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2009年5月30日 (土)

ノイマイヤーの「ロミオとジュリエット」 1

何かと忙しいせいか、なかなか書けなくて忘れてしまいそうですが、デンマーク・ロイヤル・バレエの最終日(24日)の「ロミオとジュリエット」を見ました。「ナポリ」は、「感動」という面ではいまいちだったけれど、こちらはもう、すごく感動しました。「ロミオとジュリエット」は好きな演目で、DVDもあわせていろんな版を見ているけれど、このノイマイヤーのものは表現が自然で、現代的で、直接心に響くものがありました。

2月のハンブルク・バレエ(ノイマイヤーの「人魚姫」と「椿姫」)を見なかったことを後悔しています。まあ、私は1月に舞台を見すぎたせいもあるし、子どもの受験もあったので仕方がなかったけれど、あとで見た人たちにその素晴らしさを聞かされて、しまったと思ってしまいました。「椿姫」のほうはガラで部分的に見ているので大体想像はつくのですが、「人魚姫」はあの不気味な白塗りメイクのチラシ写真で引いてしまったので、あれがそんなに感動的だったなんて‥‥!

「人魚姫」を見た友人が言うには(その人から聞いた感想です。私は見ていないので。)いわく、バレエというのは人間の理想の肉体、理想の美しさを表すものだと思っていた。それが、それまで自由に海の中を泳ぎまわっていた人魚姫が、人間の足をもらったとたんに、醜くてぎこちなくて、滑稽で、かわいそうな存在になってしまったことに衝撃を受けた‥と。それから、人間たちのきれいな色彩にあふれた活気ある世界とは対照的な、静かだけど暗く冷たい単色の海の世界。その鮮やかな対比がすごく印象に残ったということでした。愛ゆえに、安住の地を捨てて、ぶざまな姿になってまで飛び込んで行ったのに、結局受け入れられなかったなんて、そんな話聞いただけで涙出ちゃいますよね。

同じノイマイヤーの作品でも2005年の「人魚姫」と違い、「ロミオとジュリエット」は1971年で30年以上も前。ノイマイヤーがまだ29歳の時の作品だそうです。当時、ノイマイヤー自身もクランコ版の「ロミオとジュリエット」を(何の役かわからないけど)踊っていたらしいし、とにかく若く、振付家としてもまだ駆け出し時代のものだったと思います。それなのに、これを見ながら友人の言っていたずっと後年の作品、「人魚姫」の感想を思い出して、やっぱり共通するものがあるように思いました。あ~見ればよかったcrying

≪第1幕≫
幕が開くと、舞台奥の階段の下でロミオが眠り込んでいます。早朝、ロレンス神父は薬草を摘んで帰ってきたところで、ロミオを見つけて揺り起こします。

まず驚いたのはロレンスの若いこと!普通は分別ある中年男か、老神父だよね。それがここでは神父じゃなくて修行僧みたいです。そしてロミオの親友という設定のせいか、やけにべたべたと仲良し。(神の道に外れるんじゃ‥?というくらいsweat02)そして、目覚めたロミオの様子を見てまずあれっ?と思いました。動きがバレエじゃないんです。普通の、演劇のようなというよりも、さらに自然な若者らしい動き。そうですよね~寝込みを起こされたばかりの若者が、いきなりバレエ的な引きあがった立ち居振る舞いというのは不自然です。へろへろしてたりぎこちなかったりするのは当然でしょう。

「ナポリ」のときは見渡す限り美形ダンサー(!)は見当たらなかったのに、このロレンスはムダに美形。不思議ですね~。この若さと美しさで、ロレンスは神に身を捧げ、精進潔斎して薬草を摘む毎日。薬草って、このあとジュリエットを怪しい薬の実験台にする伏線なんでしょうね~。一方ロミオはというとそれほどハンサムじゃなく、ごく普通のボンボン。名家の御曹司のくせに、敵対関係の家のロザライン(ジュリエットの従姉妹)に熱を上げて、朝までキャピュレット家の階段の下でストーカー行為をしているという情けない奴‥‥sweat02

街には旅芸人の一座がやってきて、馬車の荷台を舞台に芝居をしています。ロミオの親友マキューシオは旅芸人の一人?おどろおどろしい死神の扮装は何か意味ありげです。一座が演じているのは恋人同士が引き裂かれ、最後にお互い刺し違えて死んでしまうという悲劇でした。まるでこれからの運命を暗示するような‥‥‥。以後、この旅芸人たちの寸劇が、ストーリーテラーとしてずっとこの物語を引っ張っていくことになります。

広場には人がいっぱい、ごちゃごちゃとあっちこっちでいろんなことをしています。これも「ナポリ」同様、どこを見ていいかわからないくらい。ほんとに一度じゃ細かい所がよくわかりませんね。その群衆の中にジュリエットの乳母もいて、何か手紙のようなものを持っていますが、これがいろんな人を経て、最後にロミオの手に渡ります。それには、今夜キャピュレット家で舞踏会があって、お目当てのロザラインも出席するというようなことが書かれていたのでしょうか?その後広場で両家の人々のいざこざ、ヴェローナ大公に戒められるシーンに続きます。

一方、ジュリエットの家では一人娘ジュリエットが、翌日の舞踏会で社交界デビューするためか、はたまた婚約者のパリスと引き合わされるのか、入浴中なのに、母のキャピュレット夫人がやってきます。ここで登場したジュリエットのみずみずしさといったら!タオルを身体に巻いただけの姿で、裸足で従姉妹たちとはしゃぎまわるジュリエットは、少女というよりまだほんの子供。キャピュレット夫人は、ジュリエットにペンダントのようなものを渡し、早速レディ(淑女)指南?を始めます。

このキャピュレット夫人は若くて美しく、ものすごい存在感がありました。それもそのはず、プリンシパルのギッテ・リンストロムという人でした。キャピュレット夫人役にプリンシパルなんて、そんなの聞いたことがありません。これがまたたくさん踊る!洗練されて無駄のない動き。正確で鋭いステップは、強く、威圧的でさえあります。

一方ジュリエットは身体にタオルを巻いただけ、髪はバラバラ、ほんとに生まれたままのピュアな存在として描かれています。彼女の自由で無垢な魂は、まだ何の穢れも知らない。キャピュレット夫人と同じ動きをしようとしても、ぎこちなくてぶざまで、よろけてしまったりしてうまくできません。まだ何にも縛られない、限りなく自由なジュリエットには、このきっちり型どおりの、キャピュレット夫人の踊りの真似はとてもできないのです。この風呂場のシーンだけで、そういうことをはっきり印象付けてしまうところがすごい。

そして、舞踏会の日。紛れ込んだロミオは、そこでジュリエットに出会い、お互いに惹かれあうことになるのですが、ロザラインはどうなったの?このいい加減な軽い男!ここで登場したパリスがまたとても若くて美形なんです。ロミオよりパリスの方がいい男なんて、その時点で物語が崩壊していません?私は何度も「パリスの方がいいじゃん‥」と思ってしまいましたよ。

舞踏会のシーンはちょっと異様でした。キャピュレット家の人々、貴族の人々はほとんどが黒を基調にした衣装。最初の街のシーンは、みんな柔らかいベージュや茶、グレー、エンジなどのアースカラーでしたが、ここは全く対照的に重々しい黒の世界です。それがあの有名な曲に合わせて、しゃちこばったような踊りを踊るのです。街の自由さに比べ、型にはまったような貴族の世界。中でも、ティボルトとキャピュレット公の間で踊る美しいキャピュレット夫人が、攻撃的なまでに脚を高々と上げ、無表情に踊るのがちょっと怖かったです。

このまま重厚な貴族の世界で押しつぶされてしまうのかしら。ときどきつまづきそうになりながら父母と同じステップを、パリスと型どおり踊るジュリエットはまさにそんな感じ。そこへ突然ロミオが現れるのです。

バルコニーのシーンは本当に若々しいスピード感にあふれていて感動的でした。あの重苦しい貴族の踊りと比べ、何という対比。ジュリエットを自由な世界にはばたかせてくれる人が今現れた。このまま二人でどこへでも飛んで行けそうな、そんな感情の高まりを感じる素敵なパ・ド・ドゥに涙~heart04

≪第2幕≫
幕が開いてもしばらく音楽がない無言劇。まず音楽あり、というバレエでこういうシーンは何か新鮮です。広場で子供たちが遊んでいるところをたしなめられ、そこにぞろぞろと神に祈る人々が入ってくる。そして、音楽とともにお祭りが始まったのでした。このお祭りの最中、ロミオにジュリエットの手紙が渡され、二人はロレンスのもとで秘密の結婚式を挙げる。その帰り道に、また広場のシーンがあり、ここで事件は起きるのですが。全くロミオって何て軽率な奴なんだsweat02

ここでも旅芸人たちが大活躍。賑やかな音楽とともに広場奥の回廊の上から無数のビラがまかれます。これから一大芝居の始まり始まり!それが、現実もまるで芝居の中かと思われるような、混沌とした舞台なのです。

下手ではずっとティボルトが娼婦を相手に酒を飲み、酔っ払い、昼日中からいちゃいちゃしていて、通りかかったロミオにも因縁をつけます。ティボルトだって貴族だし、良家の跡とりでしょ??それがまるでヤクザみたいなんだよね‥‥sweat02ロミオは、このジュリエットの従兄弟に、今までと違ってなるべく平和的に接しようとするのですが‥。

マキューシオとティボルトが喧嘩になり、マキューシオが倒れるところ、ここは一つの見せ場ですね。先ほどまかれたビラが足もとにざわざわと舞い上がり、埃っぽいほどの臨場感。そして、マキューシオはまるで劇中劇のように、いや、誰もお芝居だと思って疑わないくらい、満場の観客の中彼一流の冗談のように死んでいく。(ちょっとオジサンなマキューシオでしたが)それがまたロミオにはたまらなかったのでしょうか。いきなり現実に戻された広場で悲劇は起こります。

迫力ある剣戟の末、ティボルトは倒れますが、そこへ駆けつけたキャピュレット夫人の、ありえないくらいの嘆きよう!前にクランコ版を見たときに、同じく尋常じゃないキャピュレット夫人の様子に、ティボルトは息子じゃなくて甥でしょ。大事な跡とりを失ったから?と不思議に思いましたが、やっぱり1幕の舞踏会のシーンなどで暗示されているように、ティボルトとは愛人関係にあったと考えるのが自然なのかな?(それにしちゃこのティボルトは安っぽいごろつきみたいだし‥。夫人は悪趣味だったのかsweat02)この人ももとはジュリエットと同じように情熱的な女性で、それを押し殺して貴族の奥方に収まるために、ティボルトのような愛人を持つことで精神的な均衡を保っていたのでしょうか?

ロミオは即刻追放になって、旅芸人の一座にまぎれて街を去るのですが、ここまでが一気に進み、ほんとに見入ってしまって、あっという間でした。
長くなってしまったので、いったん終わりにします。続きはこの次に。

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2009年5月27日 (水)

ナポリ!

S2009_0525_142148imgp7629 デンマーク・ロイヤル・バレエの「ナポリ」の初日(15日)を見てきました。今さらという感じですが、少しでも何か残しておかないと、また「ロミオとジュリエット」を見たらきっと全部すっ飛んでしまいそうなので、気づいたことを書いておくことにします。(と、思って書きかけのまま放っておいたらもう「ロミジュリ」も見てしまいました!)

デンマーク・ロイヤル・バレエは9年ぶりの来日だそうです。9年前というと私がバレエを見始めたころ。その時に見たという友人は、1度見たからもういいと言っていましたが、私は見たことのない演目だし、舞台写真などを見ると「ドン・キホーテ」みたいで、賑やかそうなのでちょっと楽しみにしていました。

だけど、何と言うか、私にはブルノンヴィル・スタイルというのはあまり好みじゃなかったです。あの無意味にパタパタっとする脚技だらけなのが、いったい何を表しているのか?シソンヌとか、アントルシャとか、細かいジャンプが多くとても大変そうな踊りなのですが、難しいことをやっている割には美しくもないし「すごい」っていう感じもしない。

もしそれが「シルフィード」なら、人間離れした妖精の軽やかさを表すものだとわかるんですよ。多分愛らしい妖精たちがふわふわと飛び交っているように見えるでしょう。だけど、街の人々が踊る場面が全部この手の踊りってsweat02きれいに合わせるのは難しいし、同じ振りばかりで単調だし、何だかとてもうるさい感じ。そしてマイムが多くて演劇的というのだけれど、マイムの内容は単なる説明やドタバタ劇で、残念ながらどこが面白いのかよくわかりませんでした。

1幕は港町、2幕が海の王の洞窟、3幕が村の広場と、舞台自体は場面に変化があったし、舞台に乗りきれないほどの人があふれるパワー。そして例の忙しい踊りのため、見た目にはとても陽気で華やかでした。でも、私ももしかして1回見ればもういいかな??

というのも、主役ペアがかなりベテランでいい味は出しているものの、やっぱりヴィジュアルが‥bearing テレシ―ナ役のティナ・ホイルンドはバレリーナとしてはスタイルいまいち‥でも、気が強そうな明るいお姉さんタイプで、まあいいです。だけど恋人のジェンナロ(配役表にも「若い漁師」と書いてあるのに!)役のトマス・ルンドは、出てきた瞬間おでこ激広のおっさんだったので一気に盛り下がってしまいました。遠目にはルグリ‥(ちょっと苦しい?)か、レニ国のプロームくんの顔を長くしたような‥‥ごめんなさい!この方は世界各地を回ってブルノンヴィル・スタイルを伝えている人のようで、さすがに本家本元。忙しいステップでもつま先がとてもきれい。動きが正確で踊りがぶれない。悪くないんですけど、せめて衣装をどうにかして~!オヤジのショートパンツ姿なんて!(最近ルックスで判断する悪い傾向が‥‥)

≪第1幕≫
ヒロインのテレシ―ナは港町で母と一緒に暮らしています。愛らしいテレシ―ナは人気者で街の男二人に言い寄られているけど、この男二人というのが「ドン・キホーテ」のキトリの父みたいなおっさんなんですよ。テレシ―ナには漁師のジェンナロという恋人がいる。でも、このオヤジたちはそれが気に入らないみたい。ジェンナロが漁から帰ってきて、とってきた魚を皆に分け与えたりするのだけれど、オヤジ二人は結託してジェンナロを悪く言い、街の人たちもそれを本気にしてしまう。

こういうことがみんなマイムで進行し、舞台上はいろんな登場人物であふれかえっていて、それぞれの芝居を展開しているので、どこを見たらいいかわからないような状態。楽しいといえば楽しいけど、どうでもいいといえばどうでもいい。よく見ると子役も本国から連れてきたような子たちなので、ちょっとびっくり。後ろにいる踊らない人たちもエキストラじゃないみたいでした。一体何人いるんだろう?

旅芸人?がやってきてビラをまきます。そして一人が歌を歌い、もう一人が太鼓をたたくのだけれど、この歌の部分がトランペット(‥いや、ヴァイオリン?)で、歌は口パク。これがかなり変で違和感がありました。いくらバレエでも人が歌う声が楽器なんて。その歌い手さんと太鼓の人とのおどけたやりとりに、街の人たちは夢中になりますが、突然嵐がやってきて人々は急いで家に逃げ帰ります。(舞台上部の洗濯物には笑えたhappy01

街の人たちが旅芸人に夢中になっていた時、テレシ―ナとジェンナロはこっそり海に出てデートを楽しんでいたのですが、急に嵐になって船が壊れ、テレシ―ナは行方不明。ジェンナロだけが港に泳ぎ着いて、とんでもないことになってしまったと嘆きます。そこへ神父が現れ、お守りのメダルを渡して励ますと、ジェンナロはテレシ―ナを探して再び海に出る決心をします。

いろんなところに目移りするほど、とても賑やかで楽しい舞台なのですが、特に踊りの見どころがないまま1幕は終わりました。

≪第2幕≫
2幕はうってかわってブルーの世界。カプリ島の「青の洞窟」の中なんですね。実はこれ、初演が1842年なのです。「白鳥の湖」の初演が1877年なので、それより35年も前。日本で言えば天保の改革の時代ですよ!改訂を重ね時代とともに新しくなっていった「白鳥」などとは違い、そんな頃の作品をそのまま大事に伝えているのはある意味すごいことです。ただ、この2幕だけは間延びしてつまらなかったらしく、席を立って3幕に備えてレストランに行っちゃう観客が多かった(え~!?)そうで、そのうち大幅にカットされてしまったので、2幕にはブルノンヴィルのもともとの振付はほとんど残っていないそうです。

ブルノンヴィルという人は、このデンマーク王立劇場のダンサーだったそうですが、問題を起こして国外追放になったときにヨーロッパ各地を旅し、ナポリの街や「青の洞窟」を見て、この作品のインスピレーションを得たのだといいます。確かに、長く厳しい冬に閉じ込められる北欧と違い、太陽がいっぱいの明るく陽気なイタリアの風景には心洗われるものがあったんでしょうね。

嵐にあって行方不明になったテレシ―ナは、海の王ゴルフォに助けられて青の洞窟の中の宮殿?にいました。ゴルフォはテレシ―ナを好きになり、彼女に迫りますがもちろん拒絶されてしまいます。テレシ―ナは元の街に帰してと嘆願するばかり。そこで、彼女の記憶を奪い、海の精の一人にしてしまいます。この時の変身シーンが、もうほんの一瞬。上に着ていた町娘の衣装を後ろからぱっと引き抜いていました。衣装が変わるとともに記憶も消えてしまって、美しい海の精達の中に入って踊るテレシ―ナ。

そして海の王ゴルフォとのパ・ド・ドゥ。1幕では結構後ろの方のダンサーまでオペラグラスで見ていたんだけれど、もう!デンマークにはイケメンはおらんのか!という状態‥‥sweat02その中でゴルフォ役のフェルナンド・モラは唯一の美男子でした。が、いかんせんあの青ヒゲと、まるでコールプのような目のまわり真っ黒メイクで、いかにも「悪役」という感じになっていたのがもったいない。

これって浦島太郎の竜宮城みたいな話ですよね~?だから、異界にたどり着き、記憶まで消されてしまったテレシ―ナは、海の王の誘惑を受け、さぞや官能的な世界が展開するのかと思いきや、この見せ場と思っていたパ・ド・ドゥはかなりもの足りない気がしました。海の王はイケメンなのに、何か圧倒的な魅力というかそういうものに欠けて、単なる振られ役の男になっちゃって面白みがないんですよ。もっとセクシーで、人間離れした妖しい魅力があって、それでさすがのヒロインも抵抗できずにグラグラいっちゃうぐらいになれば面白かったのに。(また、おばさんのたわごとcoldsweats01

せっかく記憶を消したのに、テレシ―ナの心の動きが何もなく、「何だかわからないけど、この不気味な男、やだわ!」ってだけだったのが残念でした。それでも、この海の精達が踊る洞窟のシーンはなかなか幻想的で美しかったです。暗いからちょっと眠くなったけれど。しかし‥‥女性はきれいな人が多いのに、男性はな~。海の王の手下なんて、あのワカメが貼りついたみたいなひどい衣装は何?

ジェンナロがボートで洞窟の中に入ってくる場面はとても印象的でした。ここで彼はテレシ―ナのギターを見つけ、彼女が無事でいることが分かってホッとするのですが、彼女は海の精となり、記憶を失っていたのです。絶望するジェンナロ。そのとき、神父が貸してくれたお守りのメダルを思い出し、一心に祈ると‥‥もう一度衣装の引き抜きがあって、テレシ―ナは一瞬で元の姿に戻り、記憶も取り戻します。神の力には勝てないとあきらめた海の王は、快く二人を祝福し、お土産まで与えて(玉手箱じゃないよcoldsweats01)あっさりと送り出すのでした。(振られたのにsweat02

≪第3幕≫
もう記憶がかなりあいまいなのだけれど、1幕の遠くに火山の見える港町とはうって変わって山の中の聖母の祠?がある広場のようなところ。このお祭りに集まった人たちが、嵐の日にいなくなった二人の噂をしています。相変わらずジェンナロのことを悪くいう二人のバカオヤジ。ところがそこへ二人が帰還。驚く人々に神父が聖母のご加護で助かったことを伝えて大団円となりました。

ここで踊られる踊りが、これでもかという感じで続き、楽しかったけれど、やっぱり細かいジャンプの多い忙しいもので、華やかだけれど何か同じような動きばかり。古い時代の振付を大事にして、そのまま受け継いでいるものだと思うので、現代人の目には単調かもしれません。でも、当時のイタリアのバレエにしても、その後のプティパの振り付けにしても、もともとはかなりシンプルなものだったことを考えると、たぶん初演当初は見る人の度肝を抜くような、テクニック満載のものだったのではと想像できます。

私はよくわからないけれど、ブルノンヴィル・スタイルというのはそれ独自のメソッドがあって、小さい頃からそれで育てられるというようなものなのでしょうか?みんなさすがにつま先がきれいで、早い小技の効いたステップも実に正確にこなします。そしてスタミナもあるのか疲れも見せず踊る踊る!でも、何というか、普通に見られるような回転技がほとんど入ってないし、またちょっとした回転でももしかして苦手?というような人が多いように感じました。

パ・ド・シスの一人のヤオ・ウェイが回るのうまい!と思ったけれど、よく考えればこれが普通ですよね~。上半身の優雅な動きも、本来だとこっちがホントだろうと思うけれど、この中にいると他の人とは踊りのタイプが違っています。中国系で、清楚な雰囲気をまとっていて好感を持ちました。ほかはちょっと印象に残っていない‥‥。音楽も明るく楽しい音楽だったと思うけど、ほとんど印象に残ってなくて、舞台を見た感動とかそういうものはあまりなかったのです。

マイムが多くて演劇的といわれればそうかもしれないけれど、ストーリーが単調なんですよね。違う世界の強い誘惑にうちかってまたこの世界に帰ってくる。そういうお話ではあるけれど、それが主人公の意志や感情の動きで表されるのではなくて、すべてが神のご加護ということで片付いちゃったのが「な~んだ」という感じでした。

あと、おかしかったのは正面の大きな橋の上にいる子どもたち。本国から連れてきたような子もいたけれど、半分以上は日本のエキストラの子たちでした。かわいいんだけど、その子たちが3幕の間じゅうず~っと橋の上に立たされたままなんですよ。踊りとともに手をあげたり、手拍子を打ったり、手を振ったり。それがまるで北朝鮮か何かの少年少女合唱団といった感じでね~。あるいは、中国雑技団?ここは人民公社か??みたいな、かなり違和感ありましたsweat02

というわけで私、「ナポリ」はあまり好みじゃなかったみたい。2幕はともかく、1幕と3幕にブルノンヴィルの元振付を忠実に残しているということで、それは歴史的に価値のあることだと思うけれど、現代の観客には博物館の展示物のようなものだったかもしれません。

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2009年5月20日 (水)

京都に行ってきました ~番外編~

2009_0511_152958imgp7530 まるで映画のセットみたいですが、ここは京都の四条大橋を東に渡って祇園一力を南に曲がったところです。この先に建仁寺があり、建仁寺の中を通ってさらに行くと六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)というお寺があります。

南座の夜の部の当日券を買って、まだ少し時間があるので前からちょっと気になっていたこのお寺に行ってみました。すぐ近くだと思ったのですが、結構(南座から徒歩10分ぐらい)ありました~。何かあの栗塚さんとの歴史散歩ですっかり距離感がわからなくなってしまいましたねcoldsweats01そして、どこまでも歩2009_0511_154253imgp7531いちゃえというこの精神!栗様のおかげですっかり鍛えられました

この赤い怪しげな門‥。入口には「小野の篁卿舊跡」とあるのですが、「舊跡」はきゅうせきと読み旧跡ということらしい。。小野篁は平安前期の貴族で、身長が6尺以上あったとか、その風変わりな行動、天才的な頭脳などで知られている人です。中に入ると閻魔堂というのがあり、小野篁が掘ったという閻魔様の像と並んで、篁の像もありました。彼は閻魔大王の家臣だという伝説もあります。

このあたりは葬送地であった鳥辺野に近く、六道の辻と呼ばれていて、あの世とこの世の境といわれているそうです。何だかちょっと今まで行ったところと感じが違うでしょ??だから「番外編」にしましたhappy012009_0511_155055imgp7535

ほら、「あの世への入口」と書いてあるでしょう。何か、大まじめにこんなことが書いてあるお寺ってとても珍しい。。だから珍皇寺?

盂蘭盆会のときには、一般的にはご先祖様の墓所のあるお寺に行って、そこで灯した火を家の門口まで持ってきて、小さな焚き火をしてお迎えしますよね。それが、「京都では」と書いてありますが(京都全部じゃないと思うのですが)先祖の霊はこの六道珍皇寺を通ってくるので、「六道参り」というのをして先祖を迎えるのだそうです。2009_0511_154857imgp7533

この建物の中に「迎え鐘」が封印されています。何か不気味ですよね。この地下は地獄に続いているのだそうですよ。お盆の時はこの迎え鐘を打って先祖を迎えるそうです。真ん中から出ている綱を引くと音が出ます。私が見ていると、人が来て、賽銭箱にお金を入れ1回ついて行きました。今まで聞いたことのないような、長くあとを引く、不思議にもの悲しい音色でした。あの世にまで聞こえる音色なんでしょうか?不思議なものがあるものですね。

小野篁はこの寺の井戸から冥界へ行き来していたそうです。その井戸は公開されていないのですが、本堂の横の戸にある窓から、庭の井戸を見ることができました。遠くてよくわからないけど、そんな伝説があるだけあってやっぱりちょっと不気味な感じがします。2009_0511_155237imgp7538

この庭の奥、赤い色が見えるのがお堂で、その中に井戸があるようです。この井戸を入ると冥界を通って、嵯峨野の化野(あだしの)に抜けるといわれているそうです。夜ごと小野篁が閻魔大王に出仕するためにここから通っていったとか‥‥相当オカルトチックですねsweat02

でも、これだけではありません。実は、私はこのあたりで売っているという「幽霊子育て飴」というのを買ってみたくて来たのです。もともと民話だと思いますが「子育て幽霊」という話があります。若い女の幽霊が、毎夜飴を買いに来るのであとをつけてみたら、赤ん坊の泣き声がする。墓を掘ってみたら赤ん坊が泣いていて、それは身重のまま亡くなった女の墓だったという。落語にもなっているそうですが、その話に出てくる飴が実際にあるというので探してみました。2009_0511_155931imgp7543

見つかりましたが、残念ながらお休みでした。張り紙には、休業の時はここで買ってくださいというのが書いてあって、見たら東山通りのほうまで行かなければならないので、時間もないし足も痛い(前日の後遺症!)のであきらめました。塊をぶつ切りにしたようなものすごく素朴な飴だそうです。次に来たときはぜひ。

それから、この向かい側には「子育て地蔵尊」というのがありました。やっぱり何か関係があるんでしょうか。2009_0511_155843imgp7541

ついでにお参りしてきました。私は、まあ今まで育児ノイローゼにもなりながら、結構苦手な子育てを一生懸命やってきたと思います。手を抜くところは抜いたけれど、今となってはまあまあいい子育てができたんじゃないかと。高校生になってもまだ子育ては終わりじゃないと思うけれど、一応今現在までは無事何事もなく大きくなっています。どうもありがとうございます。神仏にはお願いすることの方が多いかもしれないけれど、子育てに関しては、今はただ感謝ですね。あとは合格祈願、就職祈願、結婚祈願??かな?(そんなのあるの?) 2009_0511_155858imgp7542

この道しるべも何やらいわくありげです。でも、もう戻らなきゃ。南座までは歩いて10分。40分ほどのお散歩でした。

もう一つの小散歩は、泊まったホテルが三条河原町だったので、最後の日の朝、出かける前にちょっとその辺を歩いてみました。

京都に初めて行ったのは中学の修学旅行。その時の宿が多分新京極より何本か西側の通り沿いだったと思うのです。夕食後の自由時間に新京極まで買い物に行ったのが、すごく楽しい思い出になっています。去年の娘の修学旅行では夜は外出禁止だったそうで、何かかわいそうな気がしていました。

その後、高校1年生の時に友達と二人で3泊4日の京都旅行をしました。その時泊まったのが「松三」というユースホステルでした。古い京都の町屋をそのまま使ったもので、中に入ると本当にウナギの寝床のように奥まで続いていて、面白い建物でした。そこに泊まった時も夜は新京極に出かけて行ったんだっけ。あれはどのあたりだったのか?確か住所は三条御幸町通りでした。その辺りを歩いてみたけれど、もうそれらしきものさえなくなっていました。そうだよね~30年も前の話ですから。

「松三」にはその後も1、2回泊まったことがありました。昔ながらの町家なので、夏でもエアコンなんかもちろんなく、大部屋に雑魚寝。対応もそれなりで、ユースホステルとしてはそんなに評判良くなかったけれど、私は割と好きでした。何より、いかにも京都に来ている!という感じがしたからです。もうどこにあったかもわからなくなってしまったけれど、北山ユースとともに私にとってはすごく懐かしい場所でした。京都のユースホステルは、まだ宇多野ユースと東山ユースが健在のようですね。今はどんな人が泊まっているのかな~。

というわけで長々と続いた私の京都旅行記はこれで終わります。

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2009年5月19日 (火)

新緑の北山

S2009_0512_111406imgp7558 京都には結局2泊しました。今は新幹線とホテルを別々にとるより、ツアーの方が断然安いと思います。それも、連泊だと2泊目は安くなるので、何となくせっかく行くのだからという気になりました。そしてツアーの場合、新幹線は時間帯によってかなり値段が違うのです。もちろんこだま号が一番安いのですが、当然時間がかかります。あと、飛行機もかなり安いですが、申し込んでみないと何時の便になるのかわかりません。今回のようにイベントに参加する目的があって、時間が決まっているときには向いていませんよね。S2009_0512_111236imgp7554

一番安いのは朝の6時台の出発。7時台とは3000円ほども違うので、ちょっと大変だったけれど6時台にしました。でも、9時過ぎに京都駅に着くので、1日有意義に使えましたよ。それから、帰りは何と、安いのはなぜか午後3時台。もう少し早くても遅くても高くなります。東京に着くとちょうど夕方のラッシュアワーだし、もう少しゆっくりしたいという気もあるけれど、まあ、余り遅くならないよい時間でした。

それで、最終日は朝ゆっくり出て、今まで行ったことのなかった北山方面に行くことにしました。四条大宮から玄沢行きのバスで約30分。写真はその北山の光悦寺です。実は光悦寺は初めてなのですが、ここは何回か来たことがあります。それは昔、北山ユースホステルというのがあって、そこに何回か泊まったことがあったからです。S2009_0512_110801imgp7549

ユースホステルはいろいろありますが、この北山ユースはペアレント(管理人)さんが人気があって、常連の多いとても面白そうなユースでした。私ももう少し早く知っていれば常連になっていたかもしれませんが、学生時代も終わりのころに知ったので、ほんとに数回お世話になっただけでした。それで、今はもうないと聞いていたけれど、あったあたりにちょっと行ってみました。この写真の道路の右側あたりだったかな?青春の思い出ですね。

しかし、バスでこんな遠い郊外まで来たのに、どうしてすぐ近くにあった光悦寺などの名所を見なかったんでしょうね。何だかもったいなかった感じ。当時は興味を持つ対象がちょっと違っていたのかな?北山ユースからの帰り、歩きながら光悦寺の横を通った記憶があったのですが、行ってみると、光悦寺というのは道からは小さな門があるだけで、寺自体はかなり中に引っ込んでいたのです。だから垣根沿いに中をのぞきながら歩いたという昔のおぼろげな記憶は、どこか違うところと勘違いしてたんだなと。しかし、そうなると光悦垣(と思っていた)を低くめぐらした中にあった庭園の記憶は、あれは一体どこだったんでしょうね?S2009_0512_111747imgp7559

光悦寺は北山の自然の中にありながら、こじんまりとした、粋な雰囲気のある場所でした。この写真にあるのが本物の光悦垣です。本阿弥光悦は江戸時代初期のマルチアーティスト。書、絵画、茶道、陶芸、蒔絵、建築、作庭など、あらゆる芸術分野に通じる、いってみればダヴィンチみたいな人だったそうです。

光悦は、もともと京都の刀剣、武具などにかかわる富裕な商家で、前田家などの大名家に出入りするような豪商だったということですが、大坂夏の陣後、徳川家康からこの鷹ヶ峰の広大な土地を与えられて移り住みました。事実上隠遁したわけですが、その後この地はさまざまな分野の芸術家が移り住んで、一大芸術家村となっていったそうです。S2009_0512_112838imgp7565

私は、文化史に関してはとても疎いのですが、まだ桃山文化の壮麗さを残しながら、「侘び、寂び」の世界に移っていく江戸初期。この辺の文化人、芸術家間の交流というのはとても面白そうです。西本願寺、詩仙堂、桂離宮など、京都をめぐるときには必ず行き当たるこの時代の風流人たち。いつか調べてみたいと思っています。

入口からのぞく参道はとても美しく、紅葉の頃はさぞやと思ってしまいます。寺の本堂は意外と小さく、こじんまりとしていますが、庭の中にぽつぽつとあるいくつかの茶室と同じような趣が感じられます。

詩仙堂でも感じたけれど、実用の寺というより、純粋な趣味の世界なんですよね。だから大きい所よりも小さいところに細かいこだわりが見える。昔の文化人の趣向を凝らした空間というべきでしょうか。それと、ちょっと感じたのは、昔の人は背が低かったんだなということ。茶室の入口もそうだけれど、少しかがんでみると目線が変わって、また違う世界が見えてくるような気がしました。S2009_0512_113028imgp7568

お庭は、茶室の一つを改装中のためか、全部は見られない?ようです。一番端のところからは向かいの鷹峰三山が雄大な借景のように見えています。そして、谷の下には見えないけれど沢の水音も聞こえてきます。

実は、茶室はみな大正時代以降につくられたものということで、当時のものではなく、寺も光悦の死後寺になったわけだから、往時をしのぶわけにはいかないのだけれど、この山の借景と、沢音は変わらない。長い戦乱が終わり、これから長い太平の世が続いていく、そんな時代に、この静かな山里がルネッサンスのような状態になっていたのかな?とか、そんなことを想像するだけで楽しいじゃないですか。S2009_0512_115407imgp7578

さて、こちらは光悦寺から徒歩1分の源光庵です。ここは紅葉の名所だそうで、紅葉の頃はもう見物客の行列だそうですよ。この写真の丸い窓は「悟りの窓」。四角い方は「迷いの窓」だそうです。二つの窓から見える燃えるような紅葉の写真が飾ってありました。すごい!

でも、この新緑もまたさわやかで美しい。悟りの窓、迷いの窓と、それぞれの窓の前に座り、しばしそこから見える庭を楽しみました。私にはまだ「迷いの窓」からの風景が自然でしっくりするような‥?外の鳥の声や風の音がそのまま感じられる気がするし。一方、丸い「悟りの窓」からのぞいた風景は、同じ場所なのに違って見えて、闇の中にそこだけぽっかり浮かんでいるよう。まるで心の中を写すような、静かな時間を味わいました。S2009_0512_115024imgp7575

この書院の天井は、落城した伏見城の床材をつかったという「血天井」なのです!お寺の中にどうしてそんなおどろおどろしいものがあるのでしょうか?!

伏見城の遺構は二条城や西本願寺に移されて再利用されていますが、何も血のついた床板を天井にしなくてもsweat02と、思ったら、それは供養のためということでした。人が亡くなった跡を床にして踏みつけるのではなく、天井にして供養する。わからなくもありませんが。

伏見城は当時、徳川家康の居城で、上洛命令に従わない上杉景勝を家康が会津に攻めた際、その留守を家臣の鳥居元忠らが守っていたそうです。そこを西軍の石田光成らが攻撃した「伏見城の戦い」で、立てこもっていた1800人のうち、討死せず残っていた全員が鳥居元忠とともに自刃したといわれています。この落城が8月1日で、それから関ヶ原の戦い(9月15日)の戦後処理が終わるまでの2か月余りの間、大量の遺骸はずっと放置されていたそうですcoldsweats02

だから染みついた血のあとはいくら洗っても、年月がたっても消えることがない。いくら供養のためとはいえ、そんな恐ろしいものを本堂の天井にして、御仏が安置され、そこには「迷いの窓」と「悟りの窓」がある。何という世界でしょう!戦いという、絶えず歴史の中に繰り返されてきた人間の過ちを天井に仰ぎ、そこで毎日勤行が行われる。そういうものを乗り越えて「悟り」に導こうというのでしょうか。

天井を見ると、雨漏りのあとのようにもうしみだらけ。それも普通の雨漏りと違ってやっぱりかなり赤みを帯びています。何百年の年月がたっても血の色は消えないのでしょうか。はっきりとわかる手形や足跡、そして何かを引きずった跡のようなものまで。外のすがすがしいお庭とは余りにも別世界で、何とも言えない気持ちになりました。血天井は他にも同じ北山の正伝寺、東山の養源院などに残されていて、中でも養源院のものが一番生々しいそうですよsweat02S2009_0512_120415imgp7583

さらにそこから徒歩1分の、こちらは常照寺。この手前の入口の掲示板に、「都をば花なき里となしにけり 吉野を死出の山にうつして」という和歌が書いてありました。ここは江戸初期の二代目吉野太夫の墓がある寺です。

二代目吉野太夫は和歌、音曲、舞踊、書画、茶の湯など、あらゆる芸事に優れ、当時の上流階級の社交の花として名を残した名妓だそうです。その吉野太夫が法華経に帰依していたことから、写真に見える朱塗りの山門(吉野門)を寄進したと伝えられています。この前は桜並木で、桜の頃は美しいでしょうね。

先ほどの「都をば」の歌を詠んだのは、その吉野太夫を身請けし、妻にした灰屋紹益という文化人でもある京都の豪商。この紹益という人は養子で、実は本阿弥光悦の甥の光益の子なのだそうです。この常照寺を発願したのは光悦の子の光嵯という人ということで、何かいろいろ縁があるんですね。花の命は短くて、吉野太夫は38歳で亡くなり、紹益は悲しみのあまりその遺灰を飲んだと言われています。。。S2009_0512_122808imgp7586

こちらが、その吉野太夫が好んだ吉野窓。完全な丸は悟りを表わしていますが、その悟りから少し欠けた、という奥ゆかしさがあるのだそうです。ここはお茶室で普段は公開していません。聞いてみたら、毎月第1日曜日の月釜のときに、開いているのが見られると言っていました。

奥の休憩所で、この寺を紹介したDVD映像を見せてもらいました。境内にたくさんあるいろんな種類の桜。毎年4月の第3日曜日に行われる「花供養」のときの、大勢の見物人の中で八文字を踏む太夫の行列、花の下でのお茶会の様子などが写されていました。

ここで、やめればいいのに、というか、さっさとバスに乗って帰ればよかったのに、まだ時間があるからと欲を出して、正伝寺まで足を延ばしてしまいました。このあたりから正伝寺までは交通手段がなく、歩くしかありません。地図でみるとすぐ隣のような気がするのですが、実際歩いてみるとすごい距離がありました!5キロぐらい??それに地図も分かりにくいし、足は痛いし、すごい炎天下。でも歩きだしたら、せっかく来たのだからという気もあって、何だかやめられないのです。もうへとへとの汗だくになりながら正伝寺の門までたどり着きました。ところが、そこからまた地獄のような山登り!!S2009_0512_131822imgp7591

登りつめたところはまるで雲の上の、天国のようなところでした。遠くに比叡山が見えます。何て雄大な借景!そして、ここにはちまちましたしつらえは何もない。ただ壁と、砂と、サツキの植込み。そして杉木立の向こうの比叡山。

もう、歩きすぎて死にそう!と思っていたけれど、来てよかった。この小堀遠州作という(ほら、この人も江戸初期の文化人でしょ?)枯山水の庭園を見ながら、汗がひくまで一人で、ほかに誰もいない広縁にずっと座ってボーっとしていました。

この方丈はあの伏見城の遺構だそうで、ここにも「血天井」がありましたsweat02ここの血天井は庭の見える広縁の天井になっており、外気にさらされているせいか、少し色が薄まっているような気がしました。その血なまぐさい天井の下に座り、はるかに比叡山を望む天国のような天空の庭を見るという、不思議な経験でした。

ということで山を降り、バス停まで歩き、無事京都駅から新幹線に乗って帰ってきました。今回は栗塚さんと史跡巡りのイベント、友人とおしゃべり、歌舞伎鑑賞、そして一人で歩きに歩いた小さな旅と、とても充実した3日間でした。もう1回、旅行記の番外編を予定していますが、ひとまずこれにて。

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2009年5月17日 (日)

5月11日に。

2009_0511_104643imgp7500 5月11日は土方歳三の命日でした。ことしは没後140年ということです。もうそんなに時がたってしまったのかと思わずにはいられません。

そういえば前日の土方散歩では、土方さんの命日については触れられていませんでした。土方さんは誕生日が5月5日で、命日が5月11日です。新緑がさわやかで、陽の光も明るい5月(しかも端午の節句だよ~)何か意外な感じもしますね。

一方栗塚さんの誕生日は5月9日。栗塚さん自身は「鬼副長」のイメージとは正反対の全く明るい方ですから、ぴったりな気もします。2009_0511_113733imgp7502

その土方さんの命日の5月11日をことしは京都で過ごしました。それも、30年来の友人のsayoちゃんに2年ぶりに会って、少し散歩して、ランチをしました。彼女とは高校生の時に壬生寺の近藤さんの銅像の前で会った仲。話してみたら同い年だったので住所を聞いて文通することにしました。文通なんて、懐かしい言葉ですね~。今はこんなブログもありますし、メールもあるから文通なんてする人はいないんじゃないでしょうか。でも、時々来る手紙だからこそうれしかったのかもしれません。数年前に再会するまではずっと年賀状ぐらいしかやりとりしていなかったのですが、たとえ何十年ぶりでも、連絡したら会ってランチしてくれるなんてうれしいですよね。 2009_0511_113955imgp7505

高校・大学時代、京都は春休み、夏休みなどに行っていました。京都在住のsayoちゃんとは近藤さんの前で待ち合わせして、何度か一緒に史跡巡りもしました。同じ新選組でも、彼女は沖田総司のファン。私と違って乙女チックだったわけですhappy01 

写真は「哲学の道」です。この時期、疎水沿いの桜並木の新緑がとてもきれいでした。疎水は幅が玉川上水の半分ぐらいな感じですが、川沿いを、流れを見ながら歩けるのはいいですね~。前日ものすごく歩いたので、もう歩くのはそんなに頑張らずに、栗塚さんの半分ぐらいのスピードで、それも歩き2009_0511_105607imgp7501始めてすぐお茶happy01

この小豆の入ったお菓子は「ういろう」です。ういろうって名古屋名物で有名ですが、あの羊羹か鳥の子餅(すあま)がベタベタになったみたいなういろうと違って、こちらは関東風の白い葛餅に近いような感じでした。この三角のは特に「水無月」といわれているものです。6月30日は夏越しの祓いの「みそぎ」をする日で、京都ではこの日に「水無月」を食べるのだそうです。昔、冬の間の氷を蓄えた「氷室」を、この6月30日に開いて氷を宮中に献上したそうで、「水無月」はその氷を表しているのだとか。庶民は氷を食べられないから、その代りにこれを食べたんですね。6月30日にこれを食べると1年間無病息災といわれています。私は氷よりこっちの方がいいかな~happy012009_0511_115021imgp7507  

哲学の道終点の「銀閣(慈照寺)」です。終点といっても、全部歩いたわけではなく、かなり銀閣の近くから歩き始めたんですけどねcoldsweats01 それでも十分哲学の道の新緑のさわやかさを満喫しました。

その銀閣ですが、行ってみてびっくり!何と修復中なんです。屋根が新しく葺き替えられ、1階の部分は現在工事中で柱だけになっていました。6年前に子ども連れで来たときは、子どもが「え~?このボロっちいのが銀閣?」と言ったくらい真っ黒で、見るからに古~い建物でした。ピカピカの金閣を見たばかりだったので、よけいそう思ったんでしょうね。それが屋根を葺き替えただけで見違えるくらいきれいになっていました。2009_0511_120029imgp7515

銀閣寺は何がいいかというと、金閣に比べて見栄えのしない建物よりも、とにかくお庭がきれいなことです。ここの池泉回遊式庭園は、有名な夢窓国師作の苔寺(西芳寺)の庭園を模してつくられたといわれています。そのとおり苔の種類も豊富で、なめらかな緑の絨毯のような美しい苔を見ることができるのです。ただ、この日は暑かったせいか苔も乾き気味。修学旅行生がたくさん来ていました。

いまどきの修学旅行はみんな4~5人のグループで、タクシーの運転手さん兼ガイドさんがついています。ちょっと横で聞いていると子ども相手にいろんな面白い話をしているんですね。去年、うちの娘も観光タクシーで回る修学旅行でした。確かに、ここは二条城や三十三間堂と違って団体でぞろぞろというのは無理です。小回りの利く少人数で、こんなふうに楽しく回ったのでしょうね。2009_0511_120245imgp7519

裏山から見下ろす、新しく屋根をふき替えられた銀閣はそれなりに美しいですね。この屋根は杮(こけら)葺きといって、3ミリ程度の薄い板を少しずつずらしながら重ねているものです。明るい陽光に映えて、本当に銀色に光っているみたいでした。

この写真の左奥に、写っていませんが吉田山が見えています。その向こうに真如堂の三重塔も見えました。前日、真如堂の方からこの銀閣の方向の大文字山がよく見えていましたが、今度はそれを反対側から見たわけです。2009_0511_115502imgp7514

苔の上の木漏れ日がとてもきれいでした。京都は都会でありながらバスでちょっと行くともう山が近くて、美しい自然を楽しむことができます。そして、昔の権力者や風流人はその里の自然だけでは飽き足らずに、こうやって各地の名石や植木を取り寄せて、里にいながらまるで深山幽谷のような幽玄の世界をつくりだしていったんですよね。何かすごいなあ~。

苔寺のほうは、今は往復ハガキで申し込まなくては拝観できませんが、昔、行ったときは普通に見ることができました。本当に、まるで夢の世界のような幻想的な美しさでした。その苔寺に確かに似ていますが、雰囲気は少し明るい気がします。やはり修学旅行の生徒たちなどで活気があるからでしょうか。2009_0511_115114imgp7509

銀閣を出て、そろそろお昼の時間ですが、予定していたうどん屋さんはもう既に行列でした。それで、私が「上七軒」を見たいと言ったので、バスで今出川通りを西に向かうことにしました。

北野天満宮の前でバスを降り、そのバス停前のお豆腐屋さんに入りました。ここも修学旅行生でいっぱいです。残念ながらお店の自慢の湯葉の定食は完売でしたが、丼類はまだあって、私は「生麩丼」というのをいただきました。生麩をたれで味付けしてご飯の上にかけてあるものです。初めて食べましたがハンペンのようなさつまあげのような‥‥でももっともっちりしていておいしい。関東ではほとんど見かけない珍しいものでした。それからデザートは豆乳ヨーグルト。酸味が少なくておいしかったです。2009_0511_141207imgp7526

北野天満宮は銀閣寺以上に修学旅行生で大賑わいでした。学問の神様ですから、合格祈願でしょうね。

そういえばうちの息子は、今年のお正月に夜行バスで一人で京都に行ったのです。早朝京都に着いて1日あちこち回ったそうですが、この北野天満宮では学業成就のお守りを10個ぐらい買ってきました。それで、中学受験をする従兄弟や、高校受験の妹(娘)やその友達に配っていました。それが何と、お守りを配った子は全員第一志望に合格!すごくご利益があったわけです。sayoちゃんに言ったらあっさり「本人の努力やわ。」確かに、そうですね!来年は息子が受験生。自分でもしっかりやってほしいものです。2009_0511_142027imgp7528

さて、北野天満宮の東側の界隈は「上七軒」といって、祇園と並ぶ京都の花街です。祇園と違ってそんなに知名度はありませんが、歌舞練場もあり、舞妓さんや芸妓さんがいて、お茶屋さんもあるそうです。写真のように観光客は全くいませんが、さりげなく京都的な風情が漂う町並み。こういうところはあまりガイドブックには載っていないので、地元の案内人がいればこそですね。

西陣に近く、花街も栄えていたそうですが、繊維業界が衰退してからは存続が危ぶまれるほどだったそうです。ところが最近、インターネットがきっかけで舞妓志願者がやってくるようになり、新しい時代を迎えているそうです。2009_0511_161751imgp7547

上七軒の通りを歩き、またバスに乗って四条方面へ‥sayoちゃんとはここで別れて、私は夜の部の歌舞伎を見るために南座へ向かいました。sayoちゃん、いろいろとありがとうね!

さて、南座です。四条通りの一等地にあるので、この前は何度も通っています。でもここで歌舞伎を見るのは初めて。演目は「小笠原騒動」でした。歌舞伎についてはまた後ほど‥‥といっても、私は4月に見た「伽羅先代萩」についても全然書いていませんsweat01せっかく見たものは備忘録的に簡単な感想だけでも書いておこうと思っているのに、何か忙しくて書いていませんね。。。この演目についても、できたらそのうち。

5月11日、土方さんの命日。といっても、土方さんをしのぶ?とか、特に何をしたわけでもありませんが、かつて土方さんのことも語ったことがある(と思う‥)友人と会って、明るい5月の陽光を浴び、まぶしいほどの新緑を満喫して一日を過ごしました。前日のイベントで意気投合した新しい友人もさることながら、何かそんな140年も前の人たちを通じて、今の私にもいろんな出会いがある不思議と、感謝の念を思わずにはいられません。

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2009年5月15日 (金)

栗塚旭と歩いた京都散歩!

前回の続きです。いよいよ今回のメイン・イベント。下鴨神社からバスに乗って集合場所、岡崎神社隣の「ホテル平安の森」に向かいました。2009_0510_142205imgp7451

この日(5月10日)は各地で真夏日になるなど、すごく暑い1日。また参加者も栗塚ファン一色の熱~いイベントとなりました。

主催はNPO法人「遊悠舎京すずめ」というところで、京都の文化を見つめ直し、次世代に伝えるという目的で、毎月講座や歴史散歩などを行っているそうです。もともと栗塚さんはここの会員第1号だそうで、普段の催しにもぶらりと参加されることがあるのだとか。

その栗塚さんが案内役を務める今回は、もう栗塚ファンで大盛況。当日の参加者60名、スタッフを含めて70名以上の人がぞろぞろと移動をするというすごいことになりました。(1枚目の写真はこのあと行った真如堂の三重の塔です。)2009_0510_140307imgp7443

まず、岡崎神社横の坂道を登り、黒谷の金戒光明寺へ。黒谷は、文久2年に会津藩主松平容保が京都の治安維持のために守護職に任命されたとき、本陣を置いた場所です。当時の京都には千本に所司代屋敷、伏見に奉行所がありましたが、容保公がここを選んだということ自体、もう臨戦態勢だったのだと思います。

金戒光明寺には多くの塔頭があり、そこに千人もの人数が分宿できたそうです。そしてこの地は天然の要害。白川通り側は、バスで通ってもわかるけれど険しい崖になっていて、とても攻め込めそうもありません。この山の上から見ると京の街は一望のもと。東海道から京に入る蹴上から粟田口、奈良方面の伏見、竹田街道、西は丹波口、山崎街道まで丸見えです。昔の人は目がよかったから(?)ここから見ると軍勢が何百とか、すぐわかったんでしょうね。2009_0510_135552imgp7440

東映の時代劇「燃えよ剣」は、この周辺で数多くのロケを行っています。もちろん会津本陣は、本物の会津本陣だったこの金戒光明寺の建物を使っています。この石畳の坂道は、「用心棒」シリーズでも、栗塚さん自身が「一体何百回往復したことか」というくらい頻繁に使われた場所でした。足袋をはいて草履で、または素足で下駄といういでたちでここを行ったり来たりするのはとても大変だったそうです。特に下りは足が前に前にいってただでさえつんのめりそうなのに、敵を追って駆け下りたり、上ったり、ここで殺陣を演じたり、さぞすごかったでしょうね~。2009_0510_140653imgp7446

今でも歴史的景観が多く残っていて、一見ロケにも使えそうですが、やはり砂利道がアスファルトになってしまったり、電柱が立ったり、石段に手すりができたり、土塀がブロック塀になたりと、少しずつ変わってしまって、もうほとんど時代劇に使えるようなところは残ってないそうです。

40年前はそれこそ、あそこもここもロケで使われた場所かと思うと、何だかちょっと残念な気がします。ロケもそうだけど、実際守護職の本陣があった所には、近藤も土方もきっと足しげく通ったことでしょう。金戒光明寺は、観光コースではないけれど、まさに隠れた歴史名所ですね。2009_0510_142353imgp7455

しかし、栗塚さんの歩くのが速いこと!もう最初からついて行くのに必死でした。というのも、70名もいたらこんなメガホンでお話しされていても、離れていたら聞こえやしない!だから、必死で先頭集団をキープする体制に。栗塚さんは姿勢がよく、歩き方も 重心が引きあがっていてダンスをする人のよう。その軽い足取りですいすい歩き、途中もしゃべりっぱなし。それでも全然平気な顔なんです。ついて行く私たちのほうがゼーゼーいっていました。

うしろの集団はまたうしろで、スタッフの方の丁寧な説明を聞きながら歩いていたはずですが、とにかく私は一生懸命頑張って栗塚さんのお取り巻きの一団の中を歩きました。このあたりは栗塚さんのご自宅も近く、日々のお散歩コースなのだそうです。さすが歩き慣れていらっしゃる感じ。ほんとにスタスタと行ってしまいます。写真なんか撮っていたらおいて行かれてしまうsweat02

栗塚さんは名門洛北高校を卒業されてから、ご本人いわく大学受験に失敗し、19歳で劇団くるみ座の主催者毛利菊枝の門をたたきました。その師匠の住んでいたのがこの道沿い。ちょうど金戒光明寺を出て真如堂へさしかかるところの、少し引っ込んだところに、今はもう家も違う家になってしまったけれど、「ここに門があって、そこを入ると師匠の自宅とお稽古場があって‥‥本当に毎日のようにここに通いました。」と話す栗塚さん。2009_0510_143030imgp7457

そして、これは真如堂の境内に昨年できた「京都・映画誕生の碑」というものです。シネマトグラフ(映写機)の形をしているのだそうですが、私にはよくわかりません。「ここにハンドルがあって、それをこう回して‥‥」と栗塚さんが解説してくださいました。

映画の歴史は諸説あるけれど1893年にエジソンが映写機を発明してから、最初の映画はその翌年といわれています。日本初の上映は1896年。日本初の国産映画は1899年(もちろん「活動写真」といわれる無声映画)そして京都では1908年に日本映画の父と言われる牧野省三氏によって、ここ真如堂の境内で「本能寺合戦」という、日本初の時代劇映画が撮影されました。いわばここは時代劇発祥の地。時代劇ロケ地第一号だったんですね~。その100周年を記念して、昨年この碑が建てられたのだそうです。2009_0510_143741imgp7459

コースはそこから宗忠神社の階段を上って吉田神社のほうへ降りて行きます。ここでちょっとびっくりしたのが、栗塚さんがお散歩中の知人と遭遇。それが、何と映画「二人日和」を撮った野村惠一監督でした。野村さんはご近所にお住まいで、よくこのあたりを散歩されているので、栗塚さんもこの企画のことを話して来てもらおうかなと一瞬思ったそうです。でもわざわざお呼び立てするのも申し訳ないし、と思ってやめたそうですが、タイミングよくばったり会ってしまいました。「これも何かの縁ですね」と、お二人とも笑っていました。2009_0510_144939imgp7468

参加者にあいさつをされる野村さん。栗塚ファンからは「また絶対(栗塚さんの出演作品を)お願いしますっ!」の声が飛ぶ!そういえば「二人日和」はいい映画でしたね。

このあと京都大学のカフェテリアで一休み。といっても、ここまでで私をはじめほとんどの人が暑さと、歩くスピードの速さでもうバテバテでした。一生懸命ついてきていた人たちも、だんだん脱落していって、70人の列は長~く続くようになりましたが、先頭の栗塚さんは何ともない。一番元気で、途中、幼稚園児の落としていったうさぎさんのお面を拾って、かぶっておどけていました。「お茶目~heart04」ファンの女性たちはもう大騒ぎ。え?私ですか?多分騒ぐ気力もないほど疲れていたと思いますsweat012009_0510_160204imgp7475

後半は‥‥えっ?後半?まだあるの?いやいや、まだあるどころじゃなく、後半のほうが坂はないものの距離はありました。京都大学から荒神橋で鴨川を渡り、梨木神社へ。

荒神橋は安政2年、御所の火災の時に孝明天皇が聖護院の仮御所に避難したときにかけられた橋ということでした。それ以前は重い牛車などは橋の上を通行できずに浅瀬を渡っていたそうで、その牛車が河原へ降りる道が残っているということでしたが、よくわかりませんでした。御所と仮御所を最短距離で結ぶ橋なので、天皇が牛車で往復できるようにつくったということなのか、もうこの辺では歩くのがやっとで、説明を聞く気力も、写真を撮る気力もありませんでしたwobblyとにかく暑くて!

このあたりの河川敷は公園としてよく整備されていて、「二人日和」でもここのお散歩シーンがありましたね。河原では初夏の陽光の中、たくさんの親子連れが水遊びを楽しんでいました。ここには飛び石が置かれ、鴨川を渡れるようになっています。わ~あそこで足を水につけて休みたい~!とにかくもう足が痛いのです。2009_0510_160707imgp7478

梨木神社に着きました。木陰が涼しい!街中に出てからはとにかく暑かったです。ここはどこかで見たことがあると思ったら、「二人日和」の中に頻繁に登場した場所だったのですね。ひとつ前の写真も、映画の中で栗塚さんと京大生が出会う場所ですよね。

ここにある「染井」の水は京都三名水の一つといわれ、宮中御用の染め物に使われたため、明治まで庶民はこの水を飲むことができなかったそうです。今では毎日大勢の人がペットボトルを持って水をもらいに来ています。「二人日和」でも、早朝にこの水を汲んで帰って、それでコーヒーを入れるという、そんな静かな生活を描いていましたね。私もお水をいただいて少し元気になりました。2009_0510_160744imgp7479

梨木神社というのは、明治18年に創建されたという新しい神社です。祀られているのは明治維新の功労者三条実万、実美父子。ということは敵方じゃないですか~!おまけに歳さんの時代にはこれ、ないでしょっ!!って、こんなツッコミを入れるのは多分私だけだと思うけど‥‥何か変だなとは思っていたけれど、やっぱりこれは「土方歳三の愛した京都」という題名からはかなり外れた設定ですよね。「栗塚旭のロケ地巡り」という題名にしたらズバリだったのにsmile

時間の都合で中には入らなかったけれど、門の奥の社殿との間にある舞殿は、やはり「二人日和」で、栗塚さん扮する装束司のつくった舞装束をつけて稚児が舞う幻想的なシーンの撮影に使われたそうですが、私はその場面をよく覚えていないのです。もう一度見てみなくちゃね。ここは秋には萩の名所として賑わうそうです。

それからはどこをどう歩いたのか、また鴨川に戻って、丸太町橋のところの頼山陽が晩年を過ごしたという書斎「山紫水明処」を河川敷のところから外観だけを見学。藁ぶき屋根の小さな百姓家のような感じだったけれど、ここから鴨川に釣り糸を垂れたりして、風流に暮らしていたのでしょうか?よく風光明媚というような意味で使われる「山紫水明」ですが、これは頼山陽の造語で、この場所から見る鴨川と東山の風景からできたもので、夕刻、西日が当たって川がキラキラ輝き、東山が紫色に見える頃、そういう時刻を表した言葉なのだそうです。

頼山陽は江戸後期の儒学者、「日本外史」の著作で有名です。幕末に尊王思想のバイブルとして多くの人々に影響を与えた「日本外史」は、わが近藤局長の愛読書でもありました。頼山陽は1832年に亡くなっていますが、それから30年もあとの時代の青年たちにまで影響を与えているなんて、すごいなあ。ここは普段は非公開ですが、事前に申し込めば見学可だそうです。2009_0510_163907imgp7483

そしてまた少し鴨川を下って、今度は木戸孝允の別邸へ。木戸孝允って桂小五郎でしょ!あの池田屋事変を逃げおおせて明治政府の高官になった「逃げの小五郎」!やっぱりこの歴史散歩のテーマ、おかしいわよ~coldsweats01

木戸孝允は維新後、この地にあった公家屋敷を買い取り、京都の別邸にしたそうです。小さな2階建ての母屋ですが、座敷にいながら鴨川の山紫水明と、それから真正面に大文字が見えるという、絶好の場所だったのでしょう。ちょっと前までは中に入れたそうですが、耐震性の問題から現在は外から見るだけになっていました。明治10年、木戸はここで病が悪化し、明治天皇が見舞いに行幸するも、45歳でこの別邸で没しました。

そういえば東京の神宮外苑の絵画館に、明治天皇が病気見舞いをしている絵があったなあ‥‥と思って調べてみたら、あれは岩倉具視でしたね。ちょうど同じような庭に面した縁側のある座敷で、病床の傍らに、なぜか大きな氷のかたまりが置かれているのが印象的な絵でした。明治天皇は維新で帝王の座に押し上げてくれた功臣たちを、一人一人直々に見舞っていたんですね。2009_0510_164519imgp7486

こちらは京都府に寄贈され、今は敷地内に職員の厚生施設が建っています。その入口には木戸の息子だかのだるまのコレクションを展示した蔵がありました。中に入るともうダルマ、ダルマ、ダルマ!日本各地、世界各地のだるまが勢ぞろいしてました。これが意外に面白かったです。

ということで、もう足の痛さも限界~!一体何キロ歩いたんだろう?あとは懇親会の会場に倒れ込むだけだけれど、本当にこんなに長距離をいっぺんに歩いたことはありませんでした。2009_0510_165350imgp7489

終点、懇親会の会場であるお店にたどり着いたときはもう5時過ぎていました。本当によく歩いた~!あとはいよいよお待ちかね、前日72歳の誕生日を迎えられた栗塚さんの誕生日会を兼ねたファンの懇親会です。

‥‥と入口を見ると、何と「山縣有朋の第二無燐庵跡」とあるじゃないですか!もう何なの~!これじゃ「土方歳三の敵が愛した京都」じゃない。題名変えなさいっ!(私得意のツッコミのつもり)

前半は必死で先頭集団をキープしていましたが、後半は遅れがちで、ほとんど最後の方に到着。栗塚さんは途中はしょったのか、すでにお着きになって、素晴らしい庭園でファンのご婦人方と写真撮影会をしていらっしゃいました。あ~私はひたすら足が痛いsweat01普段の運動不足がもろたたっていますね。

お庭に出てみましたが、とてもきれいに手入れされた日本庭園でした。(私も栗様と一緒に写真を撮っていただきましたlovely)南禅寺のそばの「無燐庵」もそうですが、山縣有朋という人はよほど豪華な庭園好みだったんでしょうね。

ともあれ、懇親会はとても盛大でした。栗塚さんも30年来、40年来の熱烈なファンに囲まれ、「誠」と書かれたケーキのろうそくを吹き消してとてもうれしそうでした。よかったよかった。でも、私の周りには純粋な土方ファンもいて「このどこが『土方歳三の愛した京都』だったの?」「土方歳三というから参加したのに」と言っている人もやっぱり少ないけどいました。そうだよね~。土方ファンにはちょっと‥‥だったかもしれません。

それでも、天下の土方歳三俳優である栗塚旭さんと過ごした夢のような1日。あり得ない距離歩いちゃったけれど、信じられないことに、けっこう年齢層も高かったのに、誰一人脱落者も、気分の悪くなった人もいなかったのです。(そのかわり後で筋肉痛がひどかったでしょうねsmile)本当に忘れられない素敵な1日になりました。主催者の「京すずめ」のスタッフの皆様、どうもありがとうございました。

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2009年5月14日 (木)

京都へ行ってきました ~下鴨神社~

唐突ですが、2泊3日で京都へ行ってきました。この時期、どこへ行っても新緑がきれいでした。2009_0510_120200imgp7419

なぜ行くことになったかというと、実は私はその昔、新選組のファンで、その中でも司馬遼太郎原作のテレビ時代劇「燃えよ剣」(昭和45年)が好きで、その「燃えよ剣」で土方歳三役を演じた栗塚旭さんも好きで‥‥長くなりましたが、その栗塚さんが案内する「土方歳三の愛した京都」という歴史散歩のイベントに参加できることになったからです。

ずいぶん前の時代劇作品ですから、その主演をした栗塚さんもことし72歳。でも、最近ではCSの「時代劇専門チャンネル」で、昔の主演作品が次々に放送されて大ブレイク。ここへきて新しいファンも誕生しているのだそうです。

以前、「時代劇専門チャンネル」で「栗塚さんと京都を歩く」というようなイベントをやったら、すごい人気だったそうです。今回も、私が知ったときにはすでに定員オーバーでした。あきらめていたのですが、ネット友達に誘われて、だめもとでキャンセル待ちをしていたところ、先月半ばになって行けることになったのです。ちょうど、子どもの新学期が始まって、私も慣れない生活を頑張って疲れていたところだったので、いいご褒美!としてありがたく参加することにしましたhappy01 

というわけで、まず最初にそのイベントのことを書くべきだけれど、ちょっとその前に‥‥‥。当日は朝早く家を出て、京都には9時過ぎに着いてしまいました。それで、そんなに時間はないけれど、今まで行ったことのなかった下鴨神社にぶらっと行ってみました。2009_0510_104947imgp7398

下鴨神社といえば「みたらし団子」!いきなり食べ物の話ですみません。有名だけれど、なかなか食べる機会のなかったこの本家本元のみたらし団子。下鴨神社バス停のちょっと先の「みたらし茶屋」が発祥の地だそうです。今回、まずそれを食べることができました。黒蜜で甘味をつけたたれがたっぷりかかっています。たれも普通のくず粉が入ってどろっとしているものではなく、結構水っぽい。(だからスプーンが付いているのかな?)そして、ダンゴ3兄弟ならぬ5兄弟は普通の団子よりだいぶ小ぶり。それも一番上のがちょっと離れているのはなぜ2009_0510_110038imgp7401

下鴨神社の本殿の手前右に「御手洗池」というのがあって、(1枚目の写真の奥)夏の土用の丑の日前後に、その水に足をつけてみそぎをして、無病息災を願う「御手洗祭」(足つけ神事)というのがあるそうです。みたらし団子は、その御手洗池に湧き上がる水の泡を形どってつくられたというのですが、穢れを払う人の身体、五体になぞらえて団子の数は5個。4個は四肢、離れた1個は頭を表しているということでした。団子自体は小さいから、がぶっと頬ばりたい人にはもの足りないかもしれませんが、機械で串のまわりにくっつけただけのねちょっとした団子と違って、上新粉の舌触りと焦げ目の香ばしさがよかったです。

2009_0510_114853imgp7411これはもともと神饌だったもので、下鴨神社の「大炊殿」(おおいどの)という、神饌をつくる台所のような場所に、ちゃんとその由来を書いて展示してありました。

今まで行ったことがなかったし、そのあとのイベントの集合場所までバス1本で行けるということから下鴨神社に行ったのですが、これが実にいい選択でした。葵祭直前のこの時期、5月1日から10日まで春季の特別拝観をしていて、普段見れない本殿ほか、いろいろなものを見ることができました。

興味深かったのは「式年遷宮」というものです。お寺と違って神社は、新しくてきれいなものを尊ぶので、社殿もこれまで21年ごとに建て替えられてきたそうです。ところが江戸末期の文久3年の遷宮のあとは資金不足もあるでしょうが、何より社殿が国宝や重要文化財に指定されたりしたため、その後ずっと、屋根の葺き替えなどの大修理をもって式年遷宮にかえているということでした2009_0510_111635imgp7406

ということは、私が見た本殿ほかの社殿は、文久3年に建てられたということですよね。文久3年といえば忘れもしない新選組が結成された年です!(何でそこへ行くかね~)

写真は十二単の「王朝舞」というものでした。私は途中から見たので十二単の着付けというのは見られませんでしたが、舞のほうは見ることができました。お雛様が持っている紙の扇みたいな、大きな重そうな扇を上下させ移動するだけの??超シンプルな舞でした。もっともこの装束ではそんなに動けませんよね。2009_0510_111658imgp7408

この、皆さんが舞を見ている後ろの壁際に展示されていた、横長の木版に描かれた絵こそ、その文久3年の最後の式年遷宮の時に、孝明天皇が行幸されたときの様子だったのです。絵は黒ずんでよくわからなかったし、ガラスが光って見づらかったので、そんなによく見なかったのだけれど、あとでもっと見ておけばよかったと後悔しました。

その文久3年の天皇行幸の際には、将軍家茂が上洛し警護に当たっていたでしょう。水戸藩初め諸藩の大名や公家たちが供奉する中、最後の王朝絵巻のような行列が続いたんでしょうね。(このとき、守護職松平容保は喪中のため出席していなかったということです)この賀茂行幸が3月11日。奇しくもその前日の3月10日に、ちょうど将軍警護のために京都に滞在していた浪士隊‥‥その中の芹沢鴨、近藤勇以下17名が守護職に嘆願書を提出して、事実上新選組が結成されたのです。2009_0510_121333imgp7423

何か、これから新選組の歴史散歩に参加するというその日、気まぐれでぶらりと立ち寄った下鴨神社でこういう展示に出会って、すごく不思議な縁を感じてしまいました。

下鴨神社の境内から糺の森にかけて、きれいな小川が流れています。この森は原生林として古代からあり、一度応仁の乱で丸焼けになってしまいましたが、その後もともとここにはなかった楠などが植えられたそうで、天然+人工のうっそうとした森になっています。神社を含めたこの森一帯が国の史跡、世界遺産に登録されているのです。

ひとしきりこの森を歩いたあと、いよいよバスに乗ってイベントの会場に向かいました。「土方歳三の愛した京都」の詳細はこの次に。

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2009年5月 8日 (金)

夜の博物館

前述の「ザハーロワのすべて」で上野に行ったついでに、3月末からやっている国立博物館の「阿修羅展」を見てきました。Photo

奈良興福寺の阿修羅像は、東大寺戒壇院の四天王像(特に広目天!)と並んで私の昔からのアイドル仏像heart01だったのです。変な言い方かもしれませんが、まあ、好きなんです。(偶像のことをidolというんですよねcoldsweats01 )だからその阿修羅像が東京に来るならぜひ見に行かなくちゃ!という、まるで追っかけのような気持ちになりました。

さらに、開催前からの宣伝がすごく、「阿修羅ファンクラブ」会員特典付き前売り券というのも売り出され、それを買うと「阿修羅バッジ」なるものがもらえる?というので、思わず前売り券を買ってしまったのが、たぶんことしの2月頃。なのに、実際の展示は3月末から。ということですっかり忘れていました。もしかして、もう終わっちゃう?と思ったらまだ6月初めまであったんですね。ほっ。

でも、きっといつ行っても混んでいるだろうなあ~。ふと去年の「薬師寺展」で炎天下1時間以上並んだのが脳裏をよぎります。奈良に行けばいつでもすぐに見られるのに、何で好き好んで長時間並んでまで見なきゃいけないんだろう‥‥と、ついノリで前売り券などを買ってしまったのを後悔していました。

ところが、調べてみると、この「阿修羅展」、金・土・日・祝は夜8時まで開館しているというので、ちょうどいい。連休中の日曜日でしたが、バレエ公演の終わったあとに、一人国立博物館に向かいました。それが午後6時半過ぎ。上野公園はもう皆さん引き上げる時間で、駅に向かう人たちがぞろぞろと向こうから歩いてきます。その流れに逆らって行くのは私ぐらい。都会のど真ん中だけど、帰る頃にはきっとここは真っ暗だろうな~。ちょっと心細くなりました。

行ってみると、待ち時間など全くなくすっと入れました。中に入ると思いのほかたくさんの人でにぎわっています。それでも展示物が見られないほどではなく、一つ一つの展示物をすぐに、しかも自分のペースで好きなだけ見ることができました。携帯で会場の混雑状況がわかるサービスがあるのですが、それによるともう開館直後から1時間待ちで、どちらかというと午前中の方が混んでいるんですね。よく、もっと早く来ればよかったと思ったりしましたが、みんな同じことを考えているので、開館前から並ぶ以外はいくら早くても同じだったんですね。それより午後4時過ぎから閉館時間までというのが狙い目の時間だったなんて意外でした。

今回の阿修羅展は、興福寺の中金堂再建事業の一環として企画されたそうです。興福寺に行くと、よく覚えていないけれど、猿沢池から五重塔に登って行ったところにがらんとした広場があったような気がします。その右奥に国宝館というのがあり、阿修羅像をはじめ、今回展示されている八部衆・十大弟子は、普段はここに展示されているのですよね。その国宝館の隣に江戸時代に再建された中金堂というのがあったのですが、老朽化が激しくなったため、昭和50年に裏手の講堂跡に仮金堂を建てて、中の仏像をそこに移したとのことです。現在はその江戸時代の中金堂を解体したところで、来年2010年が興福寺創建1300年に当たるため、そこに創建当初のような本格的な中金堂を建設する予定だそうです。

展示品の最初のほうはこの中金堂のあとから発掘されたものや、明治以来、祭壇の下から出土した「鎮壇具」と呼ばれるものでした。鎮壇具とは創建当初、建物を守るための地鎮の意味で埋められた品物のことで、水晶やヒスイ、ガラスの珠や、金銀の碗、鏡などがありました。どうせ埋められて誰の目にもとまらないものなのに、銀碗の裏には精緻な文様が施されていて、それを1300年の時を超えて今見ることができるなんて、まるでタイムカプセルみたいですね。

それから、次は八部衆と十大弟子のコーナー。何でも現存する十大弟子6体と八部衆8体の計14体が、興福寺の外でいっぺんに展示されるのはこれが初めてのことだそうです。残念ながらそのうちの3体は4月半ばにお帰りになったそうで、今は11体が展示されています。

八部衆はもともとインドの神々で、鳥や動物のかぶりものをかぶっていたり、鎧で武装していたり、はたまた阿修羅のように三面六臂の異形の姿で表わされています。脱乾漆づくりという技法で、生き生きとした姿、表情が表現されています。中でも沙羯羅(さから)という、頭に蛇を乗っけた少年(というより幼児の顔だよね)像が印象に残りました。一見微笑んでいるようだけれど、目はうるうるしていて今にも泣きだしそう。そんな幼い顔なのに、何で頭にヘビ!?それでいてプロポーションは見事な八等身なんです。そのアンバランスさにひきつけられました。それから、頭部しか残っていない五部浄(ごぶじょう)も、少年のようなふっくらした顔でいて、眉を寄せた悲しそうな顔。頭には象のかぶりものを乗っけてるの。何で~?

そんな変化に富んだ八部衆に対し、十大弟子は静かなたたずまいで、薄い衣をまとったあっさりとした姿です。若い弟子から、壮年、老年までいろんな年代が表現されていますが、どれもみなスリムで小顔のすっきりしたいでたちです。八等身というより10等身ぐらいあるんじゃないの?

その展示室の角を曲がると、いよいよ阿修羅像と対面です。上から見る阿修羅像は何か静謐な宇宙の中に浮かんでいるよう。普段ガラスのケースに入れられているのとは全然違う趣でした。ほんとに、ここでいつまでもいつまでも見つめていたい~。多分昼間だったらここは押すな押すなの状態でしょうね。それが、夜は最前列で見られるんですよhappy01

下に降りて行くと、さすがに阿修羅像のまわりは人だかりになっていました。それでも動けないほどではなく、自由に左右背面360度ぐるっと回って見ることができました。普段は正面の顔はちゃんと見られるけれど、左右の顔は横顔しか見られませんよね。それがこの左右の顔も正面から、また反対側からしっかり見ることができました。

これがまたびっくり。横の顔は完全な左右対称ではなくて少し歪んでいるのか、正面から見た横顔と、反対側から見た横顔が全く違うので驚きました。向って左側の顔は、正面(左側)から見ると、きかん坊のように口をきゅっと結び、悔しがっているような顔。また右側の顔は右正面から見ると、ふっくらしているけど大人っぽい顔に見えます。ところが、背面から横顔を見ると、正面から見て左側のほうはちょっと怖いような怒った顔。そして右側の顔は、これがきりっとしていて超美形lovely

この変化が信じられなくて、何度も前に行ったり後ろに行ったりして見て、阿修羅像のまわりをぐるぐる回ってしまいました。これも昼間だったら多分できませんよね。とても面白かったです。もちろん、正面の顔はどこから見ても永遠の美少年‥‥ですね。軽く眉を寄せ愁いを帯びた表情は見るごとに何かを、自分の心に問いただされているような気がします。

第2会場ではもともと中金堂にあって、昭和50年から現在まで仮金堂に安置されている仏像たちが展示されています。八部衆と十大弟子は天平時代のものでしたが、こちらは鎌倉時代の仏像たちでした。まず運慶の父康慶の作という四天王像。光背のかわりに丸い火炎を背負って、邪鬼を踏みつけた力強い姿です。正面奥には大きな薬王菩薩と薬上菩薩立像。そして、現在は頭部しか残っていない運慶作という釈迦如来像と、その光背にあった飛天や化仏などが展示されていました。これらの仏像が、来年新たに建設が始まる平成の中金堂に収められるのでしょうね。

博物館の夜間の時間延長は、すいていてゆっくり見られるのはいいのだけれど、閉館時間が迫っているというのが唯一のマイナス点ですねcoldsweats01 7時前くらいからたっぷり1時間(込んでいる中での1時間はあまり見られなくてあっという間ですが)見て、外に出ると、もう売店などを見る時間は残っていませんでした。いろいろと面白そうな阿修羅グッズを売っていたのに、それだけがちょっと残念。でも、「阿修羅ファンクラブ」会員特典の「阿修羅バッジ」をもらったのでまあいいか~。

このバッジを付けている人同士声を掛け合えば、初対面でも阿修羅の話ができるんですって‥‥‥!?街で「あ、阿修羅展に行きましたか?私も行きましたよ」ってお話するんでしょうか。ちょっと引きますけどねcoldsweats01 でも、金土日祝の夜8時までの開館はとてもよかったのでおすすめします。(6時閉館の平日でも4時過ぎはすいているそうです。)知らなかったけれど、夜の博物館もまたいいものですよ。 

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2009年5月 7日 (木)

「ザハーロワのすべて」(Bプロ) 2

2月に新国立劇場の「ライモンダ」を見て以来の3か月ぶりのバレエ鑑賞。あの時もザハロワ、そして今回もザハーロワhappy01 本当にザハロワは今の日本で(世界でも)一番活躍しているバレリーナでしょうね。2009_0505_125505imgp7391

それなのに、得チケが出たのはなぜだろうと考えると、やっぱりAプロとBプロの違いがなさすぎたんだと思います。私もプログラムの演目を見たとき、どっちか一つでいいやと思ってしまいましたから。まず半分は「カルメン組曲」で同じです。あとはお目当てのワシーリエフくんが「海賊」を踊るか「パリの炎」を踊るか。ザハロワとメルクリエフの「ブラック」と、ワシーリエフの「クレイジー」はどちらにもあり、おまけに、キエフバレエのペアが踊る「エスメラルダ」と「黒鳥のパ・ド・ドゥ」は演目変更でどちらも「エスメラルダ」になってしまっていました。(私は3日でしたが1日もそうだったそうです)AプロとBプロの両方を見た人は同じものばかり見ることになってしまったでしょうね。

それで、Aプロにあるメルクリエフの「アダージョ」とコバヒーゼ&シュピレフスキーの「マグリットマニア」は前に見たことがあったので、必然的に私はBプロを選択happy01 連休中ということもあるかもしれないけれど、チケットの売れ行きはこの変化に乏しいプログラムがちょっとわざわいしてるのかもと思いました。でも、得チケが出たせいか1階は隅までほとんど埋まっていました。

≪パリの炎≫第2幕のパ・ド・ドゥ(ニーナ・カプツォーワ&イワン・ワシーリエフ)
実は、ザハロワファンには怒られちゃうかもしれませんが、私のお目当てはまずウヴァーロフと、そして去年のボリショイ公演でソリストとしてどこに出てきても好印象だったコバヒーゼ、それからこのワシーリエフくんでしたheart01

それが‥‥ワシーリエフくんは最初に見た「かわいいlovely」という印象と違って、去年のボリショイ公演の「ドン・キホーテ」でも「明るい小川」でも、かわいいけど力強くて男っぽい、そんな印象に変わっていました。そして今回は‥‥何っ??

登場の瞬間ええっ?という感じ。髪はくちゃくちゃ伸び放題、そして不精髭。それから踊りも、荒削りでダイナミックだけどどこか端正なところもあった一昨年の「パリ炎」に比べて、何だかことさら力強さを強調しているようで、まるで「ゴパック」みたいな感じで驚きました。そりゃ、よく知らないけれどこれは革命の話で、民衆が勝利をうたいあげる場面なのでしょうけどね。

実は、先月下旬に出たばかりの「グラン・ガラ」~ロシア・バレエの輝けるスターたち~というDVDを見たのですが、それに出てきたオシポワ&ワシーリエフの「パリの炎」がまさにこの路線でした。髪くちゃくちゃ、不精髭の力強い労働者風のワシーリエフくん!このDVDは昨年の9月に収録されたものだそうですが、その円形のコロシアムみたいな劇場といい、バレエ学校の生徒たちがフランス国旗を振りながら客席から入ってくる演出といい、ちょっと斬新な感じのガラ公演だったので、それに合わせたイメージづくりだったのかな?と思っていました。

ところが、今回もそのときのまんまというか、さらにむさくるしさが増し、脚も腕もまた一回り太くたくましくなったような感じで‥‥もはやクラシックバレエの世界から逸脱してる?みたいな雰囲気になってしまっていました。いくら民衆のお話でも、労働者でもねぇ~一応クラシックバレエなんだからsweat02(でも、彼は好きです)

力を誇るようなガッツポーズ、仁王立ちのまま腰に左手を当てて、右手は手のひらを大きく開いて振り上げるルベランス。ワイルドな?表情。それなりにかっこいいんだけれど、ほかの男性の出演者がみんな長身で優雅な雰囲気をもっているので、ことさらにつくりこまれたような感じになっていました。これは彼自身が決めた方向性なんでしょうかね?それともラトマンスキーが復活させたという全幕「パリ炎」のイメージ?ワシーリエフくん、あんなにかわいかったのに~crying そりゃ、いつまでもかわいい路線のままではいられません。そういう意味では新たなオンリーワンを目指し始めた?確かにものすごく個性的ではあります。

そう、踊りは相変わらず素晴らしかったです。三連続斜めスクリュードライバーに空中1回転半ひねり(よくわからない説明ですみません)などは、もう口をあんぐり開けちゃうほどすごかったし、身長以上に高く浮かんでいるようなジャンプも大いに会場を熱狂させました。これで相手がオシポワちゃんだとジャンプや回転の応酬になるのでしょうが、カプツォーワは反対にきれいで優雅な雰囲気でまとめていたのが印象的でした。

≪トリスタン≫よりデュエット(スヴェトラーナ・ザハーロワ&アンドレイ・メルクーリエフ)
主催者によって人名の表記が変わるのは仕方ないのかな?ジャパンアーツさんは何かと長音記号(ー)を使いたがるのかしら。それにしても「メルクーリエフ」はまだるっこしくて。。違う人みたい。秋のマリインスキーもジャパンアーツさんなので、また「コルプ」を「コールプ」と書かなくちゃいけないし(?)‥脱線ですsweat01

プログラムによると、「トリスタン」はワーグナーのオペラから題材をとった2幕のバレエで、2006年にスウェーデン王立バレエによって初演された作品。これはその中のアダージョの部分だそうです。「カルメン」のときの大胆に脚を出した衣装から一転、ブルーっぽい薄手のロングドレスをまとったザハロワはまたひときわロマンティックで、なめらかな動きがきれいでした。メルクリエフもこういう雰囲気は合っていて、情熱的だけどどこかせつないパ・ド・ドゥ。素敵でした。

≪エスメラルダ≫よりパ・ド・ドゥ(オリガ・キフャーク&ヤン・ヴァーニャ)
こちらはあの脚でタンバリンを打つヴァリエーションの入ったグラン・パではなくて、1月に「ミハイロフスキー・ガラ」で見た、フェブ隊長(フェビュス)の婚約を祝う場面の、悲しみで踊るどころじゃないエスメラルダと、彼女を励ましながら踊る詩人のパ・ド・ドゥでした。

キフャークは「カルメン」のとき、遠目でステパネンコ似に見えたほうの人。黒髪で、ザハロワの「カルメン」よりず~っとジプシーらしい雰囲気を出しています。演技も濃くて、エスメラルダの絶望感を強く表現していました。舞台下手にフェビュスが婚約者と座っているという設定で、そちらの方が気になって、ともすれば踊りが止まってしまいがちなエスメラルダ。それをけなげに支え、踊りに向かわせる詩人役のヴァーニャ。ガラ公演で一部だけなのに、ちゃんとその物語の世界をつくっています。ちょっと全幕を見てみたいような気がしました。

≪ブラック≫(スヴェトラーナ・ザハロワ&アンドレイ・メルクリエフ)
うん、こちらの表記↑のほうがすっきりします。実際どう発音されるのかわかりませんけどね。(聞くところによると「コルプ」より「コールプ」のほうが、本来の発音に近いそうですが。また脱線!)

この「ブラック」と、ワシーリエフの「クレイジー」はどちらのプログラムにも入っていたのですが、やはりこの二つがこの公演の白眉。どちらもすごくかっこよかったです。アップテンポの音楽にのった、速い動きのちょっと危うげな現代作品。だけどメルクリエフとの息がぴったり合って、難しいリフトもサポートもしっかり決まっていました。ザハロワのまた違った一面を見ることができた気がします。

≪ジゼル≫第2幕のパ・ド・ドゥ(ネッリ・コバヒーゼ&アルテム・シュピレフスキー)
シュピレフスキーもコバヒーゼも、いずれ劣らぬ美男美女。二人ともクールビューティーという感じで、この「ジゼル」なんかはすごく似合うだろうなと思っていました。でも、これって「ジゼル」だったかしら??

まず、音楽(テープ)が早すぎるのか、彼らの長い手足が優雅に見える前に次に流れていく感じ。私の好きな、空中を漂っているような低いリフトの連続の部分は、リフトが高すぎて?連続して見えなかったし、空中をふわふわと漂っているようには見えませんでした。また、ガラだからというのではないでしょうが、アルブレヒトの後悔も、ジゼルの深い思いも伝わってこなくて、ただ「ジゼル」の踊りを踊っただけというところで終わってしまったのが残念でした。ヴィジュアル的には申し分のない二人だったんですけどね。

コバヒーゼのソロ部分の足さばきはきれいでした。元気よすぎ?のような気もしなくもありませんでしたけど。シュピレフスキーは闘牛士よりはいい?でもやっぱりアルブレヒトにしては元気よすぎでとても倒れそうにない!‥‥って、見るほうの勝手な注文はいろいろあるけど、やっぱり難しいですね。これがこの二人の今の「ジゼル」なのでしょう。

≪クレイジー≫(イワン・ワシーリエフ)
すごく楽しかった。相変わらず髪くちゃくちゃ不精髭のままなんだけど、ピアソラの音楽をバックに椅子に座っているピンクのシャツ(だった?)のワシーリエフくんはなぜか、雰囲気マッドサイエンティスト。それがとってもラブリ~heart01 何でもないような顔をして、サラっとすごいことをする。それが「クレイジー」な今の彼の姿なのかもしれませんね。

現代作品だけれど、随所に回転やジャンプが入って、かなりスピード感もある作品。歳がいってからコンテンポラリーにシフトする人が多いけど、この作品は年齢がいってからではできないでしょう。ホントにコンテンポラリーとしては珍しく、派手なジャンプや回転技に会場が興奮の渦でした。演技的にはちょっと目が座っているような「クレイジー」さ加減で、また別の彼のキャラを見たような気がします。

≪ヴォイス≫(スヴェトラーナ・ザハロワ)
短いけれどとても素敵な作品でした。オペラのアリアにのって、ゴールドのクラシックチュチュ姿で登場したザハロワは、本当に無敵のプリマ!最強の「姫」!「カルメン」や「ブラック」でまた新しい面を見せてくれたけれど、やっぱりザハロワはクラシックの「姫」をやらせたら、そのスターオーラといい、美しさといい、向かうところ敵なしなんじゃないでしょうか。その天下一のプリマが‥‥あれあれ?

くるくる得意げに回ってよろけたり、ちょっとしたところでつまづいたり、あれ、これってまるで「ザ・グラン・パ・ド・ドゥ」みたい。そういえばゴールドのチュチュのスカートの裏は真っ赤なチュールが重なっていて、一歩間違えれば下品にもなりかねない。だけど、優雅な肢体と表情でそのギリギリの線を綱渡りしていくみたい。

こういうユーモラスな雰囲気も、また違った彼女の姿なんですね。これはやっぱり、本物のプリマでないとしゃれにもなりませんから。いかんせん短いので、もうちょっと続きが見たかったなあと思っていました。すると、全員登場のフィナーレのあとの拍手にこたえて、また同じ振りを一通りやってくれました。そしてまた全員同じフィナーレ。

とても素敵な顔ぶれで、楽しくて、いいガラ公演でした。「ザハーロワのすべて」と題するガラはこれが最初だと思うけれど、また次があればぜひ見てみたいです。私はどちらかというと、今まであまり縁がなかったけれど、ボリショイの人が好きかもという気がしました。

前にも書いたけれど、私はザハロワというバレリーナはちょっと苦手系でした。とにかく最初に見た時の印象が「何これ!?」だったのです。長すぎる手足、首、すごすぎる甲、超X脚、そしてすごい柔軟性もさることながら、反り返るとボコッと出る「あばら」がまるで宇宙人みたいで‥‥ありゃ人間じゃない!って。でも、最近ではそんな体型の人がたくさん出てきたし、見慣れたのか(慣れというのはコワいですねsweat02)私も全然平気になりました。もっととんでもなくグニャグニャで、曲がった脚のプリマもマリインスキーあたりにはいるしね~。

だけど慣れというよりも、そんな特異な体型や超人的な身体能力で目を引く以上に、表現力や存在感が増してきたからなのだと思うのです。「何をやってもザハロワはザハロワ。」それはちょっと前にはけなし言葉みたいだったけれど、今は違う‥‥「何をやってもザハロワ」って、それはオンリー・ワンに対する究極のほめ言葉じゃないでしょうか。あ、こんなふうにみると私っていつの間にかザハロワのファン(?!)みたいですね。新国立劇場の演目も、どうせ見るならザハロワで、と思うし。な~んて、ほんとのザハロワファンに怒られてしまいそうなのでこの辺で終わりにします。

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2009年5月 6日 (水)

「ザハーロワのすべて」(Bプロ) 1

およそ3か月ぶりのバレエの生舞台。しばらくバレエから離れていましたが、久々に見るとやっぱりバレエはいいな~note ここのところ忙しくて、多少疲れてもいたけれど、またバレエファン感覚がよみがえってきてわくわくしました。

4月の舞台は歌舞伎座の昼の部(先代萩)を見ただけです。その感想もなかなか書けないうち、それを通り越して「ザハロワのすべて」happy01まあ、いいですね。090503_155001

久々の東京文化会館のマチネは窓から見える新緑がきれいです。しばらく行かないうちに、ホワイエには喫茶コーナーが出現?それと幕間にテラスに出るのが好きだったのですが、テラスの半分が外から入れるようになっていて、中からは半分だけしか行けなくなっていました。(毎年この季節はこうなるんだっけ?)おまけに喫煙コーナーになっていて、ちょっとがっかり。それでも外に出ると5月の風が気持ちよく、目の前の西洋美術館ではルーブル美術館展の入場待ちの人たちが長い列をつくって並んでいるのが見えました。

≪第1部「カルメン組曲」≫
アロンソ版の「カルメン」は、東京バレエ団で2度ほど見たことがあります。(カルメン役はどちらも斎藤さんでした。)これはもともとプリセツカヤのために振りつけられたもので、だいぶ前にテレビか何かで、プリセツカヤがまだ若い頃のフィリピエワに振りうつしをしているところを見たことがあります。そのときは、どう見ても若いフィリピエワより、少ししか動かないのにプリセツカヤのど迫力がすごくて、「この人が踊ればいいのに‥」なんて思ったことを覚えています。

「カルメン」はローラン・プティの「カルメン」や、新国立劇場の「カルメンby石井潤」、それから去年のルジマトフのロメロ版?「カルメン」などを見ましたが、どちらかというとこの「カルメン組曲」は泥臭い感じがしていました。それはプログラムの解説に、「既成のモラルや常識をはねのけ、みずからの情熱、欲望のおもむくままに生きる女、カルメンは、生きる方向や考え方まで押しつけようとする体制や組織に対し、激しい戦いを挑んだプリセツカヤそのものだった。」とあるように、これを踊ったプリセツカヤの時代と、その思いがこの作品に込められているように思うからなのでしょうね。

でも~結論から言えば全く別物でした。ザハロワがきれいだ~shine特に、この振付で特徴的な脚を前に振り上げるポーズは、ザハロワの脚の美しさを強調して、まさに物語よりもとにかくきれいなザハロワを鑑賞する「ザハロワ・オン・ステージ」だったでしょうか。彼女のカルメンはアクのない、硬質で透明感のある、強さの半面にはかなさも見えるカルメン?でした。言いかえればジプシー(反体制)でもスパニッシュでも、はたまたコケティッシュでも悪女でも何でもない。それで悪いかといえばそうでもなく、こういうのもありかなと。泥臭いと思っていたこの作品が、何だかとてもきれいな夢物語のようでした。

ホセ役のウヴァーロフ。私は去年のボリショイ来日公演ではウヴァちゃんを見ていないので、一昨年のグルジア国立バレエのニーナの時以来です。私のかつての「白い王子様」も、顔だけ見ると結構なオジサンになってしまいました。でも、ひとたび踊りだすとそのシャープな動きに息をのみます。ホセの上役であるコレヒドール役の、キエフバレエのヤン・ヴァーニャと同じ動きをシンクロして踊るところがあるのですが、その方も決して悪くないのに、やっぱり体のキレなど差がついちゃってお気の毒という感じ。ウヴァちゃんももう結構な年齢なのかもしれないけど、踊りはまだまだ全然、かっこよかったですheart04

それが、ウヴァちゃんは「ホセ」じゃなくてやっぱり王子入ってるというか(この人もかなりの大根だった?)あのクラシックじゃない振り付けを踊っていても、やっぱり優雅な雰囲気はそのまんまなのです。もっとドロドロした感情がもつれにもつれて悩む役どころだろうに~!今までホセ役で感動した大嶋さんや山本さんに比べたらちっとも悩んでないし、ドロドロもしてない~!(ルジ様は別格ですheart01

それがザハロワ姫をさらに「カルメン」じゃなくしていた要因かもしれません。でも、けなしているんじゃなくて、それはそれでとても素敵でした。アダージョもとても美しかったです。

泥臭くない原因、ほかには「たばこ売りの女たち」という女性二人が登場するのですが、この二人がまたザハロワに負けず劣らずのスタイルのよさなのです。ザハロワと比べたら誰が出てきても見劣りすると思うのに、踊りも特に見劣りせず美しかったです。キエフ・バレエのタチヤーナ・リョーゾワとオリガ・キフャークという人で、知人の話では一昨年のキエフ・バレエの公演にもソリストとして出ていたそうですが、ほとんど印象にありませんでした。この二人誰かに似てる‥遠目にはステパネンコとフィリピエワという感じ?プログラムの写真は全然違いますけどね。

それと、ウヴァーロフ、先ほどのヤン・ヴァーニャ、それからエスカミーリョ役のシュピレフスキーの男性3人が揃って長身でスタイル良し。なので、全体的にヴィジュアル重視のクリスタルな「カルメン」になっていたのですね。

シュピレフスキーは、ボリショイの「ドン・キホーテ」のエスパーダ役で見ましたが、何でこの人が「闘牛士」でないといけないんでしょうね?確かに背は高いし、超イケメンだし、闘牛士の衣装が超似合って素敵ですよ~lovely でも闘牛士に必要なのはキレキレ感というか、一種の圧倒的なスターオーラなのに、踊りだすとあの重たいもっさり感。全然太ってないのに恰幅よく見えてしまうのはなぜ?それでも一応顔がカッコイイから許します。(別に私に許されなくてもいいと思うけどcatface

そのヴィジュアル重視の中にあって、唯一「運命」(牛?)役のオクサーナ・グリャーエワが怪しい存在感で光っていました。メイクで顔はよくわからないけれど、スリムな体なのに不気味な威圧感がありました。

そして、一番の突っ込みどころは‥何とウヴァちゃんで、後半の登場の瞬間、絶句!

衣装が、黒タイツの上に、袖が膨らんだ赤の水玉模様のシャツ!それを胸のところでキュっと結んでいるラヴリーないでたち!!この衣装は昨年の「マラーホフの贈り物」で、「カルメン」を踊ったセルゲイ・フィーリンも着ていました。。。フィー様はそれなりにかわいらしく似合っていたのだけれど、ウヴァちゃんの似合わないことはなはだしい!どうしてこういう衣装なのか不明ですが。日本では水玉はかわいいイメージか、あるいは60年代のサイケデリックなイメージでしょう?ああ、私の白王子は‥‥sweat02はからずもウヴァ王子の別の面を見ることになりました。

感想のつもりが、くだらないことばかりですみません。久々のバレエのせいか、「カルメン」だけに突っ込みすぎて長くなってしまいました。他の演目はまたこの続きに。

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