまどきストレッチ素材だってあるだろうに‥‥これはリアルさなどを追及しないのだろうか‥‥‥?歌舞伎ってリアルなところは馬鹿リアルで、様式的なところは変に様式的で、基準がよくわからない??

二幕(足利家竹の間の場)
若君の暗殺を恐れ、乳母の政岡は「若君は病気」と称し、男性と会うのを嫌い、食事もとらなということにしています。食事は御殿の中で政岡が自らつくっているのです。その病気見舞いのため仁木弾正の妹八汐と、沖の井、松島の三人がやってきます。

八汐は悪者というのが見え見え。医者を連れてきて脈をみせようとしたり、賊をわざと天井に潜ませて、それをつかまえて「政岡に頼まれた」などと言わせたり、その一寸の油断もならない状況にひたすら耐え続ける政岡。

この政岡役の菊之助さんがすごくきれいなの。とても大変な役だけれど、やっぱり若君の乳母なんだから30前ぐらいの歳のはずだよね~。政岡ってひたすら強いオバサンという感じがしてたけれど、本来はこんなふうに若さとけなげさ、必死さがみえてもいいのだと思います。きれいで、けなげで、一生懸命で、つい「がんばれ!」って応援したくなっちゃう。だから門之助さんの沖の井が正義の味方っぽくて、観客の気持ちを代弁しているようでとてもよかったです。

三幕(足利家御殿の場~床下の場)
やっとのことで奥に下がったら、今度は栄御前の来訪で息つく暇もない政岡。栄御前は菓子を持参し、なぜ食べないのかと責めるのですが、そこへ奥から政岡の子千松が走り出て、毒入りの菓子を食べて菓子折をひっくり返してしまいます。とたんに毒に苦しむ千松。そのとき、毒が入っていたと悟られないよう、八汐が千松を捕えていきなり短刀を突き立てます。なんてひどい奴!

苦しむ千松を見ても、若君を守護したまま動じない政岡を見て、栄御前はこれは若君と自分の子を取り換えているのだと早合点し、お家乗っ取りの一味と見て、連判状を政岡に預けていくのです。

一同が去ったあとの政岡は、死んだ千松に駆け寄って抱き上げ、最初は気丈に、毒入りの菓子を食べて若君を守った千松をほめているのだけれど、だんだんと子を亡くした若い母親の嘆きに変わっていくのが圧巻。すごく泣けました。

そのあと八汐が現れて政岡に斬りかかるけれど、逆に政岡に討たれてしまいます。このときネズミが現れ、連判状をくわえていってしまうのです。

御殿がせりあがって居所変わりで床下の場へ。床下では荒獅子男之助が守護していたところへ大ネズミが現れたので、男之助は鉄扇で打ちすえますが、これは妖術でネズミに化けた仁木弾正でした。ここの場面、荒獅子男之助というのはここにしか出てこない人物で、ひたすら見得を切って「荒事」を見せるだけなんですよね。やっと登場した仁木弾正も、ひと言もセリフをしゃべらないまま不気味に引っ込むだけなんです‥‥。よくわからないけれど、仁木弾正の大悪人ぶりを無言のまま強調したような場面なんでしょうか。

猿之助さんの「伊達の十役」では、ここで長裃をさばきながら宙乗りするんですよね~。それというのも、この場面の演技は「雲の上を行くように」ということなのだそうです。それをホントに宙乗りで表現してしまうなんて、猿之助さんらしい。

さて、海老蔵の仁木弾正、目玉が飛び出さんばかりに目をむいた見得など、迫力万点なのですが、やりすぎのような?でも、花道を引っ込む姿は、歩きながら物音もせず膝を使ってゆっくりと上下をくりかえし、本当に雲の上を行くような悠然とした姿でした。

四幕目(問注所対決の場)
2度目の休憩の後は、御殿の中からがらりと雰囲気が変わって裁判のお白州です。足利家国家老の渡辺外記左衛門は、お家乗っ取りの悪だくみをする一味を幕府に訴え出ますが、評定をするのは一味に加担している山名公なので、いろいろ証拠の手紙などを提出してもどうにもなりません。もうダメかと思ったときに救世主細川勝元公がさっそうと現れます。

外記役の男女蔵さんですが、顔にしわは描いているものの、何か顔が若くてちょっと無理が‥‥。こういうところこそ味のあるベテランの出番だと思うんですけどね。それと松緑の勝元公‥‥ええっ 松緑さんって丸顔で童顔だったんですね~。何だかさわやかな感じというより、お子ちゃまっぽくてギャグマンガ風。。。セリフも、ここって笑う場面だったっけ?というような‥‥「さあ、さあ」と追い詰めていく緊迫の場面も弁舌さわやかはいいんだけれど、軽かった。

でもまあこのギャグ殿様のおかげで国を揺るがす大悪人が悪事を認め、一同めでたしめでたしなのでした。よく考えると仁木弾正って腹ばかりで外見はあまり見せどころがない役。印を押すところも緊迫の場面なんでしょうが、若手役者が演じるには地味ですよね。

大詰(刃傷の場)
罪人となったはずの弾正が、あろうことか隠し持っていた短刀で刃傷に及び、外記左衛門が花道を逃げてくるところから始まります。衝立のかげに隠れる外記左衛門。追ってくる弾正の形相がすごい。これがまた限度というものがあるような気がしますけどね。

このあと外記左衛門を見つけて立ち回りになるのですが、考えてみると外記左衛門は高齢でしかも手負いなんですよ。その上武器もなく扇で応戦してるだけ。それなのに、大悪人の弾正がすごい迫力で襲いかかりながらなかなかとどめが刺せない。(外記左衛門は相当の武道の達人に違いない!)弾正が死ぬところもすごい形相で大熱演だったけれど、あそこまで派手にやっちゃうと、かえって妖術まで使える大悪人が何でこんな老いぼれに簡単に殺されちゃうんだろうなんて、素朴な疑問がわいてきませんか?

また猿之助の「伊達の十役」ですが、あれはすご~く荒唐無稽に脚色しているけれど、ここの部分は納得できるんですよ。弾正は簡単に死ぬはずもなく、妖術を使って巨大ネズミに変身して大暴れ!‥‥だったと思います。(DVD持ってる)それで、その妖術を打ち負かすことができるのは子の年生まれの者の血を吸った刃物だけで、そこでそれを知っていた誰だかが腹を切って、その鎌で弾正をやっつける!そうだよね~。大悪人が簡単に死んだらつまらないもの。(あ~十役早替わりでなくてもいいから、猿之助チルドレンでこれを再演してくれないかなあ‥‥)

脱線しましたが、結構つっこみどころはあったけど、若手中心の華やかないい舞台でした。それでも、若手がやって映える役と、ベテランの渋い演技がほしい役があるのがよくわかりました。

このあと舞踊の「龍虎」がありましたが、やっぱり舞踊苦手。ただでさえ長い通し狂言に何でおまけのようにもれなく付いてくるんだろう?毛振りがあってけっこう激しい踊りですが、やっぱり私はバレエのような踊りが好きなので、体のラインが見えないと表現するものがよくわかりません。手先と足の運び、顔の角度などで表現するのでしょうけど、難しいです。(起きているのが

歌舞伎も見始めると面白くて、次々に見たくなります。今やっている国立劇場の「江戸宵闇~」もとても見てみたい 実は私、その昔「乱歩大好き少女」だったのです。怪人二十面相と少年探偵団シリーズは小学生の時に読みふけりました。もうかなり忘れていますが、乱歩の戦後の少年向けのものでも、ちょっとハイカラな戦前の「帝都東京」の雰囲気があって好きでした。作品にちりばめられた「古い洋館」や「洋行帰りの紳士」「西洋の美術品」「宝石」などのアイテムが、見たこともない妖美な世界をつくっていて、子供心にもドキドキしたものです。そういうちょっとレトロでバタ臭い雰囲気が乱歩もののよさなのに、江戸時代に置き換えちゃったらどうなんでしょうね?明智小五郎が隠密同心ですか??乱歩と聞いたらこいつぁ一番のらざあなるめえ‥‥と思うけど、もう今月はバレエもあるので無理

来年1月にはまた初春花形歌舞伎で、今度は澤潟屋の面々が勢ぞろいします。これも見たいけどバレエも見たいし‥娘受験生だし。。。でも、受験も終わって3月にはまた猿之助歌舞伎の「獨道中五十三驛」があるので、楽しみです

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2008年11月11日 (火)

久しぶりに歌舞伎座。

081106_1050001 歌舞伎座の吉例顔見世大歌舞伎、昼の部を見てきました。歌舞伎座の正面には櫓が上がっていました。

この建物も、1年半後の再来年4月から建て替えに入るそうです。この芝居小屋風の雰囲気を残した重厚な外観が、風情があってよかったんですけどね。防災上のこともあるでしょうが、お客様は年配の方が多いのに段差が多くエレベーターもないので、昨今のバリアフリーの観点からも建て替えが必要になってきたのでしょう。ビル型の複合施設に建て替えられるのだろうと思いますが、この東銀座に忽然と建つ白亜の殿堂?みたいな、独特の存在感が失われるのはちょっと残念です。

昼の部の演目は通し狂言の「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)。この間前進座で見たのと同じ鶴屋南北の作で、またまた殺人だらけのR-15指定!?みたいなものでした。こちらはお化けは出てこないですけどね。お化けより生きた人間の情念のほうがずっと怖い、そんなことを思わせる演目でした。「東海道四谷怪談」がヒットしたので、その続編的に書かれて、「四谷怪談」のあとに初演されたそうです。

その後、暗い陰残な内容のためか評判は思わしくなく、ずっと上演が途絶えていて、昭和51年に復活上演され、それ以降は何年かおきに上演されているようです。これがとても面白かった。仁左衛門さんが冷徹な殺人鬼、裏切られた男の狂気を演じてすごかったです。

序幕(佃沖新地鼻の場~深川大和町の場)
プロローグは佃沖に浮かぶ3艘の舟。最初に船ごとに大方の登場人物の関係を説明してしまうのが粋な趣向です。1艘目は悪事に加担して、あとで殺されてしまう人々。2艘目は三五郎(菊五郎)とその女房の小万(時蔵)。三五郎は父から勘当された身だけれど、父の旧主に金を用立てることで勘当を解いてもらおうと思っています。そのために女房を芸者に売って、客から金を巻き上げようとしているのです。

月が出て、辺りが明るくなり、3艘目の舟が現れます。乗っていたのが小万にぞっこんの浪人の源五兵衛(仁左衛門)。実は彼は塩冶(赤穂)の侍だったけれど、公金を横領した咎でお家を追放された身の上。(それってどこかで聞いたような?四谷怪談の田宮伊右衛門も同じ設定だよね?)横領した金を返せば討ち入りに加えてもらえるということらしいのです。だけど、そんな志があるのに何で芸者に入れあげてるのか全くわからないよ~

源五兵衛の家は遊興費にあてた借金のかたに鍋釜や畳まで持っていかれてしまって、一枚の布団しかありません。それでも「ここに小万がいてくれたらなあ」なんてのんきなことを言っているのです。若党の八右衛門は主人思いなだけにあきれ顔。

そこへ小万一行が家に押しかけてきます。大体こんな何もないボロ家を見れば、巻き上げる金なんて一銭もないのは一目瞭然なのにどうしてでしょうね~?(それがいつも歌舞伎の不思議ワールドですね~。)小万が腕の「五大力」と彫った刺青を見せると、ますます源五兵衛はのぼせあがります。五大力とは、五大力菩薩の加護という意味で、手紙の封などに書いて無事に届くようにするおまじないや、遊女などが一人の男に誓いを立てた証の言葉だったそうです。ここでの源五兵衛はまだ、貧乏してても何かのんびりした感じの浪人者なのですが‥‥‥。

そこへ叔父の助右衛門がやってきます。助右衛門は源五兵衛のために百両を工面したと言って、その金を渡します。あら~そんなとこ小万一行に見られちゃっていいのかな~と思っていたら、やっぱり。「それきた(カモ)!」と思われてしまいましたよ。

2幕(二軒茶屋の場~五人切の場)
茶屋では、客が小万を身請けしようとしていて、小万は腕の「五大力」を見せて必死で断わっています。これは実はみんながグルになって一芝居打っているのです。そこへ源五兵衛が来て、しつこく言い寄られて嫌がる小万の姿を目の当たりにします。お前に身請けなんかできないだろうとバカにされ、悔しがる源五兵衛。必要な金は百両。このままだと小万は身請けされてしまう。今ちょうど懐に百両あるけれど、これは叔父が用立ててくれた、帰参に必要な金。渡すわけにはいきません。ところが、自害までしようとする小万を見て、ついに我慢しかねた源五兵衛は百両を出して自分が小万を身請けすると言ってしまいます。

まんまと罠にはまった源五兵衛が小万を連れて帰ろうとすると、三五郎が呼び止め、実は小万は自分の女房で、今のはみんな金を巻き上げるための芝居だったと嘲笑する。怒りに震えながらじっと耐える源五兵衛。

その夜、源五兵衛をだました連中が集まっている家で、三五郎は小万の刺青の「五大力」に加筆して「三五大切」(三五郎命)と書き換えたりしていちゃついています。そしてみんなでここへ泊ろうということになり、夜が更け‥‥。

そこへ源五兵衛が昼間の恨みを晴らそうと忍び込むのですが、暗闇の中、いきなり無言のまま次々と、ほとんど無差別に人を斬っていく凄惨な場面となります。でも、様式的なせいか思ったほど生々しさはなくて、時代劇などでリアルにばっさばっさと人を斬るシーンに比べれば、割とあっさりとしている感じがしたのですが、テレビの見すぎかな~?

これは、実話をもとにした「五大力恋緘」(ごだいりきこいのぶうじめ)という演目があって、それをベースにしているのだそうですが、五人斬りなんてテレビの時代劇では毎回やっていて珍しくもないのに、実際は芝居になるぐらいのすごい事件だったんですね。江戸時代は武士と称する人々がいつも腰に凶器を差していて、斬捨て御免。そんな物騒な時代だと思っていましたが、案外太平の秩序が保たれていたのかな?そういう意味では現代のほうが物騒な時代なのかもしれませんよ。

肝心の三五郎と小万はこの惨劇から命からがら逃げ出し、幕となりますが、この陰残な殺傷劇を見たあとで休憩となり、平気な顔で弁当を食べてるのもね~と思ったのは私だけでしょうか?

大詰(四谷鬼横丁の場~愛染院門前の場)
お昼の休憩が終わって、後半はちょっと滑稽な場面から始まります。四谷にある長屋はちょっと前に「四谷怪談」のお岩が殺されたその家だそうで、そこにはお岩の幽霊が出るらしい‥‥それで、店子が入ってもすぐに出ていってしまうので、大家はそれで(1泊でも1月分の家賃が入るから)儲けているらしい??そこへ三五郎と小万が引っ越してくるのですが、何とその大家は小万の兄。

そこへ偶然三五郎の父、了心が現れたので、三五郎はようやく百両が手に入ったからと、源五兵衛から巻き上げた百両を封をしたまま渡します。父は喜んで旧主に引き合わせてやろうと言って帰っていきます。

さて、詐欺に加わった生き残りの一人を脅して、源五兵衛が居場所をつきとめてやってきます。花道に立った源五兵衛は、最初ののんきな浪人者とはうって変わって鬼気迫る形相。怖がる二人に、引っ越しの祝い酒だ、と言って酒を置いて行くのですが‥‥。いろいろとややこしいので要点だけにすると、その酒には毒が入っていて、そこにやってきた大家(小万の兄、弥助)がその毒の酒を飲んでしまいます。そのあと、実は塩冶家の御用金を盗んで父の旧主(実は源五兵衛なのだが)を陥れた張本人はこの弥助だったとわかり、三五郎は弥助を斬り殺してしまう。。。そこへ了心が戻ってきて、三五郎を自分の寺に匿まおうと、樽の中に入れて運んで行くのです。

小万一人になった所へ再び源五兵衛が現れます。小万は三五郎と夫婦だった上に子供までいたのだ‥‥!改めて裏切られた恨みが込み上げてくる源五兵衛。そして腕の刺青を見ると、何と自分に操を誓っていたと思った「五大力」の文字が「三五大切」に書き換えられているではないか。自分を騙しただけでなく、そこまで愚弄していたのか!源五兵衛は狂ったように小万に何度も斬りかかり、果ては小万に刀を握らせて赤ん坊まで刺し殺してしまいます。例の「五人切り」は無表情であっさりとしていたけれど、ここは本当に恨みがこもったねっちりとした凄惨な殺し場でした。

小万を殺したあとの源五兵衛は、小万の首を切り落とし、帯でそれを丁寧に包み、さもいとおしそうに懐に抱いて雨の降る中を破れ傘をさして去っていきます。自分で殺していながら小万の首に頬ずりせんばかりの様子に、ああ、こんなにも小万を愛していたんだなあと‥‥‥。それはそれは仁左衛門さんが美しいだけにぞっとするような光景でした~

仮住まいの寺に戻った源五兵衛は、小万の首を正面に置き、その前で食事を始め「お前とこうやって水入らずで飯を食べたかったなあ」などとつぶやく。何という倒錯した世界‥‥!そして、箸を近づけると小万の首がぐわ~っ!と真っ赤な口を開ける!!怖っ!(というより笑ってしまう?かな)

そこに三五郎の父(了心)がやってきて、先ほどの百両と高家(吉良家)の絵図面を渡し、これを持って仇討ちに加わってくださいと言います。ところが源五兵衛は、三五郎という夫婦に騙されてたくさんの人を斬ったので、もう仇討ちには加われないから、ここで腹を切ると言う。びっくりしたのは了心と、それから樽に隠れていた当の三五郎でしょう。その三五郎はわが倅だと明かされて、驚いた源五兵衛が今渡されたばかりの百両の封を切って見ると、それは最初に叔父が持ってきた刻印の押されたものだった。

叔父のくれた百両を三五郎にだまし取られ、それがまた回りまわってここにある。すべてがわかったとき、樽が割れて中から腹に包丁を刺して血まみれの三五郎が現れます。息も絶え絶えの三五郎は、源五兵衛が人を斬ってしまったのもすべて自分のせいなので、その罪を全部引き受けるから、どうか仇討ちに加わってくださいと頼むのです。

最後に、今晩吉良家に討ち入りをするという赤穂浪士たちが駆けつけ、源五兵衛を迎えに来たと告げます。三五郎は息絶え、源五兵衛は意を決して仲間に加わり、出立していくのでした。。

ざっとあらすじを書くつもりがとても長くなりました。全編を通して際立つのは仁左衛門さん演ずる源五兵衛の怖さ、哀しさ、冷たい美しさです。本当に小万をどうしようもなく愛してしまったのだなあ‥‥騙されても、むごたらしく殺してしまっても、やっぱり愛していたんだなと。愛することで鬼にもなってしまう人間の恐ろしさ。そんなものをとても感じました。

そして、やっぱり本来のテーマは武士というものの不条理さなのでしょうか。そこまでして旧主に尽くさねばならないのか。それから、世にカッコいいとされている赤穂浪士だって、中身はこんなにドロドロの世界なんだと。一皮むいてみれば武士なんてそんなものだという風刺も含まれているのかもしれません。

江戸時代にはあまり人気がなかったようだけれど、何かとても現代に通じるものがあるような気がします。先月見た前進座と、南北つながりで見に行きましたが、南北のおどろおどろしい世界は荒唐無稽なだけじゃなく、ものすごく現代性を持ったものだと思いました。

もう一つ、休憩はさんで「郭文章 吉田屋」というのがありましたが、短い舞踊ものかと思ったら結構長くて、ところどころ寝てしまいました どうもこの「上方和事」というのが、どこが面白いのかよくわかりません。主人公は遊興に明け暮れ莫大な借財をして勘当になった大店の倅(藤十郎)。今は一文無しで紙衣(かみこ)を着るくらい零落しているのに、ちっとも物おじすることなく立派な遊郭に入っていき‥‥‥。そのセレブ感、鷹揚さが当時の庶民のあこがれだったのか??

今の不況の世の中でも全く動ぜずに、このお話のように最後は勘当を解かれてハッピーエンドになればいいんだけど。陰残な殺しの物語を見た後で、甘~い「上方和事」のお口直しでほんわかした気分になって帰っていただこうという趣向なのでしょうか?私は何だかあの凄い感動のまま帰りたかったような気もしましたが‥‥。

歌舞伎座の建て替えに伴い、来年~再来年の3月まで「さよなら公演」と銘打って、今までの人気演目が次々と上演される予定だそうです。その中で観客からもアンケートで好きな演目を募集するというのがあったので、さっそく私も書いてきました。アンケート用紙の裏にずらっと参考演目が載っているのですが、やっぱり有名なところは黙っていても上演されるよね~。だから、今まで見て面白かったけどあまり上演されてなさそうなところを書いたほうがいいかなと思い、結局「里見八犬伝」などと書いてしまいました。「椿説弓張月」でもよかったかな?あはは、趣味丸出しでしたね

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2008年10月17日 (金)

前進座「解脱衣楓累」

初めて前進座の公演を見ました。吉祥寺の前進座の劇場は以前、子供が歌舞伎保存会に入ったばかりのころ、そこを使って公演をしたことがあって、そのときに舞台裏や楽屋はお手伝いをしながら面白く見させていただきました。小さいながら花道やスッポンなど、伝統的な設備がそろっている劇場です。でも、ここを拠点に活躍されている前進座さんの公演は見たことがありませんでした。

それが、何のきっかけでつながりができたのか、何と、8月の末に前進座の役者さんが「あきる野座」の練習を見に来てくれたのです。保存会なんていうけど素人ばかりの集まりなのに、プロの役者さんがいらっしゃるなんて、ほんとに緊張しました。来ていただいたのは藤川矢之輔さんという前進座の中心的な役者さんです。

矢之輔さんは私たちのつたない稽古をひととおりごらんになり、それからいろいろ気がついたことを教えてくださいました。セリフの言い方、刀の扱い方、見得の切り方など。それはほんのワンポイントアドバイス程度でしたが、プロの役者さんのさすがのご指摘、とても勉強になりました。

そして、最後に「何かやってください」という私たちの厚かましいリクエストに応えて、10月に舞台を控えた「解脱衣楓累」のクライマックスの部分をちょっとだけ見せていただきました。元は武士だけれど、百姓になって幸せに暮らしていた男が、突然現れた主筋の野望に巻き込まれ、女房を殺さなければならなくなったというくだりです。鎌を持って追いかけるところ、それから殺したあと女房は怨霊になり、逃げるところを妖力で引き戻されるところなど‥‥‥。それはすごいものでした。

凄惨な殺しの場面にもかかわらず舞踊の要素が濃く、何もない稽古場で浴衣姿なのに、体の動きを通して人物の情念や背景までぐいぐい伝わってきました。それに圧倒されて、私たちそろって10月公演のチケット買ってしまったわけです。Simgp6393

それで先日、みんなで見てきました。だけど最初の感想は「何これ~?!」何も知らないで行ったけれどその内容に唖然  こんなに怖いお話(怪談)だったんだ~!歌舞伎入門トークをやったり、25歳以下を3000円にしたりして新たな客層を開発しようとしているようだけれど、こんなの子供に見せていいの??というくらいスキャンダラスでグロテスク。それとこの太っ腹な若者割引は大丈夫?と思ったけれど、25歳以下って、見渡す限りうちの高校生の息子と、一緒に行った保存会の小6の男の子だけだった!(若い客層の確保というもくろみは見事はずれているようです

「解脱衣楓累」(げだつのきぬもみじがさね)という演目は、「四谷怪談」などをつくった四世鶴屋南北の作で、江戸時代後期に町人文化が栄えた文化・文政の時代のもの。意外でしたが「四谷怪談」よりも10年以上も前の作品だったようです。江戸の市村座で上演されるはずが、未上演のまま戦後になって台本が発見され、それを前進座が24年前に「初演」したという異色の作品。以来前進座のレパートリーとなり、今回が3回目の上演になるそうです。

でも、はっきり言って「四谷怪談」よりずっと怖い~!ここにはモラルというものはないのか~だから江戸時代に上演されなかったんじゃないの?と思うくらい。しかしながら、その時代は人心が荒廃し、人々は欲得だけで動き‥と思っていたけれど、まだ現代よりは常識的だったかもしれません。毎日びっくりするような殺人事件のニュースが報道され、半年前の事件も「ああ、そんなことがあったっけ」という感じですぐ忘れてしまうような昨今。そういう、感覚が麻痺したような現代にあっては、この程度の話はどうってことないのかなと思ったりもします。

かなり年齢層の高い観客は割と平気でこれを見ていたし、ときおりギャグ(それが多分古くて私にはよくわからないのだけれど)に笑ったりもしていました。だけどせっかく格安料金で入ったうちの息子と小6の保存会のホープは、怖いところは全部目をつぶっていたらしい‥‥ とくに小6の子はこれが初めての歌舞伎見物だったので、これで歌舞伎が嫌いにならないといいけれど‥‥

この物語は二つの下敷きがあって、お吉と破戒僧空月の話に、「累もの」といわれる累(かさね)伝説をもとにした話をくっつけたものだそうです。累と与右衛門の話はこの時代よりさらに100年以上前の話。舞踊の「かさね」など、いろいろな作品に取り上げられている題材です。武家娘のお吉と百姓の女房の累が姉妹だなんて設定はかなり無理があるけれど、これを河原崎國太郎さんが二役で演じ分けていました。

もう時間がたってしまったので忘れたところもあるけれど、一応備忘録としてストーリーを記しておきます。20日までやっているけれど(その後浅草公会堂で25日まで)前進座のお客様でこれを見る人はまずいないだろうからネタばれ云々はOKよね‥?とはいえ、前進座を見たことがない方も、松竹歌舞伎とはまた違う味わいだし、このサイズの劇場ならではの迫力もあるので、おどろおどろしい南北作品に興味のある方にはお勧めします。(怖いですよ~!)

発端(鎌倉放山の場)
鎌倉の修行僧だった空月は、お吉との仲をとがめられて追放され、旅立ったところ。そこへお吉が追いかけてくる。お吉はお腹に空月の子がいることを告げ、一緒になれないなら死ぬと言い出し短刀を出して自害しようとします。ところがそれを止めようともみ合っているうちに誤ってお吉を刺してしまう‥‥こうなったら一緒に心中しようとお吉の首を斬ったとき、雷が鳴って‥‥空月はにわかに心変わりをします。お吉の持っていた短刀は宝刀で元武士の証。出世の種になると思ったのです。

第一幕(江戸池ノ端茶見世の場)
いろいろと人間関係が複雑でわかりにくいので、要点だけかいつまんで。弁天様を望む茶店で働く小三はもと遊女で、呉服屋の番頭に身請けされたにもかかわらず、すぐに金五郎と駆け落ち。金五郎はお吉、累と3人姉弟という設定です。そこに江戸見物にやってきた累が立ち寄ります。そこで空月と行き会うのだけれど、空月はお吉にそっくりの累をみてびっくり!思わず言い寄りますが相手にされません。

何と空月は殺したお吉の首を持ち歩いています。お吉の首がそうさせたのか、空月と累の荷物が入れ替わり、荷物から出て落ちてきた例の短刀が累の足に突き刺さり、累はあとあとまでびっこを引くような大怪我をしてしまいます。

一方、小三は義父の勘次に見つかり、身請け主の番頭のところに連れ戻されそうになります。それで、またまた勘次と金五郎が小三をめぐって争ううちに誤って(これが多すぎない?)勘次を刺してしまう。金五郎は小三を連れて姉の累がいる下総に逃げていきます。

第二幕第一場(下総国羽生村西瓜畑の場)
小三を追ってきた番頭は西瓜を盗んで百姓たちにつかまっています。ここの場面がちょっと一息笑える場面。そこに旅の古道具屋?の助七がやってきてこの場をとりもつ。そのあと累がびっこを引きながら通りかかり、助七に例の短刀のことを話し、自分にとっては忌々しい短刀だけど銘に「南無阿弥陀仏」と書いてあるのでお寺に納めようと思うと言うと、その短刀を見た助七(実はもとお吉の家の家来で、お吉が殺される場面も見ていた!)は、累のほしい鏡と交換し、さらにお金を払うと言います。同じお寺に納めるならお金のほうがいいと累も思い交換します。

第二幕第二場(下総国飯沼草庵の場)
なぜか(なぜなんだ~!?)空月は累のいる隣村の荒れ寺の庵主に納まっています。お吉の四十九日の念仏をあげていたのだけれど、何と厨子の中にはお吉の首。これがまた何かするとパカ~っと厨子が開いて本物の役者さんの首と入れ替わり、笑ったりするから怖~い!殺しても首は生きているようにいろんなことを空月に要求する‥‥異常な悪趣味です。

そこへ累がお布施をもって現れる。またまたびっくりの再会。空月があのときの短刀はどうしたと聞くと、古道具屋に売ったという。あれは大事な刀だから取り戻してくれと頼む空月。そのあとお尋ね者の小三と金五郎が逃げてくる。二人は赤ん坊を連れているが、これが何と死んだお吉の腹の中から取り出した赤ん坊‥‥!何てグロテスクな話。。それにどうしてこの二人が預かってるの??よくわからないけど、事情を知っても空月は知らん顔。やがて川止めで戻ってきた累と会い、三人は累の家へ向かう。

うちの息子が見ていて「何でこんな中途半端なところで幕になるんだ?」と言っていたけれど、こうやって書いていてもそう思うよね~。歌舞伎って必ず何かの「決め」があって幕になるんじゃないのかな。。。これは初めから通しで上演することだけでつくられた作品なのか、ほかの作品があとになって幕ごとの上演ができるように、最後の場面が決まるようにつくり直されたからなのか。とにかく何でここで幕なのよ~?みたいなところがありました。

第三幕(羽生村与右衛門内の場)
田舎で仲むつまじく暮らす与右衛門と累。奥の部屋では小三と金五郎を匿っているけれど、赤ん坊に乳をやるために乳母を頼まなければならず、乳母はもしかしたらこの二人はお尋ね者で、番屋に突き出せは金がもらえるかも?と思っている。ここによくわからない累の家の元の主の家中の者が雨宿りにやってきたり、例の厨子を背負った空月が来たり、それから刀を取り替えた古道具屋の助七も、しつこく小三を追ってきた番頭一行も、この狭い百姓屋へ全員集合!もう何が何だかわからない~!

大事なことだけ書くと、空月は与右衛門に自分は元の主家筋だから従えと言う。この赤ん坊はお家再興のときまでお前が大事に養育しろと。ま~なんて自分勝手。そして助七は実はお吉、累、金五郎の家の家来だったので、短刀を金五郎に渡し仕官の手立てにしてもらおうと思っているわけ。もちろんお吉殺しの仇、空月の敵討ちもするつもりなのです。

居座った空月は累と二人きりになると、お吉が死ぬときに着ていた形見の着物を累に着せ、もうたまらん、女房になれと抱きつく。ほんと、倒錯した世界だよね~それに何か、それまで田舎女風に元気だった累だけれど、このあたりから無表情になり、ボ~っとした感じに‥‥実はここからが怪談なんですよ~ いくら似ているからって妹に言い寄るなんてと怒ったお吉の霊は、累に乗り移り、恐ろしい声で今までの恨みを述べ立てる。驚いた空月はお吉の生首を取り出して、庭先の井戸に投げ込んでしまう。すると井戸からびっくり箱のようにまた首が飛び出す!(ちょっと笑っちゃうほどおどろおどろしいです)空月はその場にあったかんざしで生首の目を突くと、わっと叫んだ累の目から血が流れ出したのですお~怖!

大詰(絹川堤の場)
空月は大きなつづらを背負ってやってくる。つづらの中には小三(まさか~)。小三をさらって番頭に渡せば大金がもらえる。例の宝刀とその金を手づるに出世は思いのままだ~と言う(まさか~×2)そこへ助七が追いついて、さらに金五郎も来て姉の仇!と立ち回りになる。あれほどの大悪人もここで討ち取られる。

このあと追いかけてきた与右衛門はさらわれた赤ん坊を取り返したけれど、お吉の霊がのり移った累は「仇の胤は根絶やしにせずにおくものか!」といって赤ん坊を川に投げ込んでしまいます。それを見た与右衛門は、自分の女房が主から預かった大事な世継ぎを殺したとあっては武士の面目が立たぬ(あなた、お百姓でしょ~が?)。殺すしかないと鎌を振り上げて、片足が不自由で、片目も醜くつぶされた累を追い回すのです。

ほんとにこの最後の部分、例の稽古場で見せてもらったこの部分がやはり全編の圧巻でした。何と舞台上に本水の雨がザアザア降り注ぎ、その雨の中、逃げる累の帯が解け、雨にぬれて水を含んで重くなっている帯を累はバシャリバシャリと振り回して応戦する、とても凄惨な立ち回り。

舞踊の「かさね」と同じ場面だけれど、あの与右衛門は色悪。でも、ここではそれまで平和に暮らしていた善良な百姓というところがよけいに痛ましい。突然現れた空月のために、最愛の女房は足が悪くなり、目もつぶれ、とうとう殺さなければならなくなってしまう。元武士ということにがんじがらめになった人間の悲しさ。濡れてびしょびしょになりながらの矢之輔さんの熱演は、そんな情念も見えてすごかったです。

鎌でようやく累を殺したけれど、そのあと怨霊と化し、さらにものすごいことに 逃げる与右衛門を累は霊力で引き寄せてしまう。操られてくるくる回る与右衛門。そして最後は二人の(何て恐ろしい形相)決めのポーズで幕。内容はともあれ、その最後のクライマックスは本当に息を呑む凄さでした。とにかく矢之輔さんがすばらしかった。

何か、凄いもの見ちゃった!って感じでしたが、やっぱり内容はかなり後味悪くて、子どもたちは「夜寝れない~」と言っていました。私は帰ってから口直しに(?バレエは平和でいいよね~常に「愛」がテーマだから)コジョカルの「眠れる森の美女」のDVDを見たけれど、やっぱこのものすごいインパクトは消せない~!これを書いた鶴屋南北がすごいのか、上演した前進座がすごいのか、数日たった今でも怖さは尾をひきます~だけど、色欲や出世欲などドロドロの人間の心の闇の部分を捉えて、人間的な感情よりも主従関係に縛られる武士のあほらしさや、運命に翻弄される人間の悲しさまで正面きってお芝居にしてしまう、歌舞伎というものの持つエネルギーの凄さを感じたこの日の観劇でした。

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2008年9月13日 (土)

化かし化かされ?「狐狸狐狸ばなし」

080911_1812001 まだ行ったことがなかった赤坂サカスの、赤坂ACTシアターに行ってきました。この劇場自体は、前に熊川哲也の「カルメン」を見に行ったりしたことがあったし、場所も地下鉄の駅を出てすぐの同じ場所なのでそんなに変わった気はしませんでしたが、あとで改めて周りを見たら、ここはどこ?状態でしたね~。

中村勘三郎の赤坂大歌舞伎「江戸みやげ狐狸狐狸ばなし」を見てきました。勘三郎さんも見たかったけれど、私のおめあては実は段治郎さんでした。演目については何の予備知識もなく、どうやら今までの段治郎さんのイメージとは違う役らしい‥‥ぐらいで。

行ってみたら、その変貌ぶりに驚愕!何だ~このやくざれ坊主は!今までヤマトタケルとか、義経とか、りりしく美しい悲劇の王子様ばかりを見てきたので、いきなりのスキンヘッド姿は刺激が強すぎました。それに、このべらんめえ調に崩れたスケベな坊さんっぷりは一体何?ショック~!なんだけど‥‥‥。2008_0913_182949imgp6189

歌舞伎になる前にも、何度も上演された人気演目だそうですが、確かに面白い。歌舞伎というより、何だか昔のドリフターズとかを見ているような感じです。ただ、セリフがちょっと色っぽい内容なので、お子様にはどうかと思いますけどね。

まだあと1週間あるので、詳しいことは書きませんが、大体の内容は以下のとおり。勘三郎扮する伊之助と、その女房おきわ(扇雀)のドタバタなお話。おきわには浮気の相手の重善(段治郎)という若い坊主がいる。しつこい伊之助にはもう嫌気がさして、別れたいのだがそうもいかない。伊之助は浮気を知ってはいるが、おきわとは別れたくないので見て見ぬふり。

一方重善にはもう一人、成金の娘おそめに気に入られて追いかけられているが、これが「牛娘」といわれるいわくつきの娘。おきわは、重善に迫るおそめを追い払い、早く自分と一緒になってくれと頼むが、重善は不逞な奴で、伊之助を殺したら一緒になってもいいという。

おきわはフグ鍋の中に毒薬?の染め粉を入れて、フグにあたったとみせかけて伊之助を殺す。ところが伊之助は翌朝、何もなかったようにお化け(?)になって出てきて、一同をさんざん怖がらせるのですが‥‥‥。

という、もう次から次へどんでん返しに次ぐどんでん返し。その怖がりよう、怖がらせようが面白いし、普通の歌舞伎にはないアクティブな表現で、もうゲラゲラ笑っていました。内容はばかばかしいんだけど、勘三郎さんはチケット代分は必ず楽しませてくれますよね~。笑いながらも人間の心にあるエゴやしたたかさ、男女の思惑の違い、打算など、いろいろなものが見え隠れして、面白かったです。ただ結末がね~。あれじゃあ延々と化かし合いが続いていくような感じで落ちどころがないの。だからもう「こりこり」なのかもしれませんね。

赤坂ACTシアターは前5列ぐらいは平らだけれど、そこから後ろは結構傾斜があり、見やすい劇場でした。花道がないのでどうするのかなと思ったら、下手側の通路に降りていって、真ん中の横の通路を右左ともふんだんに使い、役者さんが時には踊りながら、時には全力疾走で駆け抜けていったりして、花道はないけれど客席の中に入って奮闘してくれました。

休憩はさんで「棒しばり」。こちらは狂言からとったお芝居&舞踊で、単純で上品な笑いで楽しませてもらいました。勘太郎、七之助兄弟がかわいいのって、もうかわいいという年齢ではないと思うけど、勘三郎さんというスターの息子さんで、この道をひたすらまっすぐに歩んできたのねという、そういう一途さがほほえましいというか。もちろん二人の息もぴったりで、芸達者で明るくて、華やかで、本当にいい息子さんたちという感じなんだけど。スター性ということではどうなんでしょうね。あまりに勘三郎さんが大きな存在なので、いつもお父様と同じ土俵の上で、しかも二人ワンセットではちょっとつらいような気もします。

お目当ての段治郎さんはどうだったかというと、あんなに表情がころころ動くところを初めて見ました。とても楽しい役だと思うので、生き生きとやっていました。ふと、表向きの顔を見せるときはちゃんと端正できりっとした段治郎さんらしいところもあったしね。坊主のカツラで黒い僧衣姿なんだけど、長身で小顔の現代風のかっこよさ。おそめ役の亀蔵さん、顔が段治郎さんの2倍ぐらいありました!「何でこんなにモテるんだろう」なんていうところは、悪そうな表情が色っぽくて、思わずかぶりつきたくなっちゃった(?)

ただこの坊主、本当に何考えてるのかわからない。心底おきわに惚れているのかというと、年増女と遊ぶのはいいけど、べったりされるのはいやいやながらみたいなところもあるし、かといって牛娘の婿になる気はさらさらないけれど、金持ちの娘とつきあうのもちょっといい、みたいな、打算ばっかりのしょうもない奴なんだよね。色男ってそんなものなのかな。(かえって嫌がられている伊之助のほうがおきわにぞっこんで、まめまめしくていい奴なんですよ)ほんと、ありえない性悪坊主なんだけど、悪い奴でもなぜか憎めない生臭坊主でございました。

両演目とも面白くて、楽しかったけれど、まあそれだけで、おうちへお持ち帰りするほどの感動はそんなにありませんでした。登場人物は自己チュー人間だらけで、愛も正義もさらさらないから感動しようがないんだよね~。

それでちょっと物足りなさを感じて、帰り、時間も早かったので少しその辺をぶらつくことにしました。赤坂はそんな変わりようでしたが、ちょっと外れて乃木坂のほうに歩き始めると、だんだんあまり変わっていない風景に。実は、昔仕事でこの辺にちょっと縁があったことがあって、そのころ行ったことのある食べ物屋、のぞいていたブティックなど、同じお店かどうかはわからないけれど、そういえばこんなところにこんな店があったな~と懐かしく歩いて行くうち、乃木坂駅まで歩いてしまいました。

あの頃はバブルの真っ盛りで、若者はみんな宵越しの銭は持たないくらいばかみたいに遊んでいたけれど、いい時代だったなあ。あれから間もなくバブルがはじけ、日本は大きく変わっていった。私は長男が生まれ、子育て戦争に突入し、こんなおしゃれな界隈には全く縁がなくなり、すっかり多摩のオバサンになって今に至っているのです。この18年あまり、私も変わったけれど、世の中も価値観も変わってしまった‥‥そんなことを考えながらちょっと懐かしい地下鉄の階段を降りていくと、駅はまだ9時過ぎなのに誰もいない。

何だか「地下鉄に乗って」という映画みたい。地下鉄に乗ってタイムスリップするというお話。あの結末は納得できなかったけれど、何か切ない話だったよね~。近未来的なエリアから思いがけず懐かしい道を歩いてきて、気分もあの頃にタイムスリップしたような状態で地下鉄に乗りました。そして、乗り換えの原宿駅も、何だ~昔と全然変わってないじゃない。そしてそのままの気分で家に帰ると‥‥‥。

あれ?私って、こんなに大きい子がいたんだ!?しかも二人も!

何だか見事に、赤坂の狐か狸に化かされて帰ってきたみたいですね。楽しい観劇でした。

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2008年8月21日 (木)

「懐かしきものが甦ってまいった!」

「新・水滸伝」初日を見てきました。実は私、笑也さんのファンといいながら、パルコ劇場(ル・テアトル銀座)の21世紀歌舞伎組公演を見るのはこれが初めて。

前に地方公演で「義経千本桜」の忠信編は見たけれど、21世紀歌舞伎組としてのオリジナル作品(しかも久々の新作)はこれが初めてだったのです。だからちょっと楽しみで、予習として北方謙三の「水滸伝」を読み始めました。ところが、これがまだ2巻で(全19巻!)止まっていて何しろ長~いお話なんですよね。昔、横山光輝のマンガを読んだけれど、これがまた絵柄が「三国志」とかぶって登場人物が覚えられなくて、ストーリーもほとんど覚えていません。あのとてつもなく壮大なお話の、一体どこの部分をとるのだろう??どうやって一つの舞台にまとめるの?と思ったけど、予習なんて全然いらなかった。水滸伝をベースにしていても、ほとんど創作といっていいものでした。

まだあと2週間あるので、ネタバレはどうかと思うけど、差し支えない範囲で。

何かね~。最初に言ってしまうと、満足度は低かったです。まず、休憩なしの2時間で終わりなんて知りませんでした。歌舞伎座行くみたいにお弁当を買って行ったのに、食べる時間がなかったわ~ 歌舞伎だったら大体休憩2回入れて4時間ぐらいあるから、「え?これだけ?」という感はどうしてもありました。宝塚ならもう少しお安いチケット代で、これに歌と踊りのショーがついているよね~。

でも、笑也さんは期待どおりとっても素敵でした。今回はりりしい女戦士の役で、何だか昔見た「里見八犬伝」の犬塚信乃を彷彿とさせました。信乃はこれとは逆で、陰謀から逃れるために女の子として育てられた男の役だったけれど、こちらは子どもの頃に纏足をいやがって、女ながらに剣の修行をして育ってきたという役どころなのです。ともに男と女が交錯し、笑也さんのためにあるような役ですね~。きれい~素敵~かっこいい~ もう思いっきり「笑也萌え」しちゃいました。大体、今回段治郎さんが出ないので、笑也さんだけを見に行ったようなものなので、これだけで当初の目的は達せられたといえばそうなんですけどね。

その笑也さん扮する女戦士がただの女になったとき、突然のすごいカマトトぶり!これは「みやず姫」の笑也さんのかわいさそのままなのだけれど、屈折した育ち方をしていたという設定からなのか、何だって男を(美醜を?)見る目がないのさ~?何と笑也さんのお相手は、猿弥さん演ずるむさい醜男!確かに心はきれいで頼り甲斐のあるいい奴なんだけどさ~。こういうのってミーハー的には許せなくないですか!?(別に猿弥さんが嫌いなわけではありませんが)

宝塚にしても何にしても、古今東西ヒロインとくっつくのはイケメン美男子って相場が決まっているじゃないですか!「美女と野獣」にしたって最後は魔法が解けて素敵な王子様になるでしょう?内面の良さがわかればいいんだというのは余りにミーハーの気持ちをわからなすぎ!現実にはそういうことはあっても、舞台を見るときは夢の世界でいたいわけよ~ なんて、私って変なところにこだわりすぎですね。

でも、全体的に色気がないの。春猿さんはヤンキー?な姉御の役で、お姫様しか見たことなかった私はドキドキしちゃいましたけどね。美しいお顔で「アタシはね~○○なのさ」なんて言われると「オオッ」と思っちゃったり。最初にいきなり着物のすそをめくってチラッと細くて白いおみ足を見せたときはびっくりしたけれど、威勢がいいばっかりで色っぽい話のひとつもないのにはがっかり。

それではヒーローはというと、右近さん演じる林冲。これがまた、陰謀で役職を追われ、お尋ね者に身を落としたことを自嘲するばかりの、どうしようもない飲んだくれ。その林冲が、盗賊あがりの烏合の衆だった梁山泊の仲間達とともに団結し、再生していくお話なんだけれど、どうも私は右近さん、変なアクがあって苦手なのです。それに浮いたところがないので、うっとりする場面がないのはミーハーにはつらい

だけどこの話、段治郎さんがいたら一体どんな役だったんでしょう?これだと段治郎さんの役がない。新作だから、メンバーを見て脚本を書いてるのかな?これに段治郎さんが加わって(史進か何か?)両雄並び立つ感じになったら面白かったろうな~なんて、ずいぶん勝手なことを言っていますね。

初日ということで、皆さんけっこう台詞をかんでましたね。「替天行道」という旗をばっと出したら、字が裏側だったとか。そういうのは回を重ねるごとによくなっていくんでしょうけどね。初日に行ったのは、よかったらまた行こうと思ったから。でも‥‥私は今回はリピートしないと思います。。。そう、初日なのにぱらぱらと空席があり、舞台装置も何となく現代風に超簡素というか、面白みに欠けて少し淋しかった。何か、これを読んで「じゃあやめておこう」と思ったら本当にごめんなさい!ミーハーなので視点がちょっと違うので

ただ、思いがけないサプライズがありました。ぎりぎりに行って急いで席に着いたので、最初プログラムを買っていませんでした。休憩もなかったから終わったあと買ったのですが、並んでいたのでちょっとロビーでゆっくりしていたのです。そうしたら吹き抜けになった1階上のロビーに、何と猿之助さんがご登場!もうお客さんも半分以上帰られたようなタイミングでしたが、そそくさと帰らなくてよかった~!こちらの拍手にこたえて何度も手を振ってくださいました。

「ヤマトタケル」のときは、千秋楽を含め数回、カーテンコールのときに姿を見せたと聞きましたが、私が行った3回とも当たりませんでした。猿之助さんは、私が歌舞伎に興味を持つきっかけを与えてくれた人です。宙乗りや早替わりなど、次々にびっくりするようなことをやってのけ、とっつきにくくすました伝統芸能の世界を一気にワンダーランドに変えてくれました。本当にあのオドロキは忘れられません。猿之助さんを見たのはいつが最後かなあ。2002年の「珍説弓張月」だったでしょうか。御年68歳。とはいえ歌舞伎の世界では、同年代の方々はまだまだ元気に舞台に上がっている年齢です。脳梗塞?で倒れて5年、もう舞台での姿は見ることはないのかなあと思ったら感無量でした。

加藤和彦の音楽は、「ヤマトタケル」を思い出させました。パルコ劇場はこじんまりして、どこに座ってもよく見えるし、舞台と客席がとても近くて、迫力があっていいこともあるけれど、やっぱり壮大な歴史絵巻のようなスーパー歌舞伎が見たいなあ~!

一方でよかったといえるのは、みんなで盛り上げていこうというエネルギーだったかな。「替天行道」の旗印のもと、烏合の衆だった連中が心を一つにしてまとまっていく姿は本当に21世紀歌舞伎組そのものだし、「懐かしきものがよみがえってまいった」という林冲の言葉は、舞台に対する猿之助さんの、再び湧き上がった熱い情熱のようでもありました。「新・水滸伝」はそんなヒーローの再生の物語だったのです。

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2008年7月14日 (月)

歌舞伎座7月昼の部

Img 玉三郎と海老蔵出演の7月大歌舞伎「義経千本桜」は、海老蔵の宙乗りもあって、早々にチケットが完売になったほどの大人気だそうですが、その公演に行ってきました。

実は私は海老&玉よりも「鳥居前」で義経を演じる段治郎さんと、静役の春猿さん目当てだったのですが‥。まあいいじゃないですか、こんな人がいても。

「義経千本桜」は古典中の古典でありながら、私が歌舞伎を身近に感じたきっかけとなった作品、というか、これで「荒事」とか「ケレン」の味を覚え、歌舞伎の古臭いイメージが壮大なスペクタクルというものに変わっていったのです。だからけっこう好きで、思い入れのある演目でした。

3月に「ヤマトタケル」を3回も見て、大ファンになった段治郎さんですが、4ヵ月のロングランを終えたばかりなのにもう歌舞伎座にご出演です。8月に予定されていた「新・水滸伝」を膝の治療のため休演ということですが、「ヤマトタケル」であんなに激しい動きを続けてきて、大丈夫だったんでしょうかね~。今回の(夜の部は知りませんが)昼の部の義経はほとんど動きがないので、膝に負担はかからないと思いますが。それでまた9月は赤坂ACTシアターにご出演と聞き、驚いています。9月も見に行きたいです。。

その「鳥居前」の場です。
わ~、4ヵ月ぶりの段治郎さんだわなんて、歌舞伎に対してもこんなにミーハーになってしまってどうしましょう。
段治郎さんの義経は涼やかでまさに貴公子。平家を滅亡させた勇猛な武将、というよりも、兄頼朝に疎まれ、都を落ちてきた悲劇の御曹司の様相です。内に哀愁を帯びて節目がちなのもまた素敵。。でも、義経ってあまり出番ないのよね。もっとあの高貴でりりしい姿を見ていたかった‥!

春猿さんの静御前も、かわいらしくて一途な感じで素敵でした。姿だけでなく声もきれいですしね。この義経と静の並びは本当に美しかったです。

義経は都を落ちるときに、静御前に何も言わずに出て来てしまったのです。静は義経に追いつき、連れて行ってくれと頼みますが、落ちのびる先に何があるかもわからず、とても愛する人を連れて行ける情況ではありません。(この辺が「ヤマトタケル」とは違うのね~)別れるつもりで都を出たものの、追いかけてこられると心が動いてしまいます。郎党に諌められ、心を鬼にして、法皇から授かった大事な鼓を静に託し、すがる静をうち捨てて鳥居の内に入っていく義経。

あとを追ってこないように一人、梅の木に縛り付けられた(ひどいことをするものだ!)静のところに、変な追手の一団がやってきます。早見藤太とその家来たち。ここのチャリ場が、私の関わっている農村歌舞伎などではとても長いのですが、ここでは余計なことをせず、ごく古典的なノリの部分だけをさらっとやっていました。かなり間延びがしてる感じはしましたが、家来たちがよく揃っていて、それなりに面白かったです。さて、藤太一味に取り囲まれて静ピンチ!のそのとき。

「やあやあ~しばらく待て~!」と忠信が登場するのですが、揚幕の中での影台詞が結構長く、何を言ってるのかわかりませんでした。隈取を華やかに描いた海老蔵の忠信は、勇ましくてすごくカッコいい。やっぱりメチャメチャ華のある人ですね。そこでひとしきり立ち回りがあって藤太一味を追い払うのですが、時々狐の妖術を使います。(もうちょっと妖気漂う感じでもよかったけどな~)とにかく若々しくて力強く、よかったです。ただ、一言台詞が出てびっくり。こんなに甲高いすっとんきょうな声を出す人だっけ??そうかと思うと時々(団十郎さんのような)こもったような声になったり、声のトーンが変わるのが気になりました。ビジュアル的には申し分ないけど、声は好みじゃないわ。。

そこへ再び義経一行。故郷に帰っていた忠信が突如現われて、静を助けてくれたことを喜んだ義経は、愛用の鎧と源九郎義経という姓名まで与えて、静の守護を命じて再び落ちびていきます。静に思いをのこす義経を弁慶が間に入って促し、すがる静を押し戻す忠信。ここで静、忠信、弁慶、義経と並んだところは本当に絵のようにきれいでした。何だか久々にご高齢の方々じゃない、ビジュアル的にも満足のいく一幕でした。

「吉野山」の場
変わって満開の桜、春爛漫の吉野山のセットがとても美しい場面。あれから時がたち、九州に逃れようとした義経は嵐で断念。吉野に身を寄せていることを聞いた静が、忠信を伴って尋ねていく場面です。でも、この場面はほとんど舞踊なので、大体ここでいつも眠くなるのですよね。バレエと違って日本舞踊は退屈だし。特に去年見た「吉野山」は65歳の忠信と80歳の静御前だったので、もう寝るっきゃないという感じ。だけど今回は玉三郎の静と海老蔵の忠信。「吉野山」で眠くならなかったのは初めてでした。それどころか、すごく幻想的で美しかった。

桜満開の吉野山に分け入って、忠信とはぐれてしまった静。でも、静が鼓を取り出して打ち始めると、どこからともなく陶酔したような忠信が現われます。「鳥居前」での豪傑の姿ではなく、すっきりとした優男ぶり。うう~やっぱりきれいです。玉三郎の静ももちろんきれい。美しい人が踊れば、退屈な吉野山もこんなに素敵な場面だったなんて

人気のない深山の桜の木の下に、忠信が義経から拝領した鎧を置き、その上に静が鼓を置いて義経に見立て、互いに義経を思いながら踊る踊りは、今まで寝ていてまともに見たことはなかったのですが、意外に面白かったんですね。二人で源平の合戦での出来事を踊りで語るところから、次第に義経恋しさの思いにつながっていく。恋人同士じゃなくて、主従なんだけど、かしずく忠信と視線を交わす静の間にさわやかな色っぽさがあって、ああ、バレエでいえば「海賊」のアリとメドーラだわ~なんて思ったりして一人悦に入っていました。

「川連法眼館」の場
川連法眼の屋敷にかくまわれている義経のもとに、奥州から帰ってきた本物の忠信が訪ねてきます。実は今までの忠信は、鼓の皮になった狐の子で、親の鼓恋しさに忠信に化けて静を守護して旅を続けていたのでした。そのあと静も到着し、再会のあと、またもう一人の忠信がやってきたとの知らせ。不審に思った義経は静に偽忠信の詮議を命じます。この場面の静(玉三郎)は本当にきりっとして素敵。門之助の
義経は見た目は‥‥だけど、愛情深い、優しい義経でした。

さて、一人残った静が鼓を打つと、どこからともなく、というか、いきなりすぐ近くに忠信が現われます。さすがに何回も(DVDも含め)見ているともう「出があるよ!」にはだまされませんね。階段のところから出てくる場面、ちょっともたついた感じがしましたが、鼓に聞き入りうっとりとしたような表情は、まさに狐忠信。だけどね~。きれいなんだけど、やっぱり声が、台詞が‥‥‥。

このあと静に見破られ、狐に早替わりして狐言葉になるのだけれど、時々変な調子になって会場からクスっと笑いが出るんですよ。確かに狐言葉はおかしなものだけど、今まで猿之助や右近の狐忠信を見ていても、ここで笑ったことはありません。何で笑いが出るの??それは時々狐じゃなくて素の海老蔵が出ちゃうからだと思う‥。姿に似合わずかわいい声が出るんでつい笑っちゃうけど、ここで笑われちゃホントはいけないですよね。狐そのものになっていなきゃいけないわけで。狐といっても、人間に化けて人間の言葉をしゃべっているのを見破られた狐、という複雑な情況ですからね。それが妙に甲高くてかわいかったりするので、変なのです。笑っちゃ悪いと思いながらところどころ笑っちゃいました。(そういえば「鳥居前」の大見得のカッカッカッと力むところでも笑いが‥

それと、やっぱり私の中では猿之助さんがスタンダードになっているので、違うんですよ。狐の本性が出て激しくクルクル回りだすところとか、ダイナミックだけど何か雑。若いから仕方ないのかな?親の鼓が恋しくて離れがたいことを切々と語るところなどは泣けたけど、それも門之助さんの暖かくて渋い演技があったこともあるし。鼓をもらったあとの喜びようもちょっとね~。宙乗りもきれいじゃなかったなあ。バタバタと動きすぎなのかも。姿はとても美しいのだけれど、すみません、この狐忠信はもうひとつ好みじゃなかったかなと。

というわけで、今回は珍しく「吉野山」の美しさに圧倒されました。そして、やっぱり歌舞伎だってビジュアル大事だよ~!と思った公演でした。歌舞伎も見始めるといろいろ見たくなります。夜の部の「夜叉ヶ池」にも段治郎&春猿がご出演なので見てみたいし、シネマ歌舞伎の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」も、ちょうど今月やっているのでこれも見たい!だけど、もう7月はバレエ鑑賞でいっぱいいっぱいでこれ以上は絶対無理!残念だけど‥‥。ともあれ今月、思い入れのある「義経千本桜」、完売御礼の人気公演を見ることができて満足でした。

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2008年5月14日 (水)

東海道四谷怪談

この間見た「團菊祭」の「白波五人男」の話を、歌舞伎をあまり知らない人にすると、やっぱり「何それ~?五人男、歳行き過ぎ!」「どうせ勢揃いするならもっと若い子がいいよね」という反応でした。歌舞伎のことをよく知っている人だったら「すごい顔ぶれね」とでもいうのでしょうが。それでもまあ歌舞伎座のお客さんの年齢層(70代~80代もけっこういらっしゃるようですし)からすれば、50代~60代はまだまだアイドル?なのかもしれませんね~(?!)050

バレエのほうは、特に見たいというものも7月までないので、今月は勉強で?歌舞伎を見ようと決めました。今度は新橋演舞場の五月大歌舞伎夜の部「東海道四谷怪談」です。私は今まで歌舞伎は好きだけど、そんなにいろんな演目は見ていなくて、見たものもかなり偏っていました。なので、この機会に有名なものはとりあえず見ておこうと思ったわけです。特に「通し狂言」なら歌舞伎入門にはちょうどよいですから。

「四谷怪談」は言わずと知れたお岩さんのお話です。だからお化けの話、「うらめしや~」の世界だと思っていました。映画なんかで見るとリアルで、怖くて、もうやめて~!という感じだったと思いますが、歌舞伎では周囲のいろんな人間模様が描かれ、ただ怖いだけでなく現代に通じるところもあり、とても興味深く見ることができました。特に忠臣蔵の裏話として書かれているところ、その対比(忠義と非道)も面白いと思いました。

初演は先日見た「白波五人男」の37年前、文政8年(1825年)。異国船打ち払い令が出た年です。江戸の爛熟した文化にも影が見え隠れしだし、そろそろ幕末にさしかかろうという時期。そのあとに天保の改革、大塩平八郎の乱と続くように、もうどうしようもなく世の中が行き詰り始めた時代だったのだと思います。悪者がかっこいいという歌舞伎の世界で、特に「四谷怪談」の民谷伊右衛門は「色悪」の代表と言われていますが‥‥現代人の目からはどうでしょうか。多分もう、こんなの信じられな~い!という主人公像だと思いますよ。

そもそも何で今、夏でもないのに「怪談」なのか。見てみると、実際とんでもない話です。突っ込みどころが多すぎて、笑っちゃうくらいなところもあります。そうやって茶化してしまえばそれまでなんですけど、何だろう?これってすごく今の時代を映し出しているような、そんな気がして一瞬ゾッとしてしまいました。

実際ここ数ヶ月間、ものすごく世の中は揺れています。後期高齢者医療制度、道路特定財源、物価上昇‥‥そして中・高生を狙った犯罪や、相次ぐ自殺。私は最近ほとんどワイドショーとかを見なくなったのですが、どんなことが騒がれているのかを考えるとますます見る気がしなくなります。何だかいよいよ世の中が行き詰って「幕末」のような様相を呈してきたという感じです。人々が欲得で動き、刹那的に罪を犯し、それを毎日伝えるマスメディア。常識的な価値観が崩れて、なんでもありの世界になっている。そんな今の時代そのものが「怪談」のような世界なのかもしれません。

そういう意味ではとても面白く、今月は歌舞伎座の「白波」より、演舞場の「怪談」に、わたし的には軍配を上げちゃいました。とはいうものの‥‥‥。

「東海道四谷怪談」はベースに赤穂浪士の話があり、登場人物もやたら多く、関係も複雑で、人物相関図を見てもついていけなくて前回のような幕ごとのあらすじはあと2回ぐらい見ないと書けそうにありません。なので気が付いたところだけを重点的に書くことにします。

序幕 第1場浅草観音堂の場~第4場裏田圃の場
お岩の父、四谷左門は塩谷判官(赤穂藩、浅野家)に仕えていた武士で、お家断絶のあとは浪人して日々の生活もままならない。妹のお袖は昼は小間物屋で働き、夜は地獄宿(今で言うマンション何とかか?)に出て客を取っている有様。お岩自身は同じ赤穂出身の民谷伊右衛門と夫婦になり、お腹に子供までいるのに、伊右衛門が御用金を横領して逐電した悪者ということで父左門に連れ戻され、離縁させられています。(それなのに最初に出てきたときは、ゴザを持ってまるで「夜鷹」?みたいでしたけど‥)

伊右衛門は最初の場面でチンピラにからまれている左門を助け、お岩との復縁を願い出たりするのだけれど、悪事をなじられかっとなって左門を殺してしまいます。当の左門殺しの下手人のくせに、嘆くお岩に殊勝な顔をして「父の仇を討ってやるから」といって、二人はよりを戻します。

一方妹のほうは、やはり元赤穂の直助というもう一人の悪党に言い寄られています。お袖は相手にしないのですが、それならと、夜お袖が出ているという地獄宿にやってくる。わけがわからないのですが、地獄宿では客のダブルブッキングでトラブルになってしまいます。直助のほかに来た客というのが、最初暗くて顔が見えなくて、お袖は許婚者に操をたてるため客は取れないという(??)のだけれど、それがよく見ると許婚者の与茂七。お互いに「何でこんなところにいるんだ?」となってしまいます。(何で?とはこっちが聞きたいです。)直助のほうはお袖に振られたばかりか、与茂七にお袖との仲を見せ付けられ腹の虫が収まりません。直助は与茂七を殺そうとあとをつけていきます。

この与茂七は、商人に化けてはいるけれど、実は主君の仇を討とうと、高師直(吉良上野介)を狙っている一人なのです。この日も仲間と連絡を取るために町外れに行って仲間の庄三郎と落ち合うのですが、そこで気付かれないようにと庄三郎と着物を交換していきます。そこへやってきた直助は、与茂七と思いこんで庄三郎を殺し、証拠を消すため顔までつぶす残忍さ。よりによって伊右衛門に殺された左門と、直助に殺された与茂七(の着物を着た庄三郎)の死体が並んでいるところへお袖とお岩がやってきて、互いに泣き崩れるのです。

これだけで「そんなばかな~!」なんだけど、ここで仇を討ってやるとか何とか言いくるめられて、お岩と伊右衛門は復縁し、お袖は直助と仮の夫婦として暮らすことに。え~!?だよね。もっとよく調べなさい!って言いたいです。とっさにかっとなって、簡単に殺してしまうのは今もよくある殺人の動機。だけど当の下手人が、被害者家族をまんまと言いくるめて思い通りにしてしまうなんて、唖然です。

二幕目 第1場伊右衛門浪宅の場~第3場
伊右衛門とお岩が住むうらぶれた貧乏長屋。伊右衛門は浪人らしく傘貼りをしています。お岩は子どもを生んで、産後の肥立ちが悪くて臥せっている様子。離縁されているところをわざわざ親を殺してまた一緒になったのに、「面倒な餓鬼まで生んで」とはひどい言い草ですよね。どうやらお岩はあまり大事にされていないようです。

そこへ薬を盗んだといって小平が引っ張られてきたり、借金取りが来たり、いろいろ忙しいのだけれど、隣の伊藤家の使いも出産祝いを持ってやってきます。大体こんな超ボロい長屋と隣りあわせでお金持ちのお屋敷があるのも信じられないけど、そのお金持ちの家が、ただの浪人の伊右衛門に、酒や着物や産後の薬、お金まで出産祝いにくれるなんて、どう考えても変ですよね~。

伊右衛門はお岩に促されて隣の伊藤家にお礼を言いに行くことにします。このとき、粗末な着物では行けないと言うと、お岩は奥から羽織を出してきます。どんなに貧乏しても、何かあったときのためにこれだけは質に入れずにとっておいたというお岩。武士の女房としての心遣いがわかります。お岩は名前のとおりとても賢くて堅実な人なのです。それをまた伊右衛門はうっとおしく思っていたりするわけですが。

舞台が回って、隣の伊藤家の豪華なお屋敷。ほんとに貧乏長屋と背中合わせなんですね()実は伊藤家は高師直の家臣なので、伊右衛門に近づいたのも塩谷の浪人の動向をうかがうためかもしれませんが、一番の理由は、何と孫娘が、隣の伊右衛門に惚れてしまって、もうどうしようもないというのです。孫娘かわいさにお岩と別れて婿になってくれという伊藤喜兵衛。もうむちゃくちゃ!でも、こんな常識はずれの溺愛親ばか(爺ばか)って、現代でもありそうですね。

伊右衛門は悪いやつだけれど、一応「お岩がいるからそれはできない」と言うんですよ。おやおや、根っからとんでもないやつでもないみたい。でも、それを言うと孫娘のほうは「叶わないなら私は死にます」といってまたまた刃物を出す!またまた、というのはこの間の「白波五人男」にも同じようなシーンがあったから。全く歌舞伎に登場する若い娘というのは、みんなどうしようもないわがまま自己チュー娘ばっかりです!

ところが、喜兵衛は「実はお宅の奥さんに、産後の薬だといって毒を盛ってしまった。今頃はその毒が効いて醜い姿になっているだろうよ」というの。驚いた爺さんです。あきれました。伊右衛門は覚悟を決めて娘の婿になるといいます。喜兵衛は喜んですぐに婚礼だといい、伊右衛門にお金を与え、仕官もさせてやろうといいます。貧乏浪人ゆえに金と仕官に目がくらんだ伊右衛門よりも、お岩に毒を盛って無理やり意を通そうとする喜兵衛のほうがずっと悪者だと思いませんか。

またまた年齢の話で申しわけないんだけれど、伊右衛門役の中村吉右衛門さんは63歳。何だかね~。いくら女房子持ちでも、隣の16の娘が死ぬほど惚れるくらいなんだから、どう考えても30以下の役だよね。吉右衛門さんはそれなりにかっこいいんだけれど、やっぱり年相応で、それほどまでの色男には私には見えないんだけどなあ。対するお岩役の福助さんはまだ40代なのにどうしてあんなに老けて見えるのかしら?産後すぐの若妻のはずなんだけどね~。(52歳のお袖役、芝雀さんのほうがずっと若く見える‥‥眉毛のせい?)まあビジュアル的にはいかんともしがたいので、もうそういうものとして純粋に「芸」を見るしかないですね。

伊右衛門の留守中に、お岩はもらった産後の薬を飲みます。私は実はこの薬を飲む場面に一番感動してしまいました。産後で具合が悪く、本当につらそうで痛々しいお岩の立ち居振る舞い。わらをもつかむ気持ちで、薬を押し頂き、ありがたがって、心底うれしそうに、感謝して飲むその姿はいじらしく、涙が出てしまいました。老けてるなんて書いちゃったけど、この場面は本当に福助さんが純粋無垢な少女のようで、かわいらしくすらありました。

ところが、薬を飲むとすぐにお岩は苦しみだします。この辺からがさらにすごいです。伊右衛門が家に戻り、お岩の変わりようにびっくりするのですが、悪に加担しているから、それは気付かないふりをしてるのです。もちろんお岩も自分の顔がひどくなったなんて気がついていません。変わり果てたお岩に、お前が死んだら若い妻を娶るんだとか何とかいって引導をわたし、さらに質草が必要だといってお岩や子どもの着物を剥ぎ取り、吊ってある蚊帳まで持って行ってしまう。蚊帳ばかりはと懇願するのは、弱い赤ん坊が蚊に刺されたら伝染病になったりするので、蚊帳は必需品だったのでしょうね。

お岩が泣くのも聞かず、蚊帳も奪い取ってしまいます。そのとき抵抗したお岩の爪がはがれて痛そう  かわいそう!本当に凄惨な場面です。伊右衛門はさっさと行ってしまいます。さっきあれだけお金をもらっておきながら、どうしてそんなにきれいじゃない着物や、ボロい蚊帳まで取りあげていくんでしょうね。大した金にもなりそうにないのに。まあ、そんなふうに突っ込んでも、歌舞伎はもう理屈じゃないんですね。そうやってどんどん悲惨な情況へと観客をいざなおうとしているのでしょう。だって、次の場面で鏡を見たりお歯黒をつけたりするんですよ。鏡や化粧道具のほうがよっぽど金目じゃないですか?だけど化粧道具を持って行かれちゃったらそのあとの話が成り立たないですからね

外へ出て入れ違いに戻って来た宅悦という按摩。別に目が不自由な人ではありませんが、民谷家に出入りして何かと世話をしているような人です。伊右衛門はこの宅悦に金を渡し、お岩に不義をもちかけてどこかへ連れて行けと脅します。全く、自分で始末をつけない卑怯な男です。困ったのは宅悦。先ほどひどい形相のお岩に驚き、油を買ってくるといって逃げ出したのに、今度はそのお岩をどこかに連れて行けなんて、ひどすぎる。宅悦はお岩の変わりように改めて驚き、不義をほのめかしてもはねのけられ、困り果ててお岩に本当のことを話してしまいます。

びっくりしたのはお岩ですよね。ありがたい薬と信じて、拝む気持ちで飲んだ薬が毒薬だったなんて。そして伊右衛門の裏切り、隣家のひどい仕打ち。鏡を見て2度「ひぃ~っ」と声を上げて驚いたお岩。ここからはもう目が据わっていました。宅悦の止めるのも聞かず、伊藤家へ礼を言いに行くのだというお岩。そこで「せめて女のみだしなみ」と、通常産後はやらないというお歯黒をつけ、髪をすくのです。ああ、それが何とも恐ろしい!

最初は悲しげなのですが、髪がごっそりと抜けるたびに驚き、だんだんすごい表情になっていくのです。(「みだしなみ」というならやらないほうがいいのに‥‥)次第にお化けの形相に変貌していく様は、痛ましくかわいそうだけれど、放心したような哀しみの表情と交互に見せる恐ろしい恨みの形相に、伊右衛門への愛情の裏返しのようなすごさが感じられました。

このときの宅悦役の歌六さんもすばらしかった。まだそんなお年ではないのに、なぜか老け役が多い方のようですね。この味のある役が決まるか決まらないかで、お岩の印象もかなり変わってきてしまうと思います。宅悦は「いい人」ではありませんが、根っからの悪者でもありません。どんどん恐ろしくなっていくお岩への怖がりようもさることながら、お岩に対しての哀れみや同情の気持ちも多く出ているのです。滑稽さと悲しさ。もう、その演技にうなってしまいました。

お岩は宅悦ともみあううち、柱に刺さった刀で喉を突いて絶命してしまいます。帰って来た伊右衛門は先ほど来、縛って押入れに押し込めていた??薬泥棒の小平を引き出し、(これが福助さんの早替わり)お岩殺しの罪をかぶせて殺し、二人の死骸を戸板に打ち付けて川に流してしまいます。あらまあ、ずいぶんお仕事が早いのね‥‥‥。

そこへ隣の喜兵衛と嫁の孫娘が来て、今夜はここで新枕だというのです。も~、あんな立派なお屋敷に住んでいる人が何でわざわざこの汚い貧乏長屋に来るのさ??それもたった今お岩が憤死し、小平を殺した流血の現場でよ!この倒錯した感覚が信じられません。過保護の喜兵衛は屏風を立ててここで寝るといい、伊右衛門と娘はさっきまでお岩が苦しんでいた奥の間に入っていきます。信じられな~い!

ところがそこへお岩の怨霊が出てきます。今度はお化けみたい、じゃなくて本物のお化けになって。おのれお岩、迷うたな!と刀を振り下ろす伊右衛門。ところが落ちた首を見ると、それは花嫁の首でした。驚いた伊右衛門が喜兵衛のところへ行くと、今度は屏風の影から殺された小平の亡霊が現れる。また夢中で首を斬り落とすと、それは何と喜兵衛の首!あなおそろしや~!このときの伊右衛門、もっと強い恐怖と狂気が見えてもよかったなと思ってしまいましたが、意外に平静な伊右衛門でしたね。いや~この幕、息をもつかせぬ緊張感で、本当に面白かったです。

三幕目 隠亡堀の場
父と娘を伊右衛門に殺害され、お家はお取潰し。屋敷も取り上げられた伊藤家の後家お弓は、乞食に身を落として隠亡堀のはたに住んでいます。(しかし、極端だな~!)やはり常識というものはいつの世でも必要なんでしょうね。たとえ窮乏してもお岩の父、四谷左門は常識の人でした。だから伊右衛門を悪者だと思ったら、一切娘を近づけなかった。一方、伊藤喜兵衛のほうは孫を溺愛する余り、隣の浪人の妻に毒を盛ってまで性悪男を婿にしようとしたのです。大体そいつが婿にふさわしいかどうかなんて、顔見りゃわかるでしょうが!こういう常識を逸した行動が、お家の滅亡につながるのよね!(なんて、私が怒ってもしょうがないけど)
現代もそうですよ。常識を持たない人が跋扈する世の中。恐ろしいですね。

ここで最初に出てきた直助と伊右衛門が再会するのだけれど、実は直助とお岩の妹お袖の話も1幕分ぐらいあって、今度の上演では割愛されているので、直助とのことは置いておきます。直助は名前を変えてうなぎ掻きになっているのですが、ここでうなぎをとっていると、髪の毛やら、お岩が使っていたべっ甲のくしなどがかかってきて、気味の悪さをかもし出しています。

土手の上では喜兵衛殺しの下手人として追われている伊右衛門と、その母のやりとりがあります。何と母は、伊右衛門の名前を書いた卒塔婆を立て、世間に伊右衛門が死んだと思わせようとしているのです。ああ、ここにも一人常識を逸した親ばかがいましたね。母は昔、高家に奉公したことがあり、困ったときには頼ってくるようにという師直のお墨付を持っています。それを伊右衛門に渡し、これを持って行って仕官しろというのです。とんでもない親ばかですね。

このあとこの卒塔婆を見たお弓は、仇が既に死んでいたのかと悔しがりますが、すぐに伊右衛門に川に蹴落とされてしまいます。そのあと「首が飛んでも動いてみせるわ」の名台詞でしたが、どうなんでしょう。吉右衛門さんの伊右衛門はそこまで豪胆な極悪には見えませんでした。逃げたり、その場を取り繕ったりするために、成り行き的に人を殺してしまう、そんな感じでした。

そうこうするうち戸板が流れてきます。それを引き上げると(わざわざ引き上げるなよ~!)何とお岩の死骸が貼り付いていて「うらめしや~」と言います。驚いて裏返すと(裏返すなよ~!)今度は小平が「ソウキセイ(盗んだ薬)をください~」と言う。これが有名な「戸板返し」ですか。お岩と小平は早替わりです。一体どうなっていたのでしょうね。小平が消えると、今度は骸骨が現れて、それがばらばらになって川へ落ちて行きます。

このあとで直助、殺された小平の女房お花(福助早替わり)、与茂七がやってきて「だんまり」になります。この「だんまり」とか「蛇篭」の意味がよくわからないのだけれど、登場人物をスローモーションで見せるファンサービスと、手探りで戦ううち、必ず何かを取り違えるというのがお約束のようです。ここでは与茂七の持っていた廻文状と、直助のうなぎ掻きの棒がすりかわり、このあとのストーリーへと発展していくのですが、そこの部分は今回はカットされていました。

大詰 第1場蛇山庵室の場~第2場仇討ちの場
伊右衛門は、蛇山庵室に隠れ住み、お岩の亡霊に悩まされ、病の床についています。この場はただただお岩の亡霊が提灯抜けや仏壇返しなどをして、見るものを怖がらせるところですね。仕掛けが古典的すぎてそんなにコワイ!というものではないけれど、すっかり気弱になった伊右衛門がちょっとかわいそうな感じもします。因果は恐ろしい。

最後は錯乱した伊右衛門を捕り手が囲み、それを退けると今度は与茂七とお花が伊右衛門を捉え、見事仇を討つ、その手前のところで正座してごあいさつとなります。なぜかこういう終わり方もけっこうあるのですね。仇を討ったところで終わりにすると縁起が悪いからでしょうか??

この大詰のシーンは、お化けの話なので夏として上演されることが多いそうですが、本来は雪景色のシーンで、今回もラストは雪景色でした。なぜかというとこの大詰で悪人伊右衛門を討ったあとで、四十七士は高家(吉良家)へ討ち入りを果たすのです。非道の悪人の最期と、見事忠義の本懐を遂げた志士たちとの対比がすばらしい。やはりここは雪景色であるべきなのですね。

かなり長くなってしまいましたが、とても面白い演目でした。また意外にも外見老けてる(ごめん!)福助さんがすばらしい演技で堪能しました。何と、プログラムの上演記録を見ると福助さんのお岩は初めてだったんですね??とてもこなれていて、そんなふうには見えませんでした。

この上演記録というのが結構面白くて、今まで「四谷怪談」は数年置きに上演されていますが、一番多くお岩を演じたのは勘三郎さんで、伊右衛門は橋之助さんのようです。橋之助さんの伊右衛門はかっこいいだろうな~。それよりも、昭和58年に1度だけあったのが当時39歳の仁左衛門さんの伊右衛門と、当時33歳の玉三郎さんのお岩!これ、いい!すごく見たかったなあ。。きっと美しかったことでしょうね。こんなふうに若手が揃うのはあまりないことかもしれませんから。

今月は、いつも年1~2回しか行かない歌舞伎を2回も見に行ってしまいました。何だか見始めると楽しくてくせになりそうです。でも、スーパー歌舞伎にはまった!という感覚とは違います。やっぱりミーハーのエネルギーとは、どこか違うものがあるのでしょうね。ミーハーの私としては「ヤマトタケル」また見たい!来月の名古屋は、いつの間にか新幹線乗って見に行っているかも??です。そんな、恐ろしい‥‥‥。

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2008年5月 5日 (月)

ひさびさの歌舞伎座

歌舞伎座「團菊祭」夜の部「青砥縞花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」通称「白波五人男」を見てきました。Imgp5290

歌舞伎座に行くのは去年の3月以来です。ずっとバレエに夢中で歌舞伎のことは忘れていましたが、3月にスーパー歌舞伎にはまって、また歌舞伎の世界もちょっと見てみたいなと思うようになりました。ホントは大阪に「ヤマトタケル」を見に行きたい!だけどその分の交通費で、今月は歌舞伎座と新橋演舞場の両方で「通し狂言」をやっているので行ってみようと思いました。

まず歌舞伎を見てみようと思ったら、やっぱり「通し狂言」からですよね。歌舞伎は、人気のある一部分(「御存じ○○!」みたいなところ)だけを組み合わせて上演することも多いのですが(見取り狂言)、まずは「通し」で見ないと全体のつながりがわからない。それで、地方の農村歌舞伎などでもよく上演される、五人が番傘をさして勢揃いした場面が有名な「白波五人男」を見ることにしました。

最初にお断りしますが、私は歌舞伎について、お芝居が「好き」という範疇を出るものではなく、個々の役者さんについてはほとんど知りません。バレエ鑑賞同様ただのミーハーですので、あくまでもミーハーの目で見た勝手な感想になります。その点どうぞよろしく!

プログラムによると、この演目は文久2年初演だそうです。文久2年というと江戸時代末の、ペリーが浦賀に来て9年目、新選組が結成される1年前のことですね~。世の中は攘夷か開国かでゆれる時代。そういう時期の民衆の世界が垣間見られるようで面白かったです。

「白波」というのは泥棒のこと。大泥棒や大悪人がカッコいいというのは、歌舞伎独特の世界だと思います。これが、バレエばかり見ているととても違和感のある世界なのですよ。だって、バレエのテーマはいつも「愛」だから。それは、王侯貴族の庇護のもとにあったバレエと違い、歌舞伎が民衆サイドのものだったからなのでしょうね。歌舞伎のテーマは権力に対しての暗なアンチテーゼ。義理人情であったり、主従のしがらみであったり、没落するものの哀れであったりと、もっと多彩になります。

「ヤマトタケル」に違和感なく夢中になれたのは、そこに「愛」が色濃くあったから。父帝への愛、兄への愛、后たちへの愛。そして流浪する英雄の孤独があり、涙があり、信ずべき正義があり、そして心を動かす大きな感動がありました。

だけどこの「白波五人男」には「愛」はありません!もう、名優のオンパレードで、七五調のかっこいい台詞あり、華麗な立ち回りあり、がんどう返しや大ゼリを使ったスペクタクルありで、まるで錦絵を見るような豪華な舞台ではあったけれど、「愛」はないです。ゆすり、たかりの世界だから「正義」なんてものははなっからない!お話も韓流ドラマも真っ青の「実は○○」だったり、どんでん返しに次ぐどんでん返し。面白いには面白いけれど、深い感動とか、そういうものはなかったですね。それがまた、この作品がつくられた当初の民衆の要求するものだったかと思うと、さもあらんと思ってしまうところがあったりしました。

序幕第一場「初瀬寺花見の場」
美しいお姫様が腰元たちを連れてお花見に来る華やかな場面。このお姫様には親同士が決めた許婚者がいたのですが、お互いの家は没落しており、その許婚者も行方知れず。そこへ従者を連れた美しい若者がやってくる。話を聞くとその人こそ許婚者の信田小太郎であった!(そんなことってあるかいな!)

小太郎は許婚者の千寿姫に偶然出合って驚くが、お家再興を果たすまで結婚はできないと言う。ところが、姫は、腰元頭に恋の手管を耳打ちされたのか、結婚がかなわないならここで死にますと言って、いきなり懐刀を取り出したので、小太郎は驚いて態度を変え、まわりのとりなしもあって、二人で茶屋に入っていく。(どうしていきなり~!)

歌舞伎を見てると、意外にも若い娘やお姫様がかなり大胆に男に迫ったりするんですよね。これが当時の貞操観念に縛られた人々の憧れであったかどうかはわかりませんが、その結果はみんな悲劇的だったような気がします。

その間に寺への回向料を盗んだり取られたりがありますが、省略。茶屋から出てきた姫は小太郎にお屋敷に連れて行ってくれと頼みますが、人目を忍ぶ身の上で連れて行く屋敷などはないというのに、またここでも「それなら死にます」といって刀を出すので、仕方なく姫を連れて行くことに。

序幕第二場「神輿ヶ嶽」~第三場「稲瀬川谷間」
二人はだんだん人気のない険しい山道に入っていきます。小太郎は姫の手を取って恭しくエスコートしているけれど、山中のお堂の前まできたときに、態度が豹変。小太郎とは真っ赤な偽り。小太郎は放浪の途中で死に、実はそれに成りすました弁天小僧という盗賊だったのです。弁天小僧は姫に女房になれと迫りますが(これはこれで筋がとおってるよね)姫は盗賊の女房になどなれぬと、いきなり谷から飛び降りてしまいます。自分で勝手についてきたのに、本当に歌舞伎に描かれる若い娘や姫は大胆でわがままでエゴイストですよ!

ここで一部始終を聞いていた日本駄右衛門という大泥棒がお堂の中から登場!面白いのはその前の回向料の取ったり取られたりもそうだけど、まんまとせしめたと思ったら、さらにもっと上手が現れること。あっけらか~んとしちゃいますね。ここで弁天小僧は日本駄右衛門の手下になります。連判状をカッコよくばっと広げたところで舞台がぐぁ~っとせり上がり、場面は谷の下へ。

谷の下では死にきれなかった姫と、先ほど回向料を盗もうとして失敗した元信田家(小太郎の家)の家臣赤星十三郎が、困窮して泥棒に身を落としたことを恥じて死のうとしているところ。お互いの素性の偶然を驚きあって、一緒に死のうというところへ、姫はさっさと川に飛び込んでしまいます。赤星のほうは先ほど回向料を最後に奪っていった浪人、実は日本駄右衛門の手下、忠信利平という盗賊に助けられます。もうすでにわけがわからない状態なんだけど、実は話をするとこの忠信利平は元武士で、赤星の家来筋に当たるということで、奪った回向料を赤星に差し出す。赤星はどうせならというので、忠信のとりなしで日本駄衛門の手下になることに!(武士が簡単に盗賊の仲間になっちゃうなんて、本当にわけがわかりませ~ん!)

ここへ先ほどの日本駄右衛門と弁天小僧と、小太郎の家来に扮していた南郷力丸が加わって「五人男」が揃うのですが、すでに真夜中。闇の中で手探り状態の「だんまり」が演じられます。ここがまた絵のように美しいシーンなのかもわかりませんが、ストーリーの展開上からすると「何で??」なんだよね~。この無理やり見せ場をくっつけたようなわけのわからなさがまたいいところなのかしら??

二幕目第一場「雪の下浜松屋の場」
ここが有名な弁天小僧のゆすり騙りの場面です。若い武家の娘に化けた弁天小僧。あの~「若い娘」というところが、演じる菊五郎さんには無理があるかと‥。この役は本当に何度も演じている当たり役だそうですが、何も知らない素人の目から見ると正直、ちょっと‥です。多分どの方の感想や批評を見ても素晴らしいとしか書かれないと思うのですが、家の芸とか伝統芸能というところを離れて、例えば外国人の目で見たらどうでしょうか。オペラグラスなんかで見ちゃうからさらにいけないんでしょうけどね。

呉服屋浜松屋に訪れた娘と従者(実は弁天小僧と南郷力丸)は、婚礼の準備だと言っていろいろ品物を選ぶ途中、懐から布を取り出し、商品の中に混ぜてしまう。そして、それをわざと店の者に見えるようにまた懐に。帰ろうとする娘を番頭は万引きだと言って引き止めます。ところが懐から出てきたのは違う店で買った品物。どうしてくれるんだと言いがかりをつけ、まんまと百両せしめようとしたそのとき、奥から立派な侍が出てきて、二人を見破ってしまいます。ここで開き直った弁天小僧が、肌脱ぎになって刺青を見せ、有名な「知らざあ言って聞かせやしょう」の台詞となるわけです。こういう開き直りや居直りが何とも粋でカッコいいっていうのは、ほんとに爛熟した江戸文化の倒錯した世界ですよね~。

二幕目第二場「浜松屋蔵前の場」
もう、何でこんな手の込んだ芝居を‥と思うくらいですが、店の危機を救ってくれた武士、これがいかにも怪しい奴なんだけど、お礼に一献差し上げたいということで、舞台が回って店の奥でのシーンになります。

ここで早くも怪しい侍、実は日本駄右衛門が正体を現し、店の有り金全部出せと脅します。そんなら最初からそうすりゃいいのにさ~。まあ、変な突っ込みは別にして、先ほどの弁天小僧と南郷も戻ってきて、出さないと命を取るぞと脅すと、浜松屋の主人は息子だけは殺さないでくれと頼みます。実は息子は17年前に闇の中で取り違えた赤ん坊で、他人様の預かりものだからと明かします。すると‥‥何とそれは日本駄右衛門が17年前、生活に困って捨てた赤ん坊だった!それじゃあ、本当の浜松屋の息子は、となったときに‥‥‥。もう、そんなバカな~の連続ですわ。だとしたら弁天小僧は17歳だったんですね~!(唖然)

さらに浜松屋はもと小山家(最初の千寿姫の家)に仕えていた武士だと明かす。びっくりしたのは弁天小僧。親の主筋の千寿姫を死なせてしまったのだから。浜松屋は有り金全部渡すから、足を洗って堅気になれと一同を諌めますが、追っ手がきたということで逃げていきます。

二幕目第三場「稲瀬川勢揃いの場」
これからそれぞれ詮議の網をかいくぐって落ちていこうというときに、何もわざわざ目だつように演歌歌手顔負けのハデハデ着流し姿で勢揃いしなくてもいいじゃないですか。雨も降らないのに番傘さして、しかもご丁寧に「志ら波」なんて大書してあるし~!きっと歌舞伎の世界は理屈じゃないのよね。ここでの一人一人の決めポーズと台詞が大きな見せ場です。ここは皆様、さすがに豪華名優ぞろいですから見事カッコよく決まっていました。

だけど、昔はもちろん歌舞伎は「民衆の娯楽」であったわけだから、多分このシーンも、今で言うジャニーズ系の「かっこいい若衆」を並べたイケメン軍団。それを町娘たちが「きゃ~っ!!」とばかり騒ぎ立てる、そんなものだったような気がします。それが「かっこいい若衆」どころか、皆様軒並み50以上の方々であらせられますなぁ~。失礼ながら役者さんたちの年齢を調べてしまいました。團十郎(61)菊五郎(65)左團次(67)三津五郎(52)時蔵(53)‥‥余計なお世話かもしれませんが、30年前に見たかったかも~。

でも、さすがに團十郎さんは化粧栄えというか、舞台栄えというか、すごい存在感です。ビジュアル的にも美しいです。弁天小僧が17歳!というのはきついけど、菊五郎さんもいなせな若衆姿が(オペラグラスで見なければ)よく似合う。左團次さんは大柄で見栄えがするし、三津五郎さんはさすがに最年少、若々しいです。時蔵さんは絵に描いたような優男。いいにはいいのですけど、日本の歌舞伎界は伝統の芸を重んじる余りか、すべてがこの調子なんですよね。若いファン層、ミーハー層が近寄れないわけだ~。

初代弁天小僧の五世菊五郎は初演当時19歳だったそうです。歌舞伎が「伝統芸能」ではなくて、生きた「民衆の娯楽」であった時代は、やっぱり歳相応の役者さんが演じていたはずです。一度彼らの息子さん達の代に、若いうちから勢揃いさせてあげたらどうなのでしょうか。そしたら歌舞伎座に来るお客さん層も変わってくると思いますけどね。

大詰第一場「極楽寺屋根立腹の場」
本当の親である浜松屋の主人(実は小山家の家臣)に、せめて千寿姫からせしめた重宝「胡蝶の香合」を返そうとした弁天小僧だけれど、極楽寺の山門の屋根の上に追い詰められ、大事な香合を川に落とされてしまいます。斜めになった屋根のセットの上で、華麗な立ち回りが演じられますが、もはやこれまでと悟った弁天小僧は立ったまま腹に刀を突き立てます。ここで「がんどう返し」という大仕掛けが働き、屋根が向こう側へ倒れていって、山門の楼閣がせり上がってきます。立腹を切った姿のまま、倒れるぎりぎりまで元の姿勢を保っている弁天小僧がすごかった!

大詰第二場「極楽寺山門の場」~第三場「滑川土橋の場」
あ~ここは例の石川五右衛門が「絶景かな!」という、南禅寺の山門の場面にそっくりです。「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)という演目。この時代は著作権などないですから、そういう名場面の写しをちゃっかり入れちゃうということがよくあったようですね。山門の下では捕り方が、なぜか川に落とした小銭を探していたら、例の「胡蝶の香合」を拾ったという。(そんなばかなぁ)。。

もはやこれまでと悟り、潔くお縄につこうという日本駄右衛門に、下にいた役人の青砥左衛門藤綱は(題名についている「青砥」はここからきているそうです)情け深く見逃して、後日を約して別れていく‥‥何でよ~?どうせなら今捕まえなさいって~!でも、そういうあとにつながる余韻を残すところが歌舞伎のお約束なのかもしれません。他にも、「今ここのところで討ち取っては」などといって、「さら~ば~」と別れていっちゃうのがいっぱいありますからね。「巡礼に御報謝~」ではないけれど、上と下できれいに決まって幕となりました。

面白いということでは本当に面白かったです。まさに見せ場満載の娯楽大作という感じでした。だけどね~、涙するとか、感動とか、そういうものではありませんでした。もう何も考えずに純粋に、型の決まりのカッコよさ、台詞回しの妙などを楽しむ演目でしょうね。回り舞台やセリなどの舞台装置をふんだんに使って、題名のとおり錦絵のような舞台、華麗な衣装、花形役者さんたちの美しさを見せるものだと思います。これはこれで楽しかったけれど、ミーハーとしてはああ、そういうものね、という感じだったかなあ。

私が「ヤマトタケル」を3回見たという、その感動とはまた全く別のものでしたが、久々に歌舞伎座の楽しい雰囲気に浸ることができました。

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2008年3月26日 (水)

3度目!スーパー歌舞伎

きのう、ココログのメンテナンスがあったようで、それを知らなくて書き始めて、さてUPしようというときにUPできなくなっていました!あせりました。それで、昨日書いたのを別に保存して貼り付けたのですが、文中の「きょう」と「きのう」が、もう「きのう」と「一昨日」のことになってしまいました。。

この半月余りで、何が何だかわからなくなるほどスーパー歌舞伎に魅了されました。頭の中はいつもあの音楽が流れています。だけどそれも東京はきょう(25日)で千秋楽ですね。

昨日(24日)の前楽に行ってきました。今度は右近さんのヤマトタケル。いや~びっくりしました!主役が違うとこうも違うのかというくらい、全然違う舞台を楽しむことができました。やっぱりこんなふうに普通の古典歌舞伎もダブルキャストにしたら楽しいのに!昨年のパリ・オペラ座で団十郎と海老蔵がやったみたいに、親子競演できる役者さんがいっぱいいるのだから、楽しみも倍増じゃないかと思うのですが。

今回は同じ猿之助門下の若手(30代40代はバレエ界ではベテランだけど、歌舞伎界ではまだ若手)どうしのダブルキャスト、市川右近さんと市川段治郎さん。それぞれに違う味わいがあってとてもよかったです。全然関係ないけど、右近さんってかのルジマトフと同い年だったんですね!?へ~!バレエ界では芸術監督になったり、大御所などといわれ、そろそろ引退もささやかれる年齢なのに、歌舞伎界ではまだまだこれからですよね。(段治郎さんはまだ30代)頑張ってる同年代に拍手!同年代といっても、私は笑也さんのほうに限りなく近い?のだけど‥。笑也さんも信じられないほど美しくて素敵です~

だけど最初は、右近さん登場の瞬間「うわっ、失敗した~」と思っちゃいました。人間やっぱり最初に見たものをスタンダードだと思っちゃうので、私の中ではもう、ビジュアル的にはヤマトタケル=段治郎だったんですよ。それが、8頭身の少女漫画の世界から、いきなり5頭身だ~  (ゴメン!)イメージ壊れる、見なきゃよかった?とは思いませんが、雰囲気からして別物でしたね。それから、最初の暗転での独白。段治郎さんみたいに宝塚調ではなく、「何だ、歌舞伎じゃん‥‥。」あの現代語の独白の部分は普通の演劇の感じで、ちっとも歌舞伎らしくないんですけど、3回目にはもう見慣れたのか、右近さんの現代語の台詞を「歌舞伎じゃん」と思えてしまったのが面白いです。

右近さんの立板に水の台詞回し、かなり早口のところと、アクセントをつけるところとの緩急の付け方がうまく、こなれています。芸だな~。声の調子はかなり猿之助さんを彷彿とさせるところがありました。私は猿之助さんの元祖スーパー歌舞伎は見ていないけれど(テレビではチラッと見ましたが)猿之助さんのヤマトタケルはこんなふう?と思わせる、そんな感じがしました。顔もドキッとするほど似ているときがありますしね。

でも、カッコいいのはやっぱり段治郎さんでした。タケヒコ役も映える!立ち姿が本当に美しいです。2幕で最初に登場したとき、右近タケルは富士山をバックに岩の上に立っているのですが、岩を降りて長身のタケヒコと並ぶと頭一つ分違う。。。(右近さん、ずっと岩の上にいて。。)タケヒコのちょっと笑わせる台詞も粋で素敵。右近さんのはべらんめえ調で、鶴太郎!という感じだったから。段治郎さんは手下の役をやっても端正です~  それからびっくりなのが火に囲まれるシーンでの旗振り!もう「ドン・キホーテ」のエスパーダみたいで超かっこいい!あのまんま闘牛士の衣装着てマント(ムレタ)を振り回しててもバッチリはまる!あのシーンは本当に「キャ~」でしたね。私はやっぱりミーハーです。ミーハー至福のとき。。

きのうは幕間に、めずらしく隣の席にいたご婦人が話しかけてくれたので、いろいろお話をしました。スーパー歌舞伎は初演のときから見ているそうです。お一人でいらしていて、今回でやっぱり3回目だとか。「段治郎カッコいいわよね~」と目がキラキラ。私の母ぐらいの年齢の方ですよ。だけど、話をするとずっと生き生きしてる。やっぱりミーハーは長生きの秘訣かも!です。うちの母は誘えばイヤとは言わないけど、たとえそれが面白かったとしても夢中にならないし、一人でなんか見に行かない。あのくらいの年齢の人は、行こうと言っても興味なければ絶対イヤだという人もいますし。(父がそうだわ‥‥)それが、その方は「私ね、明日も来るのよ~。明日の千秋楽はきっと猿之助がカーテンコールに現われるから」と満面の笑みで話してくれました。私もこんなおばあちゃんになりたいです~!そしたら人生楽しいだろうな。

一方、右近タケルについては5頭身だとか鶴太郎だとか、ボロクソに書いてるみたいですが、そうじゃないんですよ。やっぱり右近さんのほうが一枚上かも。今までにも段治郎さんよりはずっと多彩な役柄を演じてきたでしょうし、とにかくうまいというのかな。なにしろ今までちょっとクサイな~と思っていたところがクサくないの。あの1幕終わりの、一人で熊襲の城に乗り込んで行って、最後に日輪をバックに「勝った!私は勝ったのだ~!」というところも、2度見た段治郎さんのは「そんなこと言ってて、次の瞬間ボカッとやられるなよ~」みたいな突込みが自分の中にあったんだけど、全然そんなことはありませんでしたね。素直に感動しちゃった。うわ~猿之助ワールド!という感じ。こういう決め所が本当にうまいなあ~。歌舞伎の本質は傾く(かぶく)。生真面目な段治郎さんに比べ、右近さんはすごい傾(かぶ)いているんですよ、全編で。驚くほど軽妙洒脱だったり、逆に力入りすぎ~!みたいに決めるところは決めてたり。

見得がかっこいいです。それと立ち回りがスピード感あっていい。あと、聞かせどころはもう、過剰なくらい聞かせる聞かせる!伊勢で叔母のヤマトヒメに、父帝への思慕と、その冷たい仕打ちを切々と嘆くところも、もうヤマトヒメじゃないけど泣けちゃって、思わず抱きしめたくなっちゃいました。長くて退屈だと思っていた弟橘姫の入水シーンも、そのあと船がぐるっと回転して俊寛みたいに号泣するところも、思わず一緒に号泣しちゃったよ~。死ぬところがまた白眉でしたね。一途に故郷のヤマトを思うところ。あそこもかなり長いんだけど、まだ泣かせるのというくらい情感たっぷりに聞かせてくれました。段治郎さんだとあの鉢巻が素敵とか、私ったらそんなところしか見ていませんでしたから。

長生きできるという故郷の樫の枝を髪に挿す、そのしぐさの途中でヤマトタケルは息を引き取ります。それが、今回気がついたのは、フィナーレに現われたタケヒコもヘタルベも、それから兵士たちもみんな髪にその樫の枝を挿しているじゃないですか。それを見てまた泣いちゃいました。今まで2回見ても(段治郎さんと笑也さんのほかは見ていなかった?)気がつかなかったのに。そう、今回はまたいろいろ発見がありました。3回見たというとバカみたいですが、そういうリピーターの方がたくさんいられるのがよくわかりました。

笑也さんがやっぱり好き。きりっとした女の強さと、神々しいまでの気品よいです~。それから笑三郎さんのヤマトヒメがすごく味のある演技でした。年齢のせいか一番共感する役どころでしたね~。(それってちょっと淋しいけど)それと悪者じゃないけど、成敗されるほうの熊襲や蝦夷、伊吹山の鬼たちがすごくかわいいキャラなの。何といってもあの1幕のタコとカニの豪勢な衣装は目を引きます。よく見ると衣装の柄がタコは魚、カニはエビ。熊襲がなぜに海産物?どういう意味かわからないけど、超豪華立体衣装でした。3幕の鬼たちはまるで仮面ライダーか、何とかレンジャーみたいじゃないですか。変だけど何となくかわいらしくて面白かった。

宙乗りも美しかったですが、感動するのはやはりフィナーレで、ヤマトタケルが帝の前にひざまずき、うやうやしく手をとるところ。生きているときにあれほど望んでやまなかった親子の和解。涙出ます~。右近さんは長い間帝の手をとって頭を垂れ、今にも頬擦りせんばかりでした。そして、昨日は一度幕が下りたあとも拍手が鳴り止まず、もう1度幕が開いたのです。(バレエなら何度も幕をあけてくれるのにね~)猿之助さんは出てきませんでしたが、このカーテンコールでは帝役の金田龍之介さん(ですよね?)が今度は右近さんの前にひざまずいて手をとったので、みんな白塗りの化粧が崩れんばかりに笑っていました。よい舞台でした。金田さんってお茶目!

今日で新橋演舞場の公演は終わりです。4月は福岡、5月は大阪、そして6月は名古屋と、まだまだ続くすごいロングランです。バレエと違って、一度見て感動してまた見たいと思ったときに見れるのはいいですね。私も忘れた頃にまたぞろミーハー心が頭をもたげ、名古屋あたりに行っていたりして??もう一応満足したのでそんなこともないでしょうけどね。でも、ほんとに豪華なスペクタクルで、これだけ見せてもらって一等席14,700円は全然高くない!(なんて、私は得チケフル活用なので大きな声では言えませんが)本当におすすめです。歌舞伎のことなんて何も知らなくても、全然OKですよ~。

最後にひとつだけ。私は最初笑也さん目当てで、どちらがヤマトタケルでもよかったのですが、多分行かれる方はどちらにしようか迷うと思うのです。ミーハーの琴線に触れるうっとり感を味わいたいなら断然段治郎さんのヤマトタケル!さわやかでしびれます~。そして正統派?スーパー歌舞伎なら右近さん。右近さんは独特のアクがあって前はちょっと苦手でしたが、やっぱりうまいわ。泣かせてくれます。どちらもそれぞれによい舞台でした。

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2008年3月21日 (金)

2度目!スーパー歌舞伎

何だかすっかりはまってしまったみたいです  また新橋演舞場に行ってしまいました~。しかもまた段治郎がヤマトタケルのほうです。もうホント、意外なカッコよさだったので!仕事が忙しいから、といって見たいと思っていたバレエを見逃したのに、スーパー歌舞伎は見たなんて。。。どう言ったらいいんでしょうね~。20083_021

2階ロビーで舞台写真を売っていました。思わず、ラストシーンの天女様のように美しい笑也さんと、火の中の戦いシーンの超・凛々しい段治郎さんの写真を買ってしまいました

「ヤマトタケル」やっぱり面白いです。2度目に見てもそう思いました。そして笑也さんもやっぱりとてもきれいでした。前回書いた兄橘がヤマトタケルを仇として追っていくシーン、やっぱりあそこが好き。殺せずに、反対にどんどん惹かれていってしまうところにもう胸キュンです内面からの艶やかさ、気品、気丈さ、素敵だよね~。一方みやず姫のほうではただ、かわいい~!

2回目だと、前回見落としたことを幾つも発見しました。その中の最大のポカ。1幕の最初の見せ場であるはずの、双子の兄弟、大碓命と小碓命の格闘シーン。ここが何と一人で早替わりを演じていたんですね!こんな見せ場に気がつかなかった私って本当にアホ!いや、あそこのシーン、後ろの御簾から出たり入ったり、柱の周りを回りながらの格闘なんて、変だなと思っていたのですが、そういえば猿之助さんも蚊帳に出たり入ったりして早替わりをしてたっけと、気がついたのは家に帰ってからでした。鈍すぎ~。

それで、今回はじっくり見ました。まず大碓命が弟橘姫に迫っていて、そこが何ともワルカッコいいの。色悪っぽくてそれが御簾に引っ込んだら、すぐに小碓命となって登場する。ワルカッコいい兄と、心優しく純な弟。衣装だけじゃなくて演技も、声も、それが瞬時に入れ替わるのが見事!御簾のうちからの影台詞は録音ですね。弟が引っ込むと今度は兄が出てくる。すごい、どうなってるの!?そして格闘シーンはもう一人、背格好が非常によく似た人を使っています。それが交互に出てくるし、両方とも顔を見せないで戦っている場面もあったから、多分同じ身長の人を二人使っていることになるんですよね。前回も書いたけど、段治郎さんは際立った長身なんですよ。その長身の人を二人もそろえるのは大変でしょうね。それにしても瞬時に入れ替わるのはすごかったです。

これが猿之助さんや右近さんだったらすぐにわかったと思うのですが、気がつかなかったのはそれだけ段治郎さんの認識度が低かったんだと‥‥‥。多分、今まで何回か見ているはずなのですが、千本桜の義経役ぐらいしか思い出せない当世流小栗判官とか、南総里見八犬伝とか、少ないけど、私の見た演目にも絶対出ていたと思うのに、全然眼中にありませんでした。ゴメン!

段治郎さんのオフィシャルHPを見つけたのですが、そこに出ているレパートリー写真は、ほとんど白塗りの役。隈取描く役は一つだけしかありませんでした。バレエで言えば王子様タイプの人なんでしょうね。完璧なダンスール・ノーブルといったところだったかもしれませんが、歌舞伎ではこういう役ばっかりだと印象薄という感じかな~。でも、このヤマトタケルという役はとても合っていますね。本当にカッコいいんですよ~。

前回いい加減なことを書いちゃったかもしれませんが、ハーレムパンツみたいな衣装って、あれは膝から下を絞った袴でしたね。それにプリーツスカート?みたいなのを重ねていたりとか、昔のタケノコ族みたいな長いガウンを着てたりとか、そんな凝った奇抜な衣装が長身の段治郎さんにすごく映えるのです。衣装は毛利臣男さんのデザイン‥あのパリ・オペラ座のブルメイステル版「白鳥の湖」の衣装を担当した人ですよね。(あの悪名高き?キンキラ衣装‥‥!)

衣装といえばものすごいお召し替えの回数!裏方は本当に大変なことになっているでしょうね。それが、ヤマトタケルでいえば、あとになるほどどんどん衣装が豪華に、きらびやかになっていくのです。ちょうど主人公の心持ちが、謙虚さから自信、自信から慢心へと移り変わっていくように。それがまたどうしようもない人間の性(さが)を感じさせ、何ともいえず哀しく美しい。

そう、単なる勧善懲悪の話ではないのです。主人公が征伐をした熊襲も蝦夷も、それぞれの地を誇りを持って治め、大地を駆け巡り、幸せに暮らし、栄えていた。そこへ大和政権拡大のために?父帝に追われるようにして遠征していく主人公。圧倒的な武勇と知恵で戦いに勝っていくのだけれど、それが何ともつらい勝利のように思えるのです。熊襲や蝦夷の兄弟たちは、みな争わずに調和と共に暮らしていたのに。一方それを討ったヒーローは兄を殺し、父帝にも疎まれ、流浪する身。弟橘姫の入水のあと、「私は何のために戦っているのだろう。一番大切なものを失ってまで」というような台詞があるのですが、そんなせつなさ、やるせなさがこの物語の根底にひとつ、流れていると思うのです。

英雄であるが故の孤独。そして届かぬ父帝への思慕。それをいつも背負っている心弱さ。それから、名声を得たあとの慢心などの人間臭いところ。完璧なヒーローとはちょっと違うのですよ。弟橘を失ったばかりなのに、都に兄橘という后もいるのに、あっさりとみやず姫を后にしてしまうところなんか、ちょっと女性の視点からは眉をひそめちゃうところもあるんだけど、美しいものは美しいと言い、いとしいものはいとしいと言う。それは何だか忘れていた古代人の精神のような気もするし、そんなおおらかなところも、聖人君子でない素直な一人の人間としての、魅力的な主人公像になっているのだと思います。そしてそれを違和感なく爽やかに演じる段治郎さんがやっぱり素敵!

すごい場面というと、1幕の熊襲の館は圧巻でした!もう、舞台上に一体何人の人がいるのでしょう?豪勢な饗宴シーンにたった一人で女装して踊り女として乗り込む主人公。この踊りのシーンがまるでアメノウズメのストリップショーみたいに、次々と衣を脱いでいくのですが、一体何枚着ているの?盛り上がった頃にいきなり明かりが消えて「だんまり」の格闘シーンになり、それがやがて京劇隊のアクロバットを交えたすごい戦闘シーンに発展するのです。そして豪快な屋台崩し。でも、たった一人で乗り込んで行って首領を暗殺したからって、「勝った、私は勝ったのだ~!」なんて言うのはおいおい、って、ちょっと突っ込みたくなりましたね

2幕での圧巻はやっぱり火の海のところでしょうね。敵の火と味方の火が戦う珍しい?戦いシーン。ホント、ここでもアクロバット隊の活躍がすごかったです。一方、海が荒れて、海の神を沈めるために弟橘姫が入水するところはちょっと長くて、たぶん泣かせどころなのかもしれませんが、私は唯一、眠りかけてしまったところです。ここの弟橘の気丈に見せかけた哀しい長台詞はやっぱりくどい気がします。ストレートに、あなたのために飛び込みます、で十分なのに。自分はこのままおそばにいても大后にはなれないから、海の神の大后になるんだなんて、そんな強がり言わなくってもいいのにさぁ‥‥。それまでの展開が息をもつかせぬものだっただけに、ここで観客は(私だけ?)一休みしてしまったようでした。

でも、次から次へと、大掛かりな舞台装置を駆使しての物語の展開はスピーディーで、まさに「スーパー」ですね。それに現代語の台詞も、最初は違和感がありましたが(だって~白塗りの人たちがいきなり宝塚調でしゃべりだすんですよ~)慣れるとわかりやすくてなかなかいいものです。予備知識もなく、いきなり見に行っても、プログラムの解説を読まなくても、全部せりふの中で説明してくれるので、すごく楽チン。え?何で?っていうことも、現代語台詞が丁寧に理由を教えてくれますから。すぐにあ~そうかと納得できます。

バレエだったら、ある程度解説とかを読んでいないと、初めて見る演目はわけがわからないことがあります。言葉の説明はないから、それこそ見る人によって受け取り方も違うし、見るほうも何かを感じ取ろうと、けっこうな集中力をもってダンサーの指先、つま先まで注視していたりします。だけどここまで親切に解説してくれちゃうと、ほんとに映画でも見るように、ポカーンと口をあけていたって楽しめる。でも、大半の人はポカーンとはしていませんよ。けっこう息を詰めて、手に汗握って見入っちゃっていますから。ホント、猿之助さんは面白いものをつくってくれましたよね。

あと、楽しいのは、声をかけるのが「○○屋!」じゃなくて、ここでは「右近!」とか「段治郎!」なの。だって、みんな澤瀉屋(おもだかや・漢字変換できなくて、手書き入力しちゃった!)だものね~。ここに出ている人たちはほとんど、歌舞伎の家柄の人ではありません。国立劇場の養成コース出身だったり、直接弟子に入ったりしている人たちなのです。こういう逸材を猿之助さんが見出して、時間をかけて育てていったことは本当にすごいことだと思います。

ラストの宙乗りもブラボー!そして、またフィナーレで泣けましたよ。ほんとにこの甘美で哀切で、豪華絢爛な世界にすっかりはまってしまいました。今度は右近さんのヤマトタケルで、最後にもう一度見るつもりです。

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