旅行・おでかけ2009年以前

2009年5月20日 (水)

京都に行ってきました ~番外編~

2009_0511_152958imgp7530 まるで映画のセットみたいですが、ここは京都の四条大橋を東に渡って祇園一力を南に曲がったところです。この先に建仁寺があり、建仁寺の中を通ってさらに行くと六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)というお寺があります。

南座の夜の部の当日券を買って、まだ少し時間があるので前からちょっと気になっていたこのお寺に行ってみました。すぐ近くだと思ったのですが、結構(南座から徒歩10分ぐらい)ありました~。何かあの栗塚さんとの歴史散歩ですっかり距離感がわからなくなってしまいましたねそして、どこまでも歩2009_0511_154253imgp7531いちゃえというこの精神!栗様のおかげですっかり鍛えられました

この赤い怪しげな門‥。入口には「小野の篁卿舊跡」とあるのですが、「舊跡」はきゅうせきと読み旧跡ということらしい。。小野篁は平安前期の貴族で、身長が6尺以上あったとか、その風変わりな行動、天才的な頭脳などで知られている人です。中に入ると閻魔堂というのがあり、小野篁が掘ったという閻魔様の像と並んで、篁の像もありました。彼は閻魔大王の家臣だという伝説もあります。

このあたりは葬送地であった鳥辺野に近く、六道の辻と呼ばれていて、あの世とこの世の境といわれているそうです。何だかちょっと今まで行ったところと感じが違うでしょ??だから「番外編」にしました2009_0511_155055imgp7535

ほら、「あの世への入口」と書いてあるでしょう。何か、大まじめにこんなことが書いてあるお寺ってとても珍しい。。だから珍皇寺?

盂蘭盆会のときには、一般的にはご先祖様の墓所のあるお寺に行って、そこで灯した火を家の門口まで持ってきて、小さな焚き火をしてお迎えしますよね。それが、「京都では」と書いてありますが(京都全部じゃないと思うのですが)先祖の霊はこの六道珍皇寺を通ってくるので、「六道参り」というのをして先祖を迎えるのだそうです。2009_0511_154857imgp7533

この建物の中に「迎え鐘」が封印されています。何か不気味ですよね。この地下は地獄に続いているのだそうですよ。お盆の時はこの迎え鐘を打って先祖を迎えるそうです。真ん中から出ている綱を引くと音が出ます。私が見ていると、人が来て、賽銭箱にお金を入れ1回ついて行きました。今まで聞いたことのないような、長くあとを引く、不思議にもの悲しい音色でした。あの世にまで聞こえる音色なんでしょうか?不思議なものがあるものですね。

小野篁はこの寺の井戸から冥界へ行き来していたそうです。その井戸は公開されていないのですが、本堂の横の戸にある窓から、庭の井戸を見ることができました。遠くてよくわからないけど、そんな伝説があるだけあってやっぱりちょっと不気味な感じがします。2009_0511_155237imgp7538

この庭の奥、赤い色が見えるのがお堂で、その中に井戸があるようです。この井戸を入ると冥界を通って、嵯峨野の化野(あだしの)に抜けるといわれているそうです。夜ごと小野篁が閻魔大王に出仕するためにここから通っていったとか‥‥相当オカルトチックですね

でも、これだけではありません。実は、私はこのあたりで売っているという「幽霊子育て飴」というのを買ってみたくて来たのです。もともと民話だと思いますが「子育て幽霊」という話があります。若い女の幽霊が、毎夜飴を買いに来るのであとをつけてみたら、赤ん坊の泣き声がする。墓を掘ってみたら赤ん坊が泣いていて、それは身重のまま亡くなった女の墓だったという。落語にもなっているそうですが、その話に出てくる飴が実際にあるというので探してみました。2009_0511_155931imgp7543

見つかりましたが、残念ながらお休みでした。張り紙には、休業の時はここで買ってくださいというのが書いてあって、見たら東山通りのほうまで行かなければならないので、時間もないし足も痛い(前日の後遺症!)のであきらめました。塊をぶつ切りにしたようなものすごく素朴な飴だそうです。次に来たときはぜひ。

それから、この向かい側には「子育て地蔵尊」というのがありました。やっぱり何か関係があるんでしょうか。2009_0511_155843imgp7541

ついでにお参りしてきました。私は、まあ今まで育児ノイローゼにもなりながら、結構苦手な子育てを一生懸命やってきたと思います。手を抜くところは抜いたけれど、今となってはまあまあいい子育てができたんじゃないかと。高校生になってもまだ子育ては終わりじゃないと思うけれど、一応今現在までは無事何事もなく大きくなっています。どうもありがとうございます。神仏にはお願いすることの方が多いかもしれないけれど、子育てに関しては、今はただ感謝ですね。あとは合格祈願、就職祈願、結婚祈願??かな?(そんなのあるの?) 2009_0511_155858imgp7542

この道しるべも何やらいわくありげです。でも、もう戻らなきゃ。南座までは歩いて10分。40分ほどのお散歩でした。

もう一つの小散歩は、泊まったホテルが三条河原町だったので、最後の日の朝、出かける前にちょっとその辺を歩いてみました。

京都に初めて行ったのは中学の修学旅行。その時の宿が多分新京極より何本か西側の通り沿いだったと思うのです。夕食後の自由時間に新京極まで買い物に行ったのが、すごく楽しい思い出になっています。去年の娘の修学旅行では夜は外出禁止だったそうで、何かかわいそうな気がしていました。

その後、高校1年生の時に友達と二人で3泊4日の京都旅行をしました。その時泊まったのが「松三」というユースホステルでした。古い京都の町屋をそのまま使ったもので、中に入ると本当にウナギの寝床のように奥まで続いていて、面白い建物でした。そこに泊まった時も夜は新京極に出かけて行ったんだっけ。あれはどのあたりだったのか?確か住所は三条御幸町通りでした。その辺りを歩いてみたけれど、もうそれらしきものさえなくなっていました。そうだよね~30年も前の話ですから。

「松三」にはその後も1、2回泊まったことがありました。昔ながらの町家なので、夏でもエアコンなんかもちろんなく、大部屋に雑魚寝。対応もそれなりで、ユースホステルとしてはそんなに評判良くなかったけれど、私は割と好きでした。何より、いかにも京都に来ている!という感じがしたからです。もうどこにあったかもわからなくなってしまったけれど、北山ユースとともに私にとってはすごく懐かしい場所でした。京都のユースホステルは、まだ宇多野ユースと東山ユースが健在のようですね。今はどんな人が泊まっているのかな~。

というわけで長々と続いた私の京都旅行記はこれで終わります。

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2009年5月19日 (火)

新緑の北山

S2009_0512_111406imgp7558 京都には結局2泊しました。今は新幹線とホテルを別々にとるより、ツアーの方が断然安いと思います。それも、連泊だと2泊目は安くなるので、何となくせっかく行くのだからという気になりました。そしてツアーの場合、新幹線は時間帯によってかなり値段が違うのです。もちろんこだま号が一番安いのですが、当然時間がかかります。あと、飛行機もかなり安いですが、申し込んでみないと何時の便になるのかわかりません。今回のようにイベントに参加する目的があって、時間が決まっているときには向いていませんよね。S2009_0512_111236imgp7554

一番安いのは朝の6時台の出発。7時台とは3000円ほども違うので、ちょっと大変だったけれど6時台にしました。でも、9時過ぎに京都駅に着くので、1日有意義に使えましたよ。それから、帰りは何と、安いのはなぜか午後3時台。もう少し早くても遅くても高くなります。東京に着くとちょうど夕方のラッシュアワーだし、もう少しゆっくりしたいという気もあるけれど、まあ、余り遅くならないよい時間でした。

それで、最終日は朝ゆっくり出て、今まで行ったことのなかった北山方面に行くことにしました。四条大宮から玄沢行きのバスで約30分。写真はその北山の光悦寺です。実は光悦寺は初めてなのですが、ここは何回か来たことがあります。それは昔、北山ユースホステルというのがあって、そこに何回か泊まったことがあったからです。S2009_0512_110801imgp7549

ユースホステルはいろいろありますが、この北山ユースはペアレント(管理人)さんが人気があって、常連の多いとても面白そうなユースでした。私ももう少し早く知っていれば常連になっていたかもしれませんが、学生時代も終わりのころに知ったので、ほんとに数回お世話になっただけでした。それで、今はもうないと聞いていたけれど、あったあたりにちょっと行ってみました。この写真の道路の右側あたりだったかな?青春の思い出ですね。

しかし、バスでこんな遠い郊外まで来たのに、どうしてすぐ近くにあった光悦寺などの名所を見なかったんでしょうね。何だかもったいなかった感じ。当時は興味を持つ対象がちょっと違っていたのかな?北山ユースからの帰り、歩きながら光悦寺の横を通った記憶があったのですが、行ってみると、光悦寺というのは道からは小さな門があるだけで、寺自体はかなり中に引っ込んでいたのです。だから垣根沿いに中をのぞきながら歩いたという昔のおぼろげな記憶は、どこか違うところと勘違いしてたんだなと。しかし、そうなると光悦垣(と思っていた)を低くめぐらした中にあった庭園の記憶は、あれは一体どこだったんでしょうね?S2009_0512_111747imgp7559

光悦寺は北山の自然の中にありながら、こじんまりとした、粋な雰囲気のある場所でした。この写真にあるのが本物の光悦垣です。本阿弥光悦は江戸時代初期のマルチアーティスト。書、絵画、茶道、陶芸、蒔絵、建築、作庭など、あらゆる芸術分野に通じる、いってみればダヴィンチみたいな人だったそうです。

光悦は、もともと京都の刀剣、武具などにかかわる富裕な商家で、前田家などの大名家に出入りするような豪商だったということですが、大坂夏の陣後、徳川家康からこの鷹ヶ峰の広大な土地を与えられて移り住みました。事実上隠遁したわけですが、その後この地はさまざまな分野の芸術家が移り住んで、一大芸術家村となっていったそうです。S2009_0512_112838imgp7565

私は、文化史に関してはとても疎いのですが、まだ桃山文化の壮麗さを残しながら、「侘び、寂び」の世界に移っていく江戸初期。この辺の文化人、芸術家間の交流というのはとても面白そうです。西本願寺、詩仙堂、桂離宮など、京都をめぐるときには必ず行き当たるこの時代の風流人たち。いつか調べてみたいと思っています。

入口からのぞく参道はとても美しく、紅葉の頃はさぞやと思ってしまいます。寺の本堂は意外と小さく、こじんまりとしていますが、庭の中にぽつぽつとあるいくつかの茶室と同じような趣が感じられます。

詩仙堂でも感じたけれど、実用の寺というより、純粋な趣味の世界なんですよね。だから大きい所よりも小さいところに細かいこだわりが見える。昔の文化人の趣向を凝らした空間というべきでしょうか。それと、ちょっと感じたのは、昔の人は背が低かったんだなということ。茶室の入口もそうだけれど、少しかがんでみると目線が変わって、また違う世界が見えてくるような気がしました。S2009_0512_113028imgp7568

お庭は、茶室の一つを改装中のためか、全部は見られない?ようです。一番端のところからは向かいの鷹峰三山が雄大な借景のように見えています。そして、谷の下には見えないけれど沢の水音も聞こえてきます。

実は、茶室はみな大正時代以降につくられたものということで、当時のものではなく、寺も光悦の死後寺になったわけだから、往時をしのぶわけにはいかないのだけれど、この山の借景と、沢音は変わらない。長い戦乱が終わり、これから長い太平の世が続いていく、そんな時代に、この静かな山里がルネッサンスのような状態になっていたのかな?とか、そんなことを想像するだけで楽しいじゃないですか。S2009_0512_115407imgp7578

さて、こちらは光悦寺から徒歩1分の源光庵です。ここは紅葉の名所だそうで、紅葉の頃はもう見物客の行列だそうですよ。この写真の丸い窓は「悟りの窓」。四角い方は「迷いの窓」だそうです。二つの窓から見える燃えるような紅葉の写真が飾ってありました。すごい!

でも、この新緑もまたさわやかで美しい。悟りの窓、迷いの窓と、それぞれの窓の前に座り、しばしそこから見える庭を楽しみました。私にはまだ「迷いの窓」からの風景が自然でしっくりするような‥?外の鳥の声や風の音がそのまま感じられる気がするし。一方、丸い「悟りの窓」からのぞいた風景は、同じ場所なのに違って見えて、闇の中にそこだけぽっかり浮かんでいるよう。まるで心の中を写すような、静かな時間を味わいました。S2009_0512_115024imgp7575

この書院の天井は、落城した伏見城の床材をつかったという「血天井」なのです!お寺の中にどうしてそんなおどろおどろしいものがあるのでしょうか?!

伏見城の遺構は二条城や西本願寺に移されて再利用されていますが、何も血のついた床板を天井にしなくてもと、思ったら、それは供養のためということでした。人が亡くなった跡を床にして踏みつけるのではなく、天井にして供養する。わからなくもありませんが。

伏見城は当時、徳川家康の居城で、上洛命令に従わない上杉景勝を家康が会津に攻めた際、その留守を家臣の鳥居元忠らが守っていたそうです。そこを西軍の石田光成らが攻撃した「伏見城の戦い」で、立てこもっていた1800人のうち、討死せず残っていた全員が鳥居元忠とともに自刃したといわれています。この落城が8月1日で、それから関ヶ原の戦い(9月15日)の戦後処理が終わるまでの2か月余りの間、大量の遺骸はずっと放置されていたそうです

だから染みついた血のあとはいくら洗っても、年月がたっても消えることがない。いくら供養のためとはいえ、そんな恐ろしいものを本堂の天井にして、御仏が安置され、そこには「迷いの窓」と「悟りの窓」がある。何という世界でしょう!戦いという、絶えず歴史の中に繰り返されてきた人間の過ちを天井に仰ぎ、そこで毎日勤行が行われる。そういうものを乗り越えて「悟り」に導こうというのでしょうか。

天井を見ると、雨漏りのあとのようにもうしみだらけ。それも普通の雨漏りと違ってやっぱりかなり赤みを帯びています。何百年の年月がたっても血の色は消えないのでしょうか。はっきりとわかる手形や足跡、そして何かを引きずった跡のようなものまで。外のすがすがしいお庭とは余りにも別世界で、何とも言えない気持ちになりました。血天井は他にも同じ北山の正伝寺、東山の養源院などに残されていて、中でも養源院のものが一番生々しいそうですよS2009_0512_120415imgp7583

さらにそこから徒歩1分の、こちらは常照寺。この手前の入口の掲示板に、「都をば花なき里となしにけり 吉野を死出の山にうつして」という和歌が書いてありました。ここは江戸初期の二代目吉野太夫の墓がある寺です。

二代目吉野太夫は和歌、音曲、舞踊、書画、茶の湯など、あらゆる芸事に優れ、当時の上流階級の社交の花として名を残した名妓だそうです。その吉野太夫が法華経に帰依していたことから、写真に見える朱塗りの山門(吉野門)を寄進したと伝えられています。この前は桜並木で、桜の頃は美しいでしょうね。

先ほどの「都をば」の歌を詠んだのは、その吉野太夫を身請けし、妻にした灰屋紹益という文化人でもある京都の豪商。この紹益という人は養子で、実は本阿弥光悦の甥の光益の子なのだそうです。この常照寺を発願したのは光悦の子の光嵯という人ということで、何かいろいろ縁があるんですね。花の命は短くて、吉野太夫は38歳で亡くなり、紹益は悲しみのあまりその遺灰を飲んだと言われています。。。S2009_0512_122808imgp7586

こちらが、その吉野太夫が好んだ吉野窓。完全な丸は悟りを表わしていますが、その悟りから少し欠けた、という奥ゆかしさがあるのだそうです。ここはお茶室で普段は公開していません。聞いてみたら、毎月第1日曜日の月釜のときに、開いているのが見られると言っていました。

奥の休憩所で、この寺を紹介したDVD映像を見せてもらいました。境内にたくさんあるいろんな種類の桜。毎年4月の第3日曜日に行われる「花供養」のときの、大勢の見物人の中で八文字を踏む太夫の行列、花の下でのお茶会の様子などが写されていました。

ここで、やめればいいのに、というか、さっさとバスに乗って帰ればよかったのに、まだ時間があるからと欲を出して、正伝寺まで足を延ばしてしまいました。このあたりから正伝寺までは交通手段がなく、歩くしかありません。地図でみるとすぐ隣のような気がするのですが、実際歩いてみるとすごい距離がありました!5キロぐらい??それに地図も分かりにくいし、足は痛いし、すごい炎天下。でも歩きだしたら、せっかく来たのだからという気もあって、何だかやめられないのです。もうへとへとの汗だくになりながら正伝寺の門までたどり着きました。ところが、そこからまた地獄のような山登り!!S2009_0512_131822imgp7591

登りつめたところはまるで雲の上の、天国のようなところでした。遠くに比叡山が見えます。何て雄大な借景!そして、ここにはちまちましたしつらえは何もない。ただ壁と、砂と、サツキの植込み。そして杉木立の向こうの比叡山。

もう、歩きすぎて死にそう!と思っていたけれど、来てよかった。この小堀遠州作という(ほら、この人も江戸初期の文化人でしょ?)枯山水の庭園を見ながら、汗がひくまで一人で、ほかに誰もいない広縁にずっと座ってボーっとしていました。

この方丈はあの伏見城の遺構だそうで、ここにも「血天井」がありましたここの血天井は庭の見える広縁の天井になっており、外気にさらされているせいか、少し色が薄まっているような気がしました。その血なまぐさい天井の下に座り、はるかに比叡山を望む天国のような天空の庭を見るという、不思議な経験でした。

ということで山を降り、バス停まで歩き、無事京都駅から新幹線に乗って帰ってきました。今回は栗塚さんと史跡巡りのイベント、友人とおしゃべり、歌舞伎鑑賞、そして一人で歩きに歩いた小さな旅と、とても充実した3日間でした。もう1回、旅行記の番外編を予定していますが、ひとまずこれにて。

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2009年5月17日 (日)

5月11日に。

2009_0511_104643imgp7500 5月11日は土方歳三の命日でした。ことしは没後140年ということです。もうそんなに時がたってしまったのかと思わずにはいられません。

そういえば前日の土方散歩では、土方さんの命日については触れられていませんでした。土方さんは誕生日が5月5日で、命日が5月11日です。新緑がさわやかで、陽の光も明るい5月(しかも端午の節句だよ~)何か意外な感じもしますね。

一方栗塚さんの誕生日は5月9日。栗塚さん自身は「鬼副長」のイメージとは正反対の全く明るい方ですから、ぴったりな気もします。2009_0511_113733imgp7502

その土方さんの命日の5月11日をことしは京都で過ごしました。それも、30年来の友人のsayoちゃんに2年ぶりに会って、少し散歩して、ランチをしました。彼女とは高校生の時に壬生寺の近藤さんの銅像の前で会った仲。話してみたら同い年だったので住所を聞いて文通することにしました。文通なんて、懐かしい言葉ですね~。今はこんなブログもありますし、メールもあるから文通なんてする人はいないんじゃないでしょうか。でも、時々来る手紙だからこそうれしかったのかもしれません。数年前に再会するまではずっと年賀状ぐらいしかやりとりしていなかったのですが、たとえ何十年ぶりでも、連絡したら会ってランチしてくれるなんてうれしいですよね。 2009_0511_113955imgp7505

高校・大学時代、京都は春休み、夏休みなどに行っていました。京都在住のsayoちゃんとは近藤さんの前で待ち合わせして、何度か一緒に史跡巡りもしました。同じ新選組でも、彼女は沖田総司のファン。私と違って乙女チックだったわけです 

写真は「哲学の道」です。この時期、疎水沿いの桜並木の新緑がとてもきれいでした。疎水は幅が玉川上水の半分ぐらいな感じですが、川沿いを、流れを見ながら歩けるのはいいですね~。前日ものすごく歩いたので、もう歩くのはそんなに頑張らずに、栗塚さんの半分ぐらいのスピードで、それも歩き2009_0511_105607imgp7501始めてすぐお茶

この小豆の入ったお菓子は「ういろう」です。ういろうって名古屋名物で有名ですが、あの羊羹か鳥の子餅(すあま)がベタベタになったみたいなういろうと違って、こちらは関東風の白い葛餅に近いような感じでした。この三角のは特に「水無月」といわれているものです。6月30日は夏越しの祓いの「みそぎ」をする日で、京都ではこの日に「水無月」を食べるのだそうです。昔、冬の間の氷を蓄えた「氷室」を、この6月30日に開いて氷を宮中に献上したそうで、「水無月」はその氷を表しているのだとか。庶民は氷を食べられないから、その代りにこれを食べたんですね。6月30日にこれを食べると1年間無病息災といわれています。私は氷よりこっちの方がいいかな~2009_0511_115021imgp7507  

哲学の道終点の「銀閣(慈照寺)」です。終点といっても、全部歩いたわけではなく、かなり銀閣の近くから歩き始めたんですけどね それでも十分哲学の道の新緑のさわやかさを満喫しました。

その銀閣ですが、行ってみてびっくり!何と修復中なんです。屋根が新しく葺き替えられ、1階の部分は現在工事中で柱だけになっていました。6年前に子ども連れで来たときは、子どもが「え~?このボロっちいのが銀閣?」と言ったくらい真っ黒で、見るからに古~い建物でした。ピカピカの金閣を見たばかりだったので、よけいそう思ったんでしょうね。それが屋根を葺き替えただけで見違えるくらいきれいになっていました。2009_0511_120029imgp7515

銀閣寺は何がいいかというと、金閣に比べて見栄えのしない建物よりも、とにかくお庭がきれいなことです。ここの池泉回遊式庭園は、有名な夢窓国師作の苔寺(西芳寺)の庭園を模してつくられたといわれています。そのとおり苔の種類も豊富で、なめらかな緑の絨毯のような美しい苔を見ることができるのです。ただ、この日は暑かったせいか苔も乾き気味。修学旅行生がたくさん来ていました。

いまどきの修学旅行はみんな4~5人のグループで、タクシーの運転手さん兼ガイドさんがついています。ちょっと横で聞いていると子ども相手にいろんな面白い話をしているんですね。去年、うちの娘も観光タクシーで回る修学旅行でした。確かに、ここは二条城や三十三間堂と違って団体でぞろぞろというのは無理です。小回りの利く少人数で、こんなふうに楽しく回ったのでしょうね。2009_0511_120245imgp7519

裏山から見下ろす、新しく屋根をふき替えられた銀閣はそれなりに美しいですね。この屋根は杮(こけら)葺きといって、3ミリ程度の薄い板を少しずつずらしながら重ねているものです。明るい陽光に映えて、本当に銀色に光っているみたいでした。

この写真の左奥に、写っていませんが吉田山が見えています。その向こうに真如堂の三重塔も見えました。前日、真如堂の方からこの銀閣の方向の大文字山がよく見えていましたが、今度はそれを反対側から見たわけです。2009_0511_115502imgp7514

苔の上の木漏れ日がとてもきれいでした。京都は都会でありながらバスでちょっと行くともう山が近くて、美しい自然を楽しむことができます。そして、昔の権力者や風流人はその里の自然だけでは飽き足らずに、こうやって各地の名石や植木を取り寄せて、里にいながらまるで深山幽谷のような幽玄の世界をつくりだしていったんですよね。何かすごいなあ~。

苔寺のほうは、今は往復ハガキで申し込まなくては拝観できませんが、昔、行ったときは普通に見ることができました。本当に、まるで夢の世界のような幻想的な美しさでした。その苔寺に確かに似ていますが、雰囲気は少し明るい気がします。やはり修学旅行の生徒たちなどで活気があるからでしょうか。2009_0511_115114imgp7509

銀閣を出て、そろそろお昼の時間ですが、予定していたうどん屋さんはもう既に行列でした。それで、私が「上七軒」を見たいと言ったので、バスで今出川通りを西に向かうことにしました。

北野天満宮の前でバスを降り、そのバス停前のお豆腐屋さんに入りました。ここも修学旅行生でいっぱいです。残念ながらお店の自慢の湯葉の定食は完売でしたが、丼類はまだあって、私は「生麩丼」というのをいただきました。生麩をたれで味付けしてご飯の上にかけてあるものです。初めて食べましたがハンペンのようなさつまあげのような‥‥でももっともっちりしていておいしい。関東ではほとんど見かけない珍しいものでした。それからデザートは豆乳ヨーグルト。酸味が少なくておいしかったです。2009_0511_141207imgp7526

北野天満宮は銀閣寺以上に修学旅行生で大賑わいでした。学問の神様ですから、合格祈願でしょうね。

そういえばうちの息子は、今年のお正月に夜行バスで一人で京都に行ったのです。早朝京都に着いて1日あちこち回ったそうですが、この北野天満宮では学業成就のお守りを10個ぐらい買ってきました。それで、中学受験をする従兄弟や、高校受験の妹(娘)やその友達に配っていました。それが何と、お守りを配った子は全員第一志望に合格!すごくご利益があったわけです。sayoちゃんに言ったらあっさり「本人の努力やわ。」確かに、そうですね!来年は息子が受験生。自分でもしっかりやってほしいものです。2009_0511_142027imgp7528

さて、北野天満宮の東側の界隈は「上七軒」といって、祇園と並ぶ京都の花街です。祇園と違ってそんなに知名度はありませんが、歌舞練場もあり、舞妓さんや芸妓さんがいて、お茶屋さんもあるそうです。写真のように観光客は全くいませんが、さりげなく京都的な風情が漂う町並み。こういうところはあまりガイドブックには載っていないので、地元の案内人がいればこそですね。

西陣に近く、花街も栄えていたそうですが、繊維業界が衰退してからは存続が危ぶまれるほどだったそうです。ところが最近、インターネットがきっかけで舞妓志願者がやってくるようになり、新しい時代を迎えているそうです。2009_0511_161751imgp7547

上七軒の通りを歩き、またバスに乗って四条方面へ‥sayoちゃんとはここで別れて、私は夜の部の歌舞伎を見るために南座へ向かいました。sayoちゃん、いろいろとありがとうね!

さて、南座です。四条通りの一等地にあるので、この前は何度も通っています。でもここで歌舞伎を見るのは初めて。演目は「小笠原騒動」でした。歌舞伎についてはまた後ほど‥‥といっても、私は4月に見た「伽羅先代萩」についても全然書いていませんせっかく見たものは備忘録的に簡単な感想だけでも書いておこうと思っているのに、何か忙しくて書いていませんね。。。この演目についても、できたらそのうち。

5月11日、土方さんの命日。といっても、土方さんをしのぶ?とか、特に何をしたわけでもありませんが、かつて土方さんのことも語ったことがある(と思う‥)友人と会って、明るい5月の陽光を浴び、まぶしいほどの新緑を満喫して一日を過ごしました。前日のイベントで意気投合した新しい友人もさることながら、何かそんな140年も前の人たちを通じて、今の私にもいろんな出会いがある不思議と、感謝の念を思わずにはいられません。

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2009年5月15日 (金)

栗塚旭と歩いた京都散歩!

前回の続きです。いよいよ今回のメイン・イベント。下鴨神社からバスに乗って集合場所、岡崎神社隣の「ホテル平安の森」に向かいました。2009_0510_142205imgp7451

この日(5月10日)は各地で真夏日になるなど、すごく暑い1日。また参加者も栗塚ファン一色の熱~いイベントとなりました。

主催はNPO法人「遊悠舎京すずめ」というところで、京都の文化を見つめ直し、次世代に伝えるという目的で、毎月講座や歴史散歩などを行っているそうです。もともと栗塚さんはここの会員第1号だそうで、普段の催しにもぶらりと参加されることがあるのだとか。

その栗塚さんが案内役を務める今回は、もう栗塚ファンで大盛況。当日の参加者60名、スタッフを含めて70名以上の人がぞろぞろと移動をするというすごいことになりました。(1枚目の写真はこのあと行った真如堂の三重の塔です。)2009_0510_140307imgp7443

まず、岡崎神社横の坂道を登り、黒谷の金戒光明寺へ。黒谷は、文久2年に会津藩主松平容保が京都の治安維持のために守護職に任命されたとき、本陣を置いた場所です。当時の京都には千本に所司代屋敷、伏見に奉行所がありましたが、容保公がここを選んだということ自体、もう臨戦態勢だったのだと思います。

金戒光明寺には多くの塔頭があり、そこに千人もの人数が分宿できたそうです。そしてこの地は天然の要害。白川通り側は、バスで通ってもわかるけれど険しい崖になっていて、とても攻め込めそうもありません。この山の上から見ると京の街は一望のもと。東海道から京に入る蹴上から粟田口、奈良方面の伏見、竹田街道、西は丹波口、山崎街道まで丸見えです。昔の人は目がよかったから(?)ここから見ると軍勢が何百とか、すぐわかったんでしょうね。2009_0510_135552imgp7440

東映の時代劇「燃えよ剣」は、この周辺で数多くのロケを行っています。もちろん会津本陣は、本物の会津本陣だったこの金戒光明寺の建物を使っています。この石畳の坂道は、「用心棒」シリーズでも、栗塚さん自身が「一体何百回往復したことか」というくらい頻繁に使われた場所でした。足袋をはいて草履で、または素足で下駄といういでたちでここを行ったり来たりするのはとても大変だったそうです。特に下りは足が前に前にいってただでさえつんのめりそうなのに、敵を追って駆け下りたり、上ったり、ここで殺陣を演じたり、さぞすごかったでしょうね~。2009_0510_140653imgp7446

今でも歴史的景観が多く残っていて、一見ロケにも使えそうですが、やはり砂利道がアスファルトになってしまったり、電柱が立ったり、石段に手すりができたり、土塀がブロック塀になたりと、少しずつ変わってしまって、もうほとんど時代劇に使えるようなところは残ってないそうです。

40年前はそれこそ、あそこもここもロケで使われた場所かと思うと、何だかちょっと残念な気がします。ロケもそうだけど、実際守護職の本陣があった所には、近藤も土方もきっと足しげく通ったことでしょう。金戒光明寺は、観光コースではないけれど、まさに隠れた歴史名所ですね。2009_0510_142353imgp7455

しかし、栗塚さんの歩くのが速いこと!もう最初からついて行くのに必死でした。というのも、70名もいたらこんなメガホンでお話しされていても、離れていたら聞こえやしない!だから、必死で先頭集団をキープする体制に。栗塚さんは姿勢がよく、歩き方も 重心が引きあがっていてダンスをする人のよう。その軽い足取りですいすい歩き、途中もしゃべりっぱなし。それでも全然平気な顔なんです。ついて行く私たちのほうがゼーゼーいっていました。

うしろの集団はまたうしろで、スタッフの方の丁寧な説明を聞きながら歩いていたはずですが、とにかく私は一生懸命頑張って栗塚さんのお取り巻きの一団の中を歩きました。このあたりは栗塚さんのご自宅も近く、日々のお散歩コースなのだそうです。さすが歩き慣れていらっしゃる感じ。ほんとにスタスタと行ってしまいます。写真なんか撮っていたらおいて行かれてしまう

栗塚さんは名門洛北高校を卒業されてから、ご本人いわく大学受験に失敗し、19歳で劇団くるみ座の主催者毛利菊枝の門をたたきました。その師匠の住んでいたのがこの道沿い。ちょうど金戒光明寺を出て真如堂へさしかかるところの、少し引っ込んだところに、今はもう家も違う家になってしまったけれど、「ここに門があって、そこを入ると師匠の自宅とお稽古場があって‥‥本当に毎日のようにここに通いました。」と話す栗塚さん。2009_0510_143030imgp7457

そして、これは真如堂の境内に昨年できた「京都・映画誕生の碑」というものです。シネマトグラフ(映写機)の形をしているのだそうですが、私にはよくわかりません。「ここにハンドルがあって、それをこう回して‥‥」と栗塚さんが解説してくださいました。

映画の歴史は諸説あるけれど1893年にエジソンが映写機を発明してから、最初の映画はその翌年といわれています。日本初の上映は1896年。日本初の国産映画は1899年(もちろん「活動写真」といわれる無声映画)そして京都では1908年に日本映画の父と言われる牧野省三氏によって、ここ真如堂の境内で「本能寺合戦」という、日本初の時代劇映画が撮影されました。いわばここは時代劇発祥の地。時代劇ロケ地第一号だったんですね~。その100周年を記念して、昨年この碑が建てられたのだそうです。2009_0510_143741imgp7459

コースはそこから宗忠神社の階段を上って吉田神社のほうへ降りて行きます。ここでちょっとびっくりしたのが、栗塚さんがお散歩中の知人と遭遇。それが、何と映画「二人日和」を撮った野村惠一監督でした。野村さんはご近所にお住まいで、よくこのあたりを散歩されているので、栗塚さんもこの企画のことを話して来てもらおうかなと一瞬思ったそうです。でもわざわざお呼び立てするのも申し訳ないし、と思ってやめたそうですが、タイミングよくばったり会ってしまいました。「これも何かの縁ですね」と、お二人とも笑っていました。2009_0510_144939imgp7468

参加者にあいさつをされる野村さん。栗塚ファンからは「また絶対(栗塚さんの出演作品を)お願いしますっ!」の声が飛ぶ!そういえば「二人日和」はいい映画でしたね。

このあと京都大学のカフェテリアで一休み。といっても、ここまでで私をはじめほとんどの人が暑さと、歩くスピードの速さでもうバテバテでした。一生懸命ついてきていた人たちも、だんだん脱落していって、70人の列は長~く続くようになりましたが、先頭の栗塚さんは何ともない。一番元気で、途中、幼稚園児の落としていったうさぎさんのお面を拾って、かぶっておどけていました。「お茶目~」ファンの女性たちはもう大騒ぎ。え?私ですか?多分騒ぐ気力もないほど疲れていたと思います2009_0510_160204imgp7475

後半は‥‥えっ?後半?まだあるの?いやいや、まだあるどころじゃなく、後半のほうが坂はないものの距離はありました。京都大学から荒神橋で鴨川を渡り、梨木神社へ。

荒神橋は安政2年、御所の火災の時に孝明天皇が聖護院の仮御所に避難したときにかけられた橋ということでした。それ以前は重い牛車などは橋の上を通行できずに浅瀬を渡っていたそうで、その牛車が河原へ降りる道が残っているということでしたが、よくわかりませんでした。御所と仮御所を最短距離で結ぶ橋なので、天皇が牛車で往復できるようにつくったということなのか、もうこの辺では歩くのがやっとで、説明を聞く気力も、写真を撮る気力もありませんでしたとにかく暑くて!

このあたりの河川敷は公園としてよく整備されていて、「二人日和」でもここのお散歩シーンがありましたね。河原では初夏の陽光の中、たくさんの親子連れが水遊びを楽しんでいました。ここには飛び石が置かれ、鴨川を渡れるようになっています。わ~あそこで足を水につけて休みたい~!とにかくもう足が痛いのです。2009_0510_160707imgp7478

梨木神社に着きました。木陰が涼しい!街中に出てからはとにかく暑かったです。ここはどこかで見たことがあると思ったら、「二人日和」の中に頻繁に登場した場所だったのですね。ひとつ前の写真も、映画の中で栗塚さんと京大生が出会う場所ですよね。

ここにある「染井」の水は京都三名水の一つといわれ、宮中御用の染め物に使われたため、明治まで庶民はこの水を飲むことができなかったそうです。今では毎日大勢の人がペットボトルを持って水をもらいに来ています。「二人日和」でも、早朝にこの水を汲んで帰って、それでコーヒーを入れるという、そんな静かな生活を描いていましたね。私もお水をいただいて少し元気になりました。2009_0510_160744imgp7479

梨木神社というのは、明治18年に創建されたという新しい神社です。祀られているのは明治維新の功労者三条実万、実美父子。ということは敵方じゃないですか~!おまけに歳さんの時代にはこれ、ないでしょっ!!って、こんなツッコミを入れるのは多分私だけだと思うけど‥‥何か変だなとは思っていたけれど、やっぱりこれは「土方歳三の愛した京都」という題名からはかなり外れた設定ですよね。「栗塚旭のロケ地巡り」という題名にしたらズバリだったのに

時間の都合で中には入らなかったけれど、門の奥の社殿との間にある舞殿は、やはり「二人日和」で、栗塚さん扮する装束司のつくった舞装束をつけて稚児が舞う幻想的なシーンの撮影に使われたそうですが、私はその場面をよく覚えていないのです。もう一度見てみなくちゃね。ここは秋には萩の名所として賑わうそうです。

それからはどこをどう歩いたのか、また鴨川に戻って、丸太町橋のところの頼山陽が晩年を過ごしたという書斎「山紫水明処」を河川敷のところから外観だけを見学。藁ぶき屋根の小さな百姓家のような感じだったけれど、ここから鴨川に釣り糸を垂れたりして、風流に暮らしていたのでしょうか?よく風光明媚というような意味で使われる「山紫水明」ですが、これは頼山陽の造語で、この場所から見る鴨川と東山の風景からできたもので、夕刻、西日が当たって川がキラキラ輝き、東山が紫色に見える頃、そういう時刻を表した言葉なのだそうです。

頼山陽は江戸後期の儒学者、「日本外史」の著作で有名です。幕末に尊王思想のバイブルとして多くの人々に影響を与えた「日本外史」は、わが近藤局長の愛読書でもありました。頼山陽は1832年に亡くなっていますが、それから30年もあとの時代の青年たちにまで影響を与えているなんて、すごいなあ。ここは普段は非公開ですが、事前に申し込めば見学可だそうです。2009_0510_163907imgp7483

そしてまた少し鴨川を下って、今度は木戸孝允の別邸へ。木戸孝允って桂小五郎でしょ!あの池田屋事変を逃げおおせて明治政府の高官になった「逃げの小五郎」!やっぱりこの歴史散歩のテーマ、おかしいわよ~

木戸孝允は維新後、この地にあった公家屋敷を買い取り、京都の別邸にしたそうです。小さな2階建ての母屋ですが、座敷にいながら鴨川の山紫水明と、それから真正面に大文字が見えるという、絶好の場所だったのでしょう。ちょっと前までは中に入れたそうですが、耐震性の問題から現在は外から見るだけになっていました。明治10年、木戸はここで病が悪化し、明治天皇が見舞いに行幸するも、45歳でこの別邸で没しました。

そういえば東京の神宮外苑の絵画館に、明治天皇が病気見舞いをしている絵があったなあ‥‥と思って調べてみたら、あれは岩倉具視でしたね。ちょうど同じような庭に面した縁側のある座敷で、病床の傍らに、なぜか大きな氷のかたまりが置かれているのが印象的な絵でした。明治天皇は維新で帝王の座に押し上げてくれた功臣たちを、一人一人直々に見舞っていたんですね。2009_0510_164519imgp7486

こちらは京都府に寄贈され、今は敷地内に職員の厚生施設が建っています。その入口には木戸の息子だかのだるまのコレクションを展示した蔵がありました。中に入るともうダルマ、ダルマ、ダルマ!日本各地、世界各地のだるまが勢ぞろいしてました。これが意外に面白かったです。

ということで、もう足の痛さも限界~!一体何キロ歩いたんだろう?あとは懇親会の会場に倒れ込むだけだけれど、本当にこんなに長距離をいっぺんに歩いたことはありませんでした。2009_0510_165350imgp7489

終点、懇親会の会場であるお店にたどり着いたときはもう5時過ぎていました。本当によく歩いた~!あとはいよいよお待ちかね、前日72歳の誕生日を迎えられた栗塚さんの誕生日会を兼ねたファンの懇親会です。

‥‥と入口を見ると、何と「山縣有朋の第二無燐庵跡」とあるじゃないですか!もう何なの~!これじゃ「土方歳三の敵が愛した京都」じゃない。題名変えなさいっ!(私得意のツッコミのつもり)

前半は必死で先頭集団をキープしていましたが、後半は遅れがちで、ほとんど最後の方に到着。栗塚さんは途中はしょったのか、すでにお着きになって、素晴らしい庭園でファンのご婦人方と写真撮影会をしていらっしゃいました。あ~私はひたすら足が痛い普段の運動不足がもろたたっていますね。

お庭に出てみましたが、とてもきれいに手入れされた日本庭園でした。(私も栗様と一緒に写真を撮っていただきました)南禅寺のそばの「無燐庵」もそうですが、山縣有朋という人はよほど豪華な庭園好みだったんでしょうね。

ともあれ、懇親会はとても盛大でした。栗塚さんも30年来、40年来の熱烈なファンに囲まれ、「誠」と書かれたケーキのろうそくを吹き消してとてもうれしそうでした。よかったよかった。でも、私の周りには純粋な土方ファンもいて「このどこが『土方歳三の愛した京都』だったの?」「土方歳三というから参加したのに」と言っている人もやっぱり少ないけどいました。そうだよね~。土方ファンにはちょっと‥‥だったかもしれません。

それでも、天下の土方歳三俳優である栗塚旭さんと過ごした夢のような1日。あり得ない距離歩いちゃったけれど、信じられないことに、けっこう年齢層も高かったのに、誰一人脱落者も、気分の悪くなった人もいなかったのです。(そのかわり後で筋肉痛がひどかったでしょうね)本当に忘れられない素敵な1日になりました。主催者の「京すずめ」のスタッフの皆様、どうもありがとうございました。

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2009年5月14日 (木)

京都へ行ってきました ~下鴨神社~

唐突ですが、2泊3日で京都へ行ってきました。この時期、どこへ行っても新緑がきれいでした。2009_0510_120200imgp7419

なぜ行くことになったかというと、実は私はその昔、新選組のファンで、その中でも司馬遼太郎原作のテレビ時代劇「燃えよ剣」(昭和45年)が好きで、その「燃えよ剣」で土方歳三役を演じた栗塚旭さんも好きで‥‥長くなりましたが、その栗塚さんが案内する「土方歳三の愛した京都」という歴史散歩のイベントに参加できることになったからです。

ずいぶん前の時代劇作品ですから、その主演をした栗塚さんもことし72歳。でも、最近ではCSの「時代劇専門チャンネル」で、昔の主演作品が次々に放送されて大ブレイク。ここへきて新しいファンも誕生しているのだそうです。

以前、「時代劇専門チャンネル」で「栗塚さんと京都を歩く」というようなイベントをやったら、すごい人気だったそうです。今回も、私が知ったときにはすでに定員オーバーでした。あきらめていたのですが、ネット友達に誘われて、だめもとでキャンセル待ちをしていたところ、先月半ばになって行けることになったのです。ちょうど、子どもの新学期が始まって、私も慣れない生活を頑張って疲れていたところだったので、いいご褒美!としてありがたく参加することにしました 

というわけで、まず最初にそのイベントのことを書くべきだけれど、ちょっとその前に‥‥‥。当日は朝早く家を出て、京都には9時過ぎに着いてしまいました。それで、そんなに時間はないけれど、今まで行ったことのなかった下鴨神社にぶらっと行ってみました。2009_0510_104947imgp7398

下鴨神社といえば「みたらし団子」!いきなり食べ物の話ですみません。有名だけれど、なかなか食べる機会のなかったこの本家本元のみたらし団子。下鴨神社バス停のちょっと先の「みたらし茶屋」が発祥の地だそうです。今回、まずそれを食べることができました。黒蜜で甘味をつけたたれがたっぷりかかっています。たれも普通のくず粉が入ってどろっとしているものではなく、結構水っぽい。(だからスプーンが付いているのかな?)そして、ダンゴ3兄弟ならぬ5兄弟は普通の団子よりだいぶ小ぶり。それも一番上のがちょっと離れているのはなぜ2009_0510_110038imgp7401

下鴨神社の本殿の手前右に「御手洗池」というのがあって、(1枚目の写真の奥)夏の土用の丑の日前後に、その水に足をつけてみそぎをして、無病息災を願う「御手洗祭」(足つけ神事)というのがあるそうです。みたらし団子は、その御手洗池に湧き上がる水の泡を形どってつくられたというのですが、穢れを払う人の身体、五体になぞらえて団子の数は5個。4個は四肢、離れた1個は頭を表しているということでした。団子自体は小さいから、がぶっと頬ばりたい人にはもの足りないかもしれませんが、機械で串のまわりにくっつけただけのねちょっとした団子と違って、上新粉の舌触りと焦げ目の香ばしさがよかったです。

2009_0510_114853imgp7411これはもともと神饌だったもので、下鴨神社の「大炊殿」(おおいどの)という、神饌をつくる台所のような場所に、ちゃんとその由来を書いて展示してありました。

今まで行ったことがなかったし、そのあとのイベントの集合場所までバス1本で行けるということから下鴨神社に行ったのですが、これが実にいい選択でした。葵祭直前のこの時期、5月1日から10日まで春季の特別拝観をしていて、普段見れない本殿ほか、いろいろなものを見ることができました。

興味深かったのは「式年遷宮」というものです。お寺と違って神社は、新しくてきれいなものを尊ぶので、社殿もこれまで21年ごとに建て替えられてきたそうです。ところが江戸末期の文久3年の遷宮のあとは資金不足もあるでしょうが、何より社殿が国宝や重要文化財に指定されたりしたため、その後ずっと、屋根の葺き替えなどの大修理をもって式年遷宮にかえているということでした2009_0510_111635imgp7406

ということは、私が見た本殿ほかの社殿は、文久3年に建てられたということですよね。文久3年といえば忘れもしない新選組が結成された年です!(何でそこへ行くかね~)

写真は十二単の「王朝舞」というものでした。私は途中から見たので十二単の着付けというのは見られませんでしたが、舞のほうは見ることができました。お雛様が持っている紙の扇みたいな、大きな重そうな扇を上下させ移動するだけの??超シンプルな舞でした。もっともこの装束ではそんなに動けませんよね。2009_0510_111658imgp7408

この、皆さんが舞を見ている後ろの壁際に展示されていた、横長の木版に描かれた絵こそ、その文久3年の最後の式年遷宮の時に、孝明天皇が行幸されたときの様子だったのです。絵は黒ずんでよくわからなかったし、ガラスが光って見づらかったので、そんなによく見なかったのだけれど、あとでもっと見ておけばよかったと後悔しました。

その文久3年の天皇行幸の際には、将軍家茂が上洛し警護に当たっていたでしょう。水戸藩初め諸藩の大名や公家たちが供奉する中、最後の王朝絵巻のような行列が続いたんでしょうね。(このとき、守護職松平容保は喪中のため出席していなかったということです)この賀茂行幸が3月11日。奇しくもその前日の3月10日に、ちょうど将軍警護のために京都に滞在していた浪士隊‥‥その中の芹沢鴨、近藤勇以下17名が守護職に嘆願書を提出して、事実上新選組が結成されたのです。2009_0510_121333imgp7423

何か、これから新選組の歴史散歩に参加するというその日、気まぐれでぶらりと立ち寄った下鴨神社でこういう展示に出会って、すごく不思議な縁を感じてしまいました。

下鴨神社の境内から糺の森にかけて、きれいな小川が流れています。この森は原生林として古代からあり、一度応仁の乱で丸焼けになってしまいましたが、その後もともとここにはなかった楠などが植えられたそうで、天然+人工のうっそうとした森になっています。神社を含めたこの森一帯が国の史跡、世界遺産に登録されているのです。

ひとしきりこの森を歩いたあと、いよいよバスに乗ってイベントの会場に向かいました。「土方歳三の愛した京都」の詳細はこの次に。

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2009年4月12日 (日)

日本百景 川平(カビラ)湾

S2009_0402_140905imgp7220 S2009_0402_140803imgp7215

この素晴らしい海の色を見てください!

最終日の午後、もう帰る頃になって雲間から太陽がチラッと姿を現しました。ここは日本百景にも選ばれているという、石垣島随一の景勝地です。ほんとにちょっとでも日が差すと急に海の色が変わってきます。この海の色、島の緑が何とも言えず美しい

湾内にたくさん浮かんでいるのはグラスボートです。S2009_0402_140321imgp7209

グラスボートとは、船底の真ん中がガラス張りになっていて、そこから海の底が見えるものです。ずっと前に千葉の館山かどこかでグラスボートに乗ったことがありますが、海の底はただただ海藻のジャングルだった!

ところが、ここは違います。海の底は白い砂。その中のところどころに珊瑚が堆積して浅くなった場所があって、そこはまるで天然の水族館!

色とりどりの珊瑚に群れなす熱帯魚。シマシマの海ヘビや大きなシャコ貝。ほんとにいくら見ても飽きない面白さでした。ただ、船酔いしやすい人にとっては、ずっと下を見続けるのはつらいかな。。。S2009_0402_140814imgp7216

湾内の海底はほとんど白砂。その砂の間に珊瑚でできた丘があるという感じです。船の運転手兼ガイドさんは、そのポイントを知っていて、ぴたりとその場所に船を操って止める。

説明しながら間髪を入れずに次のポイントへ移動。本当に職人技でしたね。S2009_0402_140844imgp7219

展望台から見る風景もとてもきれいでした。

石垣島では、離島ならではというか、ご当地の特徴のある料理も楽しむことができました。本土では、どこに行っても同じようなものだったり、これ、ここでつくったものじゃないでしょ?なんていうものばかりですよね。それが、沖縄本島ともまた違う、特徴ある味も楽しむことができました。S2009_0403_112259imgp7234

これで石垣島の写真は終わりです。最後に、買ってきたもの。

「スパム」という輸入のランチョンミートは、沖縄では朝の定番メニュー「ポークたまご」にはなくてはならないものです。ハムやベーコンと違って濃厚な味が南国の人好みなんでしょうね。「沖縄そば」のカップ麺は、息子が超うまいと絶賛していました。

真ん中辺の「ゴーヤチャンプルドロップ」は一番のへんなものかな?残念ながら私は食べていません。息子が友達にもらった「ジンギスカンキャラメル」のお返しに買ったものです。確かに「ジンギスカンキャラメル」に対抗できるのはこれしかないかも!?

あと、中段右端の「くんぺん」は、クッキーのような、まんじゅうのような、甘食のような??皮の中に、ピーナツとゴマの餡が入っているちょっと変わったお菓子。中国の月餅みたいな味でした。そう、沖縄本島より台湾に近いので、味も台湾や中国に近いという感じがします。「さんぴん茶」という、台湾から輸入したジャスミン茶も毎回出たのですが、こちらの食べ物によく合って、さっぱりしていてすっかりファンになりました。

家族では一昨年の夏以来、どこにも行っていませんでしたが、子どもも大きくなったので、子連れ旅行というのは、もうこれが最後かな‥‥という気もしています。今年の夏休みは上の子の受験でまた旅行は行けそうにないし。ともあれ楽しい旅行でした。

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2009年4月11日 (土)

竹富島の観光

S2009_0402_080850imgp7145 石垣島に行ったのはちょうど先週。今週になって急に暖かくなりましたが、先週は本土でも寒い日が続いていたんですよね。

残念ながら私が行ったとき、1日目、2日目とも天気はいまいちでした。それでもさすがに南の島で、気温は20度以上あり、夜もそんなに冷え込まないのですが、風が強いと結構寒い!着て行ったもの以外は半袖しか持っていなかったので、その半袖シャツの上に毎日、家を出た時のままの上着を着ている羽目になってしまいました。それでも帰ってきた夜の東京の気温9度(!)には震えあがりましたけどね。

さて、3日目の天気に期待をかけたのですが、朝はやっぱりこんな曇り空でした。3日目の午前中はフリーになっていて、すでに3月20日に海開きも済んでいるので、天気がよければ泳げたのに、残念です。ホテル前のプライベートビーチはどこまでも遠浅の白砂が続いていて、すご~くきれいでした。S2009_0402_101236imgp7167

泳がないので、オプションの竹富島ツアーに参加しました。竹富島は近くて、石垣島から例の高速船で10分ほど。あの猛スピードで波と格闘するのも10分なら許せるかな。。。

竹富島は島全体が景観の保存地区になっていて、八重山諸島の伝統的な家屋、石垣のある街並み、珊瑚の白い砂をまいた未舗装の道路などがまるで映画のセットのように残されているところです。

島はほとんど平地で、小高い丘もなく、新田という集落の中心にある「なごみの塔」という、コンクリートでできた火の見やぐらみたいなものが島で一番高いところだということでした。S2009_0402_104115imgp7186

この写真がその「なごみの塔」から見た風景です。晴れていればこの先に真っ青な海が見えていたことでしょう。伝統的な木造住宅の赤瓦の屋根が美しい風景でした。

この「なごみの塔」がまた怖いの。。階段も、登った上も狭いのでお一人様限定です。高所恐怖症の人は無理ですね。一人ずつしか登れないので、あとに何人も並んでいて、この写真を1枚撮るだけでせいいっぱいでした。S2009_0402_100713imgp7157

竹富島にも水牛車がありました。ここは西表島と違って広い海ではなく、ご覧の通りの狭い道。車も4輪で西表のより一回り大きめです。でも何とここの水牛さんは、曲がり角もちゃんと内輪差を考えて、塀にぶつからないようにうまく曲がって行くんですよ。すごいですね~「うちのおばあちゃんよりうまいね。この間車ぶつけたもの!」と言っている子がいました。

ガイドのお兄さん、ここでもやっぱり三線の弾き語りをやってくれました。若いガイドさんなので歌も民謡ではなく、おなじみの「涙そうそう」や「島歌」の八重山ヴァージョンを聴かせてくれましたS2009_0402_101246imgp7168

沿道の家々にはブーゲンビリアなどの花が咲いていました。きっと一年中花が絶えないんでしょうね。

新しくできた民宿なども、町並み保全が義務付けられているらしく、伝統的な石積みの塀と赤瓦の屋根になっていました。こんなところに泊まって、数日星でも眺めてのんびり過ごしたいですね~。S2009_0402_103059imgp7178

石垣島も「石垣」というくらいだから、昔はきっとこんなのどかな風景だったんだろうなあ。それが、車が走るようになって道路が広げられ、塀が撤去され、また台風に備えて屋根の平らなコンクリートの家が多くなっていったのでしょうね。

ここは、そんな石垣島と違って、八重山の原風景が残されています。まるで時間が止まったような集落でした。

竹富島観光は、このあと「星砂の浜」と呼ばれているところに行きました。星の砂‥‥お土産などで、小さな瓶に入った星型の白い砂粒をもらったことがありますが、あれは海の中のサンゴの周りなどにいる小さな有孔虫の殻なのだそうです。S2009_0402_110147imgp7193

ここの白い砂の波打ち際というか、満潮時でももうこれ以上波が来ないというところあたりに目星を付けて、手のひらをぺたっと砂に押しつけて、着いてくる砂をよく見ると、その中に一粒二粒、星の形の砂を見つけられる、というものでした。私はまたその浜全体が星の砂になっているのかと思っていましたがそうじゃなかったんですね。

あの小さな瓶を持っていると幸せになれるなんて聞いたことがあるけど、あれだけ集めるのはとても大変!その努力と根気があれば、きっとどんなことをやっても幸せになれるでしょうね。S2009_0402_110332imgp7196

バスのガイドさんが言うには、大潮の前後などが多いとか。う~ん、私は10分ぐらいやって5~6粒の収穫しかなくて、あきらめてあとは写真を撮っていましたバスの中で、記念に小さな袋入りの星砂をもらいました。私はこれで十分

もうどこへ行ってもこんな遠浅の浜辺なんですよ。沖の方に白波が立っているところが見えます。そこから先がガクっと深くなっているそうで、海の色も深い青に変わっています。珊瑚礁が島をぐるっととりまいているんですね~。

S2009_0402_110952imgp7200 ここは本当に静かで、こんな木陰で読書なんかしたら最高だな~と思いました。まだあきらめずに根気よく探している人がいますね。ほかに白い貝殻や、白い穴のあいた珊瑚の切れ端などもたくさん落ちていました。あるものがみんな白いから、浜全体が白~い世界です。それに濃い緑の木々と青い海のコントラスト。ほんとにきれいでした。S2009_0402_110011imgp7190

猫ちゃんたちもの~んびり暮らしていました。かわいいなあ~。やっぱり猫は自由で、ほっこりした雰囲気で、いいなあ~。

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2009年4月 9日 (木)

のんびり西表島 2

S2009_0401_122059imgp7078 西表島から対岸の由布島に続く浅瀬を渡る水牛車です。何だかこの写真、今見ると寒そうですね。先週なのですが、ちょうど本土のほうも肌寒い陽気だったみたいです。今週のこの暖かさから比べれば、八重山諸島といえども、やっぱりちょっと寒かったです。S2009_0401_122437imgp7082

この水牛車が、真っ青な空、真っ青な海の水平線の見えるところを渡っている写真がよくパンフレットなどに使われています。

あれを見ると本当に今すぐにでも飛んで行きたくなります。きれいですものね~。私が行ったときはあいにく天気はこんなでしたが、いかにものんびりした雰囲気は変わらず、楽しかったですよ。S2009_0401_123236imgp7084

この日は風があるのでビニールシートがかけられていました。ビニールシート越しに見る外の風景はぼや~んとして、どこかレトロな感じで、おじさんの弾くサンシン(三線)のほのぼのとした音色にマッチしていました。

このガイドのおじさんのお話がまた面白かったです。歌もうまかったしね。

水牛さんたちはもともとこの島にいたわけではなく、農耕用に台湾から連れてこられたのだそうです。時がたち、畑を耕すお仕事はトラクターにとってかわられましたが、今ではなくてはならない観光の花形になっています。S2009_0401_123604imgp7089

満潮の時でも水深60センチほど。干潮のときは3センチほどだそうです。写真のお兄さんは外に出て水牛を操っていますが、私が乗った車のおじさんは歌って演奏してしゃべって、運転は全自動でした

おじさんの話では、水牛さんは週休二日、車を引いて一日8往復ぐらいするそうです。オフタイムは由布島にある池でのんびり。池には子どもの水牛さんもいました。4~5歳から車をひく訓練を始めて6歳でデビュー(もう時間がたっているので記憶が定かではないけど)20歳で引退だそうです。S2009_0401_132415imgp7120

引退後は写真のモデルなどをしながら余生をすごす。歳がいくほど角が立派になるから、観光客の記念撮影にはもってこいで、私も由布島で立派な角の水牛さんと写真を撮りましたよ。

しかし、のどかな風景ですね~。距離にして400メートルほどと言っていましたが、実際歩いて渡るのと変わらないスピードでしたよ。15分ほどで渡り終えました。

西表島は高い山もありますが、由布島は珊瑚礁がそのまま島になったような感じで真っ平。ここは島全体が亜熱帯植物園になっていました。S2009_0401_125953imgp7099

本土では見かけないオレンジのブーゲンビリア。ほかに薄い黄色、白もありましたが、写真がピンボケで残念。

ず~っと昔、伊豆大島の植物園に行ったとき、温室でいろんな色のブーゲンビリアを見た記憶がありましたが、普通に園芸店で売っているのはピンクばかり。「ブーゲンビリアっていろんな色があるんだよね~」と言っても誰も信じてくれませんでした。最近でこそ、園芸店でピンクと白の混合、白などを売っていますが、いまだにオレンジや黄色は、本土では見たことがありません。

そういえば、同じ話を以前も書いたことがあります。その時調べたら伊豆大島にはもうその植物園はなくなってしまっていました。あの色とりどりの美しいブーゲンビリアはどこへ行ったんだろうS2009_0401_130052imgp7100

というのも、あの時見て驚いた印象はいつまでも強く残っているんです。今回行った石垣島、西表島、由布島、そして竹富島。あちこちでブーゲンビリアが咲いていたけれど、やっぱりこんなピンクが多かったのです。

やっと黄色を見つけた!と思ったけど、こんなところにまで来て、温室の中の鉢植えの小さいやつを見てもね~。大島ではもちろん温室でしたが、温室の中で地植えになって、アーチのように頭上に覆いかぶさるほど大きな木に成長していたものでした。

まあ時期もあるのでしょう‥‥。昔見て感動した、淡いレモンイエローやオレンジの透明感のある花がたわわに揺れている風景。いつかまた出会う時があるのかな。S2009_0401_131101imgp7106

と思うと、こちらは真っ赤なブーゲンビリア。写真だと濃いピンクに見えますが、実際はかなり赤に近い。これは温室じゃなくて外に咲いていました。濃いピンクは本土の園芸店にも売っていますが、ここまで濃いのはないでしょう。

由布島は周囲約2キロの小さな島。園内はいろんな花が咲いていました。ハイビスカスも、ヤシの木も、サンセベリアも、みんな外で地植えになっていたし、よく観葉植物で見かけるものも、みんな外で雑草のように生えていました。まあ南の島だから当たり前ですね。S2009_0401_131023imgp7105

この葉っぱは初めて見ました。白いフリルのようなギザギザの縁取りがかわいいです。何という植物なのか、プレートのようなものはなかったのでわかりませんでした。草丈は人間の肩ぐらい。観葉植物にするにはちょっと大きすぎですか~?S2009_0401_131411imgp7112

これは何でしょう??木には「タコの木」という札がついています。そのとおり、根元はまるでタコの足のようになっています。でも面白いのはこの実!パイナップルのようなバナナのような‥‥食べられるのかな~?これが結構大きいんですよ。バレーボールぐらいの大きさで、たくさんブラブラと下がっていました。

ツアーなのに、ほかに何もないから本当にゆっくりできました。前に同じ旅行会社の格安北海道ツアーに行ったことがあるけれど、距離がすごくて移動また移動で、観光地では5分刻みのスケジュール。あれは本当に大変で、駆け足で見て、バスの中は寝てばかりでした。それが、こちらは狭い島内、移動の時間はそれほどありません。その分ゆったり過ごすことができてよかったです。S2009_0401_122239imgp7079

この日は夕方にまたあの恐ろしい高速船で石垣島に帰りましたが、帰りはほとんどの人がもう慣れたのか平気で寝ていましたね。石垣島に戻って、夕食の時間まで港近くの繁華街で1時間ほど自由時間がありましたが、西表島から帰ってくると、本当に石垣島が大都会に思えました

のんびりした風景でしょう?まるで地上の楽園です。これも晴れていたらとてもきれいで、きっと天国のようなんでしょうね。またいつか水牛さんたちに会いに行きたいです。

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2009年4月 6日 (月)

のんびり西表島 1

S2009_0401_142409imgp7130 名も知らぬ遠き島より、流れ寄る椰子の実ひとつ‥‥じゃなくてこれはきっと近くの島から流れてきたんですよね。ここは西表島だから。

ツアー2日目は朝から高速船に乗って西表島に行きました。石垣島から40分。それが、波に立ち向かってバッシャンバッシャン揺れも音もものすごい40分間でした。でも不思議と酔わなかったです。すごすぎて酔えなかったのかな??

天気はいまいちでしたが、西表島はまるで地上の楽園みたいに、自然が豊かな島でした。S2009_0401_121307imgp7077

西表島といえばイリモテヤマネコ。道路わきにはこんな看板がありました。だけど島のバスの運転手さんでも、イリオモテヤマネコに遭遇したことはないそうです。とても警戒心が強くて、人の目につくようなところにはいないようですよ。

それなのに、年に何件か交通事故にあってしまう不幸な山猫ちゃんがいるので、島にはこの看板のほかに全国でも珍しい「ヤマネコ注意」の標識があるということでした。イリオモテヤマネコは約100頭ほど、この島だけにしかいなくて、絶滅危惧種に指定されています。S2009_0401_103512imgp7037

観光のはじめは仲間川のジャングルクルーズ。島には高い山があり、雨も多いので水量豊富。河口近くは川幅が広く、海水と淡水が入り混じっている「汽水」だそうです。潮の満干によって陸地になったり水の中になったりする場所に生えている植物を総称して「マングローブ」というのだとか。私はまたマングローブという植物かと思っていました。

ここは日本最大のマングローブ林ということでした。私が行ったときは満ち潮の時間のため、ほとんどが水につかっていました。S2009_0401_103804imgp7041

ところどころ倒れて枯れた木がありましたが、これは3年前の台風のときの倒木だそうです。でも、天然保護区域なのでこれを片付けたりはできないということでした。倒れた木を見ると根が浅く広く広がっているのがわかります。

塩分を含んだ泥には酸素が少ないので、根を深くおろしても根腐れしてしまうので、根は浅く横に張っているのだとか。このときは水につかっている時間だったので、根元は見えませんでしたが、潮が引くとつっかえ棒のようなタコ足状の根が見えるそうです。S2009_0401_110225imgp7057

つっかえ棒の最たるものがこのサキシマスオウの板状の根っこです。かなりグロテスク!

観光船は河口から6キロほどで折り返し。その折り返し地点にちょっとした船着き場があって、そこから湿地の中につくられた木道を少し歩くと、樹齢400年というサキシマスオウの木があります。亜熱帯の木には年輪ははっきり見えず、この板根の高さから樹齢を推定するそうです。こんな大きな木でも根は深くないので、倒れないように板状の根で支えているのでしょう。S2009_0401_104715imgp7050

観光船です。小雨まじりだったので、すれ違った船はビニールシートがかけられていましたが、私たちの乗った船は寒かろうが風があろうが全開でした!マングローブ林の中は防風林みたいで、風はほとんどなく静かでした。

周囲の植物は単一のものが林になっていることが多く、大体が塩分濃度の違いによって、適したところにすみわけをしているそうです。その中の一つ、ヤエヤマヒルギだったか、種が流れているのを見ましたが、まるでたこ足ウインナみたいなのが釣りの浮きのようにプカプカ漂っているのが面白かったです。これはまだ木についているときに発芽したものが、水に落ちて流れていくとのことでした。S2009_0401_121021imgp7074

こちらはバスの中から。島のいたるところの川に、大小の違いはあれ、マングローブ林が見られました。マングローブ林は山から流れてきた泥が海に入らないように、フィルターの役割をしているそうです。泥を含んだ川の水は栄養が豊富で、これが海に流れ込むとプランクトンが大量に発生し、サンゴにダメージを与えるそうです。珊瑚礁の海がきれいなのも、このマングローブのおかげなんですね。

それから、ここに生息する巨大シジミ!実際には見ていませんが、船の中に貝殻が置いてありました。このソフトボールほどもある巨大シジミは大きさの割に中身がないので食用にはしないそうですが、川にとっては大切な浄水器の役割をしているそうです。1個の貝が1日に6トンもの水をこしとってきれいにしているのだとか。自然界はいろんなものが絶妙のバランスで存在しているんですね。

あと、面白かったのは「アダン」という植物。(アダンといえばバレエ「ジゼル」の作曲者。名前が同じなのでしっかり記憶していました)蛇行した川の内側にはところどころ、土砂がたまって満潮時でも水につからない所があって、陸の植物も見られます。このアダンというのはそんな川岸に生えていて、まるで小ぶりのパイナップルみたいなかわいい実をたくさんつけていました。残念ながら動いている船から写真は撮れませんでしたが、ほんとにパイナップルそっくり。だけど繊維だらけでまずくて食べられないそうです。食べるのはヤシガニぐらい。アダン食うカニも好き好き?見た目と中身は違うのね~。

こういうお話はみんな船の運転手さん?(船頭さん)兼ガイドさんが、運転しながら面白おかしく話してくれたものです。1時間ちょっとのクルーズでしたが、とても面白かったです。このあと島全体が亜熱帯植物園になっている由布島に向かいました。

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2009年4月 4日 (土)

石垣島に行ってきました。

S2009_0402_101311imgp7170 またまた更新が滞ってしまいましたが、実は、沖縄の離島ツアーに行っていました。

前から行きたいと思っていたのですが、遠いのでなかなか実行できず、今回、娘の受験も終わったので、ほっとしたついでに思いきって行くことにしました。

S2009_0331_172908imgp7027 格安のツアーなので、宿泊のホテルや飛行機の時間などが直前まで決まらなかったのですが(たぶん空いているところに組み込まれる)今回は11時台に羽田を出発。那覇経由で3時過ぎに到着の予定が、強風のせいかかなり遅れて、着いたのは4時過ぎでした。その日は石垣島鍾乳洞を見学しただけで終わりました。

鍾乳洞は、今までにいろいろ見ていますが、こちらは公開されたのが新しく、記憶がさだかではないのですが平成6年?とか言っていたと思います。そのため、とてもきれいな鍾乳洞でした。

山口県の秋芳洞は大きいし、黄金柱や千枚皿など見どころも多いのですが、5年ほど前に行ったら、学生時代に行った時に比べてずいぶんすすけて汚くなっていてがっかりしました。奥多摩の日原鍾乳洞などは、昔見た「白衣観音」が「黒衣観音」になっていてびっくりしたものです。やはり人が入るようになると環境が変わって汚れてしまうのでしょう。ここはまだ公開されて間もないせいか、鍾乳石が白くきれいで、中には成分によるのか光が当たるとキラキラ光るものもありました。S2009_0331_172602imgp7024

感動して写真をたくさん撮ったのですが、鍾乳洞内の写真って、あとで見るとなんのこっちゃ?ですね。ストロボをたくとあの幻想的な雰囲気がぶちこわしですから。かといってストロボなしだとぼ~っとしか写らない。

2枚目の写真は「受験石」ですって 落ちそうで落ちない??面白いので載せてみました。次の写真は日本初の洞内イルミネーションだそうです。きれい?かもしれませんが、悪趣味ですよね~ 電球の熱で鍾乳石が乾かないか心配ですし。(いまどき発光ダイオードかしら?)S2009_0331_173820imgp7036

ピンボケなのでやめようかと思いましたが、やっぱり載せることにしました。滴り落ちる水で先端が光っている鍾乳石、きれいです。

こんな南の島に鍾乳洞があるなんて知りませんでしたが、石垣島は珊瑚礁が隆起してできた島なので、島全体が石灰岩質。鍾乳洞はたくさんあるそうです。そのなかでもここが一番大きいのだとか。観光用に公開している最南端の鍾乳洞だそうですが、ここなら何でも最南端になりそうです

またここは鍾乳石が伸びる速度が本土の3倍速いそうです。雨が多く地下水が豊富なのか、成分のせいなのか。石筍といって、鍾乳石の下にたけのこ状に上に伸びる石が日本一多い鍾乳洞でもあるそうです。それから、鍾乳洞内は湿度が高く温度が一定のため、泡盛を熟成するために使われているというのも面白かったです。

あ、最初の写真は石垣島ではなく、3日目に行った竹富島でした。ブーゲンビリアをはじめとして、本土では室内で育てる植物がみんな地植え(クリスマスなどに飾られる赤い葉っぱのポインセチアも外で大木に!)になっていて、しかも一年中花を咲かせているのです。南国っていいですね。離島めぐりの2日目は西表島。また次回に。

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