旅行・おでかけ

2020年7月26日 (日)

2019年 祇園祭(先祭)見物録

引き続き昨年、先祭を見たときの記録です。前年、注連縄切りとくじ改め、新町通りを戻ってくる山鉾などを見ていたので、2度目はいよいよハイライトの四条河原町辻回しへGO!Dsc_0501

Dsc_0514 Dsc_0506_20200726104901 まずは前夜の宵山から。先祭の宵山歩きも2回目なので、一方通行ルートなど、歩き方の面では結構慣れてきたみたいです。屋台で売っている食べ物も、あれこれいろいろ食べてみたりしました。

前年は京都市内のホテルがとれなくて大阪のホテルから通ったけど、このときはかなり前から予約をしたので四条通に面したホテルをとることができました。やっぱり徒歩圏内というのは便利さが全然違いますね。帰る時間の心配がないから、遅い時間までブラブラ歩いてしまいました。また、この日は直前に夕立があったため、結構涼しくて歩くにも楽な夜でした。

Rimg0852 Dsc_0532 Rimg0858 Rimg0859 Dsc_0534 Dsc_0539 Rimg0865 さて当日、やはり四条河原町の交差点は一番の激戦地なのか、8時に行ったらもうかなりの人がいて、最前列の確保は無理でした。それでも長時間待ったかいあって、このときもベストポジションで見ることができました。

四つ角のどの位置に陣取るかは大きな問題だと思うのですが、ちょうどマルイ(今は閉店してしまったとか)の前は、八坂神社に向かってやってきた各町内の人たちが一度ずらりと並んで、八坂神社へ一礼するところも正面から見られたし、綾傘鉾の棒振り踊りも見られたし、辻回しの一部始終が見られてよかったです。

ただ本当に人が多くて、後ろからどんどん押してくるので、踏ん張っているのが大変。長時間待った割には、前列でいくつか見たら満足して行ってしまう人もいるらしく、絶えず人が入れ替わっていて、私たちもほどなく最前列に躍り出ました(笑)

最前列というのも実は結構大変なのです。押されて道路に出てしまうと、たちまち警備の人に注意されてしまいます。それでも隣にいた某外国人の家族はすごかったですね。でっかい荷物を下に置いて、近くに人が来られないように空間を確保する、何回も道路に出て写真を撮る、注意されても知らんぷり。警備の人も片言の英語や中国語で叫んでいたけれど、私が聞いても、う~ん、それは通じないと思うよ💧結局その人たちも、私たちより先に飽きて行ってしまいましたけどね。

前年の猛暑よりはいくらかましだったけれど、かなりねばって見ていた(笑)私たちもやっぱり暑さには勝てず、半分より少し見たところで退散することにしました。先祭の山鉾は23基。全部見るのは並大抵じゃありません。その点、後祭はちょっと頑張れば10基全部見ることができていいと思いました。

私たちがギブアップした後半からは、マルイの前もそれほどの混雑ではなかったようです。もしかして最初からここで場所取りしているよりも、くじ改めのところか、注連縄切りのところで最初見て、後半に四条河原町に向かったほうが楽に見られるのでは?などと思ったりしました。まあ当日の暑さの具合と、体力がもてばですが(笑)次に行くときは、そんな山鉾巡行フルコースをやってみたいですね。

少しだけ解説をしますと、大型の車輪のついた山鉾が方向転換するときは、車輪の下に竹の板を敷き、水をかけてその上を滑らせるようにして方向転換させます。一度ではできないので、これを3回ぐらいに分けて、その都度竹を敷き直して繰り返します。しかし、この高さ、しかも上には人が何人も乗っているのですよ。(上に乗っている人は怖くないのかな?)それをぐるっと回転させるたびに、見物客から大きな歓声が沸き上がります。この熱気、迫力、いいなあ!

一方、小さめの「山」は、お神輿のように担いで方向を変えます。こちらは余力があるのか、ぐるぐると3回ぐらい回って見せるサービスで拍手喝采、というところも。それぞれに楽しい「辻回し」でした。

Dsc_0542 Dsc_0544 Dsc_0546 Dsc_0547 Dsc_0550このあとちょっと長いお昼休憩の後、戻ってきた長刀鉾の前で解体作業をずっと見ていました。なんと、山鉾巡行のあと、会所に戻ってきた山鉾はその場ですぐ解体してしまうのですよ。ちょっとびっくりです。

何でも、山鉾は市中を回って穢れをはらうわけで、集めてきた穢れがまた市中に戻っていかないように間髪を入れず解体するのだとか。

周りを飾る絢爛豪華な「懸装品」は、「動く美術館」と言われるくらい貴重なものなので役目が終わればすぐに取り外されてまた来年のために大切に保管されるのです。いろんなものを取り外したあとには骨組みと縄があらわになります。釘はつかわずに縄で組み上げられているのがよくわかります。市中から集めた「穢れ」はこの大量の「わら縄」についているので、縄は外したあとお焚き上げするそうですよ。1年間玄関を守ってきた「粽」も同様ですね。今年買うことができた粽は、ぜひ来年新しいのを買うときに持って行ってお焚き上げしてもらおうと思います。

そう、来年。今のコロナの状況で、来年同様な祭ができるでしょうか?誰にもわかりませんが、いつかすっかり収束してまた全国でこうしたお祭りができるよう祈りたいです。祭に限らず、演劇、コンサートなどもそうですが、本来人間の楽しみというのは、多くの人と喜びや感動を共有することにあるんだと思います。ソーシャルディスタンスでもアクリル版越しでもオンラインでもできるものはあるけれど、それはこういった多くの人が集まって行うものにある湧き上がる興奮や熱狂と同じものでしょうか?今回のコロナ禍は、人間とは何か?という根源的な問いを突き付けているように思えます。本来の人間の営み、楽しみ、喜び、そういったものが失われないように祈りつつ、この一関東人が祇園祭大好きになった3年間の記録を終わりたいと思います

追記:ほんとに久々の更新で、ココログの編集画面の仕様も以前と変わった点が多く、しかも、昨年はスマホで撮った写真が多かったので、それをアップするのにとても時間がかかりました。そんな状態ですが、また折々このブログも続けていけたらいいなと思いました。結局デジカメ壊れちゃったんですよね。もうスマホで十分と思っていましたが、こうやって見てみるとやっぱりカメラで撮った写真はいいですね。またデジカメ買おうっと(笑)

3年間ずっとおつきあいくださった京都在住のお友達にも厚く御礼申し上げます。お互い年々歳とってくるので(笑)いつまで猛暑に耐えられるかわからないけど、またぜひ一緒に行ってね!

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2020年7月24日 (金)

2018年 祇園祭(先祭)見物録

ほんとは先週書いてアップするつもりだったけど、なんとまあ、久々のことなので、かなり書いたところで何をやらかしたのか一瞬にして消えてしまいました(涙)こういうことも慣れないと大変ですよね~。それで気力がうせてしまったのですが、また今週、せっかくの4連休でも予定が何もないので、気を取り直して再び書き始めることにします。え~と、先週は一体何を書いたんだっけ?(笑)Rimg0570

初めて祇園祭の後祭を見た翌2018年、今度はいよいよ先祭を見ようと出かけました。まずは宵山から。先祭の宵山は前年に歩いた後祭のものとは全然違いました。とにかく人、人、人が多い!四条通は夕刻から車両通行止めで歩行者天国となります。ホコ天といっても、自由に歩けるわけではなく、センターラインで区切られた一方通行。しかも立ち止まって写真など撮ろうとすると、警備の人に「立ち止まらないで!」と言われてしまいます。だからただただ行列して歩くだけ。写真は全部、歩きながら撮りました(笑)Rimg0573

先祭は四条通に面して建てられた山鉾が多いのですが、四条通から入ってすぐの路地にもたくさんあり、それらを一つ一つ見ようと思ったら、まずは地図で全体の位置を確認しておく必要があります。というのも、細い路地まで全部一方通行になっているから。すぐそこに次の駒形提灯が見えているのに、行こうとすると辻々に立っている係員の方に止められてしまいます。それだけ人が多いのです。下手すると同じところを行ったり来たり、ぐるぐる回って歩き疲れてしまうでしょう(笑)

先祭の宵山は、食べ物の屋台がたくさん出てにぎやかで楽しいけれど、雅な風情は後祭のほうがあるかな~と思いました。Rimg0618 Rimg0620

山鉾巡行当日、京都在住の友人と四条烏丸と四条河原町の間ぐらいのところで待ち合わせをしました。それが何と朝の8時前!気合の入れ方が全然違います。友人が持ってきてくれた必需品もすごい。何時間も座って場所取りするので、シート一枚ではお尻が痛くなってしまいます。なので、梱包用のプチプチを重ねたものを敷きました(笑)それから首にはタオル。タオルには保冷剤を仕込みます。そして水分補給の飲み物と、団扇。前年は扇子を持って行ったけど、あおぎ過ぎて壊れてしまいました(笑)やっぱり何といっても団扇がいいです。そして場所は、ちょうど注連縄切りの注連縄が見えるところ。早くから場所取りしていたかいあって、今度もまたベストポジションで見ることができました。Rimg0623

先頭は「くじ取らず」の長刀鉾。長刀鉾にだけ「生き稚児」のお稚児さんと二人の禿が乗っています。お稚児さんは町衆の子息の中から選ばれて、この日まで精進潔斎し、官位をもらって「神の使い」となるそうです。このお稚児さんが太刀でしめ縄を切って、八坂神社へ向かって行列全体が進んでいくことになります。Rimg0625

次は蟷螂山。何と、カマキリが乗っています。奇抜ですね~。このカマキリ、からくり人形で、動くんですよ。それからも函谷鉾、鶏鉾などが通るのを見ました。 Rimg0635

そのあとは、最初の場所を離れ、少し手前で行われている「くじ改め」を見に行きました。「くじ改め」というのは、列の順番がくじと同じかどうか改める儀式なんだそうです。

関所」と呼ばれる場所では、各町内の使者が裃姿で、「奉行」にくじを入れた文箱を捧げます。このとき箱の紐を扇で解くとか、ふたを開けて中を見せる動作に独特のお作法があるみたいです。「奉行」がくじに書かれた内容を読み上げて改めた後、使者は下がって扇で一行を呼ぶ動作をします。これがなんとも優雅でしたね~。お奉行様は京都市長さんだそうです。このお仕事、ご公務の中では一番いいお仕事ではないでしょうか(笑)Rimg0656

ここでまたしばらく見て、もう限界に暑いのでしばし休憩。京都も大阪も、夏はすごく暑いけど、デパートや喫茶店の中はもうガンガンに冷房が効いています。だからどこでも涼めるけど、とりあえず早めのお昼を食べに行きました。Rimg0658

山鉾巡行は四条通を東に進んで河原町通の交差点で辻回しをして、その後市役所の角を左折して御池通を西に進んで各町内に帰って行きます。このとき、新町通りというそんなに広くない通りを山鉾が戻っていくところを見るのが、先祭だけの楽しみだそうです。休憩後、新町通りに先回りして、山鉾が戻ってくるのを待っていました。

Rimg0661a これがほんと、もう手が届くぐらい近くで見られるんですよ。感動!山鉾を飾る豪華な装飾も間近に見ることができます。そしてここまで来る人はさすがにそれほど多くありません。皆さん、大通りを行く山鉾を見るだけで満足しちゃうんでしょうか。じっくり見たかったらこっちで待っているほうがいいかもしれませんね。

先祭は人が多くて、山鉾の数も多くて全部はとても見られないかもしれないけど、あとからこんなところでも見ることができて、二度おいしい。そう思いました。

追記:このあと、朝からの祭見物でどこにそんな余力があったのか自分でも信じられないけど、喫茶店やらデパートやら、あちこちで涼んだ後、夕刻の八坂神社前で神輿が出るのを見に行きました。本来の神事としての祇園祭はこの神輿渡御が中心なんですよね。八坂神社前はそれこそ人であふれかえっていました。陽が傾いても相変わらずものすごく暑い中、街に出て行く三基の神輿を見送って先祭見物は終わり。祭好きの長い一日となりました。

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2020年7月18日 (土)

2017年 祇園祭(後祭)見物録

祇園祭のハイライト、山鉾巡行は17日の「先祭」(さきまつり)と24日の「後祭」(あとまつり)に分かれています。先祭は神輿がお旅所へ渡御(神幸祭)する前に街中を清めるために行う山鉾巡行、後祭は神輿が八坂神社へ還御(還幸祭)する際に行われる山鉾巡行で、それぞれ出る山鉾と巡行の進行方向が違うのです。もともとそういうものだったそうですが、昭和41年(1966)に、どうせなら全部一度に見たいということだったのか、警備などの都合なのか、先祭りだけの1回で済ませるようにしてしまったそうです。それが本来の2度に分ける形に戻ったのが平成26年(2014)でした。だから「後祭」というのは復活してからまだ新しいのですね。これだけ数があると一度にするのはやっぱり大変だし、それに二度に分けたほうが楽しみが二度あっていい、と思います。

Rimg0124山鉾巡行の前夜には宵山、宵々山というのがあります。私は初めて行った後祭の宵山で、明かりの灯った駒形提灯を見て回り、ゆったりと雅びな祇園ばやしを聞いて、いっぺんにファンになってしまいました。子どもたちが会所で呼び込み?をしている声を聞いたりするうちに、ああ、何で私は京都に生まれなかったんだろう!なんて思いましたよ。それくらいよかったです。

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もともと街をブラブラ歩くのが好きなので、暗い路地をちょっと歩くとまた違う町内の違う駒形提灯に出会えるというのが、ワクワクするような体験でした。ただし、とっても暑い!いくら暑くても関東では夜になると少しは涼しくなるけれど、京都の夏の夜はじっとしていても汗がじわっと出てくるほど暑い。

会所ではそれぞれ屏風や骨董品などのお宝、生け花などが飾られ、お守りや粽が売られ、それを買うと山鉾に上がったりできるようなのですが、もう暑くて汗だくでそれどころじゃないというのが実際だったかな?ただ歩いて写真を撮るだけしか余裕がない状態だったけど、それでも楽しかったです。写真のように会所の2階から橋渡しができているところもあり、それも物珍しく風情がありました。Rimg0152
  

当日、先祭のほうが楽しいよ、と言っていた友人が後祭を案内してくれることになり、地下鉄の市役所前駅で待ち合わせをしました。9時前なのにもうすごい人でしたが、これでも先祭りよりは少ないのだそうです。市役所の角はちょうど御池通と河原町通の交差点で、御池通を西から進んできた山鉾が河原町通りに方向転換をする「辻回し」が見られる場所なのです。私は別に、通る山鉾が見られればいいと思っていたけれど、この辻回しって、間近で見るとすごい迫力なんですよね。初めて行って、辻回しをベストポジションで見ることができたなんて、これも友人の案内のおかげだけど、すごくラッキーでした。 Rimg0175 Rimg0164_20200717221401  

Rimg0160祇園祭が初めてなら、まずは入門編として「後祭」をおすすめします。山鉾の数は先祭が23基、後祭が10基。数の上だと淋しい感じがしないでもないですが、写真の南観音山、北観音山のような、先祭の鉾と比べても遜色ないかっこいい「山」もあるし、 橋弁慶山みたいな小さくても特色ある「山」もあります。そして何より圧巻は最後の大船鉾。Rimg0184 Rimg0190 Rimg0193 Rimg0196

これらを全部最初から最後まで見ることができるのがほんとにおすすめです。私はこのあと2年続けて先祭りを見ていますが、先祭りは数が多すぎて、一か所にとどまって見ているのは時間的にもきついのです。とにかく暑いから、同じ場所で長時間立っているのがツライ!結局途中で飽きてしまったりします。それを飽きずに最後まで楽しめるのは、10基ほどがちょうどいい数なんだと思いました。

そして人出、人数がやっぱり全然違うのです。後祭も人は多いですが、先祭りの比ではありません。何時間も前に行って場所取りしなくても、そこそこよく見える場所を確保することができます。この日は幸いうす曇りだったので、暑かったけど何とか全部の山鉾が河原町通りへ方向転換して、連なって進んでいくのを見届けることができました。

特にしんがりの大船鉾が圧倒的にかっこいい!2014年に後祭りが復活したのは、実はこの大船鉾の復興があったからだそうです。大船鉾は幕末の禁門の変のときに焼失し、以後ずっと巡行に参加していなかったそうですが、2014年に再建され、同時に後祭りも復活したのだそうです。初めて行った祇園祭で、最初から最後まで辻回しを見られたのはほんと、感激!の一言でした。

後祭にはさらにこの後を「花笠巡行」というのが合流して続きます。花笠を頂いた巫女?姿の女性たちや、子ども神輿、芸舞妓さんが乗った山車などが通ります。私も友人ももう暑さでへとへと。喫茶店へ逃げ込みかき氷を食べて涼んだ後、花笠巡行には八坂神社に着く前にやっと追いつきましたが、そこでギブアップ。八坂神社では舞が奉納されるそうですが、そこまで見るにはかなりの体力が必要でしょう。

こういうところが先祭にはない後祭の楽しみ、かな? さらに2022年には大船鉾と同様、江戸時代に焼失していた「鷹山」というのが後祭りに復活するそうなので、それを楽しみに、できればまた後祭りにもぜひ行ってみたいです。

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2013年7月20日 (土)

ミニ温泉旅行(湯西川温泉)

Rimg2051_2毎年恒例になった農村歌舞伎の保存会の旅行、ことしは湯西川温泉でした。何年か前、私が初めて参加したときに行った鬼怒川温泉よりもさらに1時間ほど山奥へ入ったところです。そう、例の激安旅行、こんな山奥までちゃんとバスで送迎してくれるので、あれから草津や熱川など、毎年17~8人ほどで出かけているのです。

帰ってからお土産を出すと、娘が「これは受験生にはあげられないお土産だね~」というから何かと思ったら、包み紙に「落人の里」と書いてありました。確かに(笑)娘は受験塾でバイトしているのでそういうことに敏感なんでしょう。そう、湯西川はその昔平家の落人が住みついた場所として有名なのだそうです。

平家の落人伝説‥‥大学のとき、そんなシブ~い卒論を書いた友人がいました。読ませてもらわなかったけど、どんなんだったんでしょうねえ。立派に卒業してるからそれなりにちゃんとしたものだったとは思いますが(すみません

日本全国に落人伝説はあるけれど、その中でも特に有名なのは宮崎県の椎葉村と徳島県の租谷渓(いやだに)と、その次ぐらいにこの湯西川がくるのでしょうか?椎葉村と租谷渓は日本三大秘境というのだそうですね。もう一つは?と思ったら、岐阜県の白川郷だそうです。白川郷といえば合掌造りの集落が世界遺産に登録されているくらいですから超メジャーなはず(笑)私の学生時代から「秘境」どころか有名な観光地でしたよ。

租谷渓は学生時代に行ったことがありました。平家のその後の研究をした友達と、自転車のツーリングで(そんなこともしていたんです・笑)‥‥本当に、こんなところに村なんかあるの?というくらいのすごいV字谷の続く山道を通って行きましたが、村に入ると意外に開けていました。有名な「かずら橋」は、高さはそれほどでもないものの、網目の間がスカスカで落ちそうで、恐くて渡れなかったような気がします。私は別に高所恐怖症じゃない普通の人のつもりでしたが、下を見ると足がすくみました。それを友達は全然平気でひょこひょこと渡ってしまったのですよ。それよりもっと恐かったのは、来る途中の道の岩の上に小便小僧が立っていたあたり。下を見ると目もくらむような深い谷。かずら橋から下を見るよりず~っと高いところなんですが、彼女はガードレールを乗り越えて、確かその小便小僧と並んで写真を撮ったと思います(見ているだけで恐かった)あの小便小僧は今もあるかしら‥‥。

宮崎の椎葉村はすごく行きたかったところです。地図を見ているだけで何だかわくわくしたのですよね。あの辺の地図を見ると山の中に「五家荘」とか「米良荘」とか、なぜかちょっと違った書体で書いてある。ここに行ったら一体何があるんだろう?と、いろんな想像を掻き立てられました。学生時代に高千穂までは行ったけれど、結局交通手段がなくて行けなかったんですよ。なかなか行けないから「秘境」というのでしょう。

忘れていましたが、私ってそういう「秘境」が好きだったということを、たまたま保存会の旅行で行ったこの湯西川で思い出しました。ホテルに着いて周りを見ると、何だかすごい秘境の雰囲気。思わず探検したくなり、夕方の宴会まで単独行動していいというので、ホテルでゆったりしている皆さんを置いて、一人で周りを歩きまわりました。

Rimg2066_2まずは「平家塚」というのを見に行きました。平家の落ち武者が鎌倉勢に追われた末にこの場所に土着したという言い伝えの中、ここまで来て、もう戦うのも逃げるのもやめ、平家再興もあきらめ、持っていた武具や刀剣を埋めたという塚。思えばこれは夢の墓場なのだなあ‥‥。

落人というのは何も武士だけでなく、女子供もたくさんいたそうです。中には宮中に出入りし、優雅な暮らしをしていた人たちもいたことでしょう。鎌倉時代なんていう昔に、それもこんな山深いところならどこでも、誰が移住してきたってわかりゃしないような気もしますが、そうでもないんですね。定住した後も細心の注意を払って暮らしてきたのがしきたりとなって今も伝わっているそうです。鶏を飼わない、焚火をしない、端午の節句に鯉のぼりを上げないなど。鶏は朝になるとうるさく鳴くし、焚火をすれば煙が上がって麓からでも人がいるのがわかってしまいます。鯉のぼりを上げないというのは、後継者(男の子)がいるのを隠すためなのでしょうか?

Rimg2052_3「平家塚」の隣の「平家の里」という、古民家を集めたところも見てきました。民家がそのまま展示室、喫茶室、お土産屋などになっていました。民芸品の木杓子などの制作過程を展示した場所、平清盛、敦盛の人形を置いて平家の歴史を解説した場所、まつりなどのイベントを紹介した場所などがありました。Rimg2056_2

落人に関する展示は、温泉街の中にある「平家落人民俗資料館」のほうに展示されていました。旧家の蔵などに残されていた由緒ある品々‥‥平家の紋章である揚羽蝶の紋の入った調度品の数々や、書物、武具など。中には蒔絵の重箱など、こんな山の中にあるのは不似合いなみやびな品もありましたが、年代物のガラスのショーケースに無造作に並べられているのを見ると、これって本物?なんて思ってしまいます。この資料館全体が前時代(昭和)にタイムスリップしたみたいなところでした。

Rimg2087_3この温泉街を流れる川の周辺はとてもきれいな場所でした。しばらく近辺を散策してホテルに帰ってくると、他の人たちは入れ違いで散策に出かけたところでした。なので、一人で露天風呂に入っていると突然の夕立。

長く入っているには熱いかなと思っていたお湯が、雨水が大量に流れ込んであっという間にちょうどいい温度になりました(笑)露天風呂自体は屋根があるのですが、ホテルの浴室までのちょっとの間には屋根がありません。大雨の中の露天風呂なんて、めったにできない体験をしてしまいました。露天風呂からあがってくると、散歩の途中で夕立にあってしまった人たちが帰ってきました。私はラッキーだったんですね。

Rimg2058_2しも7月7日は七夕で、ちょうど「竹の宵まつり」というのをやっていたので夕食後に見に行きました。メイン会場にはろうそくを入れた竹筒が並べられて幻想的な雰囲気。特別に「星の宮神社」というのがつくられ、願い事を書いた短冊がたくさん奉納されていました。

別会場では野外コンサートが行われていました。昼間は暑かったけれど、夕立のあとの山の夜は肌寒いぐらいの涼しさでした。

途中から入ったら、KAIさんという方がアコースティックギターの演奏をしていました。ギター一本ながらフュージョン(死語?)っぽいカッコいい演奏でした。七夕にちなんだ「星に願いを~虹の彼方に」のメドレーも素敵でした。

そのあと、平桜子さんという琵琶奏者の方が登場し、薩摩琵琶による平曲(平家物語の語り)を演奏しました。平曲って、私は今まで聞いたことがありませんでしたが、思いがけず聞くことができてよかったです。前日の前夜祭では壇ノ浦の段を演奏したそうですが、この日は屋島の合戦の那須与一の場面でした。琵琶の技法なのか、弓をきりきりと引く音とか、矢が飛んでいく音とか、弦をこするようなさまざまな撥の効果音が、まるで現代音楽のようでした。語りは、思った以上に聞きやすくて内容がよくわかりました。

Rimg2044_2翌日も朝、散策に行きましたが、前日の豪雨のあとにもかかわらず、全然変わらない澄んだ川の流れ。これが多摩川だったらすぐに水位が上昇して、川の水も土色に濁っていることでしょう。山の豊かな保水力を感じました。

そして、山奥はやっぱり涼しかった。下界に降りて来て、サービスエリアでバスから降りた途端、まりでフライパンの上にいるような猛烈な暑さでびっくりしました。涼しく楽しい温泉旅行でした。

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2013年5月 5日 (日)

番外編 仏生山~小さな旅

高松市の郊外に「仏生山」というところがあります。こんぴら歌舞伎の「お練り」を見物したその日の夕方、琴電の仏生山駅で下車して駅周辺を歩いてきました。Rimg1540Rimg1542

私は別に「鉄子」ではありませんが、なぜか撮りたくなってしまった電車の写真(笑) 琴電には全国の私鉄で使われていた車両が第二の人生を送っていることも多いらしく、その丸みを帯びた形を見ていると何だか懐かしいような気がします。Rimg1543

こちらは仏生山駅の外に「展示?」されていた車両。江ノ電みたいなレトロな感じがします。仏生山には琴電の車両基地があるそうです。

宿は琴平なのになぜこんなところまで来たかというと、ちょっとした好奇心があって‥‥前から気になっていた場所だったのです。でも翌日は昼夜の観劇、そして3日目は高松市内で友人と会う約束なのでもうこの日しかありません。お練り見物のあとのテンション高いままえいやっと出かけて行きました(笑)

Rimg1545何があるかというと、古い街並み。‥‥え? 駅を出てすぐ、こんな大衆演劇の芝居小屋がありました。ここもあとで見よう(笑)実は一人旅で多分退屈するだろうから何かないかな?と思っていたところだったのです。6時開演?‥‥今4時半を少し回ったところ。では1時間ちょっとで町を一周してこなくちゃ。

Rimg1548駅から少し歩いて角を曲がるとメインストリートです。このさほど広くない道を車は結構通るのですが、夕方というのに人っ子一人歩いてませんそして、信号がありません。

江戸時代初期、初代高松藩主(お城は琴電終点の「高松築港」駅のところにある海に面した「玉藻城」です)の松平頼重が、菩提寺である「法然寺」をこの道の先の山の上に建立したので、ここが門前町として栄えるようになったのだとか。この道はお殿様が法然寺へお参りに行くときに大名行列を仕立てて通ったことから「お成り街道」と呼ばれているそうです。今も年に一度のお祭りには大名行列が行われるそうです。観光はこちらを参考にしました。

Rimg15501階は普通のお店のようですが、実はすごく立派な古い民家。二階の格子窓は「虫籠窓」といって換気のための窓が、大名行列を見降ろせないように格子のついた虫籠のような窓になったものだそうです。屋根の端に「袖うだち」というのが付いています。

Rimg1551 街中にあった「生目(いけめ)さん」という小さな神社。案内板によると悪七兵衛景清をまつったものだそうです。

景清といえば「壇浦兜軍記」で、阿古屋が恋人の景清の行方を問われる場面が有名ですが、景清は登場しませんね。歌舞伎十八番「景清」というのもありますが、見たことはありません。そういえば前に「錣引」というのを見たことがありますが、ほとんど覚えてなくて情けない‥平家物語に出てくる兜の錣を引く場面だったと思います。

日本人には敗れ去ったものに対する愛着がすごくあるみたいですね。景清は壇ノ浦で滅亡した平家唯一の生き残りで、いろんな民間伝説やお芝居があるようです。中でも、一昨年に見た映画「大鹿村騒動記」に出てきた「六千両後日文章」というお芝居はすごいです。平家再興をあきらめた景清が自ら両目をえぐるという壮絶なシーンがあるのですが、大鹿村の農村歌舞伎にしか伝わっていない貴重な演目だそうで、ぜひぜひ見てみたいものの一つです。映画ではほかに孝太郎さんと愛之助さんが出演している「Beautyうつくしいもの」というのがあり、劇中で愛之助さんが景清を演じています。ともに号泣もののいい映画ですよ。

なあんて‥‥かなり脱線しましたが、「生目さん」は目の神様。私も近年近眼と老眼が混じりあって相当面倒なことになっているので(笑)よくよくお参りしてきました。

Rimg1554 こちらも虫籠窓の残る古い民家。何かこういうのが普通にある街並みっていいなあ。

学生時代に「小京都」というのがちょっとしたブームになって、私も萩だの津和野だの、いろんなところに行きましたが、今それらがどれだけ残っているかというとわかったものではありません。10年近く前ですが、萩に行ったとき、昔見たあの夏ミカンが植えてある武家屋敷の風景は、皆代替わりしたのか、少なくなってしまって愕然としてしまいました。

昔行ったときはまだ武家屋敷にも人が住んでいました。今も残っている屋敷がいくつかありましたが、それは「文化財」として市に買い上げられているからのようで、人が住まなくなってしまうとその保存は大変なことだと思います。全国にそんなところはたくさんあるのでは?古い家に住んで守っていくのもいろいろな制約や努力が必要だと思いますが、歴史ある街並みが少しでも長く残るよう頑張ってほしい‥‥まだ立派に残っているこの街を見て、そんな思いをまた持ちました。

Rimg1556_2 Rimg1561 しかし、人歩いてないですねえ‥‥何かタイムスリップでもした気分です。香川県の県庁所在地の高松市ですよ。それも市内から琴電で15分ほどの郊外で、そんなに「ど田舎」じゃないのに。

Rimg1562 町はずれまで来るとこんなすごい階段があって、上にはちきり神社という神社があり、その向こうに仏生山公園、そして松平家の菩提寺の法然寺があります。何か、この向こうには何があるんだろう?とどんどん行ってみたい気もするけれど、時間制限もあるし、帰る分の体力を残しておかないとね(笑)

‥‥思えば学生時代は興味に任せていろんなところに行き、そして道に迷って知らない街でウロウロするようなことがたくさんありました。あの頃こんなブログがあれば面白かったのでしょうが。あの頃撮った写真はもちろんフィルムの写真だからどこへ行ったかわからない。今はこんなふうにすぐにアップしたりできる便利な時代になったものです。(そんなこと言うなんて年寄みたい・笑)

Rimg1565Rimg1567_2法然寺まで来ましたよ。さすがに殿様の菩提寺だけあって格調高そうでした。ここから先ほどの階段の写真の反対側からちきり神社に登って、そしてあの急な階段から下りてきました。

Rimg1563 Rimg1569  持に「保存」はされてないと思うごく普通のお宅も何だか街並みにマッチしたいい雰囲気でした。

さて「小さな旅」ではありますが、この1時間ぐらいの散歩だけで終わったわけではありません。行きましたよ、最初に見つけた「大衆劇場仏生山」へ!

お芝居は何でも好きで大衆演劇も何回か見ているから興味はあるし、別に犬も歩けば棒に当たる方式ではなく、ここに劇場があるのはあらかじめ知っていたのですが‥‥でも入れる雰囲気かどうかはわからないので、外から見るだけにしようかなとも思っていました。しかし、せっかく来たんだ!勇気を出して入っちゃえ!

Rimg1575 外側はまるで倉庫かパチンコ屋みたいでしたが‥‥中はこんな感じでした。ちゃんと花道もあり、花道の左側はふかふかソファ―の指定席。一般席はテーブルがあって、ここでうどんやラーメンを食べることができます。本日のお芝居は「上州あばれ傘」?という、国定忠治のお話でした。大衆演劇では毎日違うお芝居を上演するんですよね。

お尋ねものの忠治の首には大枚の懸賞金が付いていて、それを狙う同心たちと、親分を逃がそうとする元子分。やたらと巻き舌を使う関東弁?がカッコいいのですが‥‥この不良っぽいカッコよさを讃岐の方々はわかるのかしら?そして、殺陣の最中でも悪者たちを傘で抑えながら、辻占売りの少女に優しく声をかけ、全部買ってやるという太っ腹の忠治親分。冷静に考えたらありえないけど(爆)カ~ッコいい~これぞ大衆演劇!

でも、観客の数を数えたら、私を含めて14名でした。。。花金(死語?)なのにちと淋しいですね。多分、お客さんはお年寄りが多いと思うので主に昼の部のほうに来られるのではないでしょうか。お芝居が終わって次は歌謡ショーというところでしたが、私はまだ行くところがあったので外へ出ました。

次は「仏生山温泉」です。2005年にオープンしたというまだ新しい日帰り温泉で、このひっそりとした街に何で忽然とこんな施設があるの?というくらいいいところでした。もう真っ暗になっていたので写真はありませんが、建物はすっきりとしたモダンなデザインで、中にはレストランや売店もあります。お湯はちょっとぬめり感のある炭酸水素塩泉。中庭に面した露天風呂は檜造りでした。露天風呂の中に低温浴という、水風呂よりは暖かいけれど、でもかなりぬるい浴槽がありました。炭酸の泡が身体に着いてくるのが特徴だそうです。最初はちょっと冷たいという感じなのですが、慣れるととても気持ち良くて(のぼせないし)長湯も平気の面白い体験でした。

Rimg1572 お練りで大満足だったその日、さらに欲張って足を伸ばしてしまいましたが、思いきって行ってよかった「小さな旅」でした。

先ほどの街並みも一歩外に出ればこんなのどかな風景。多分右側の山が、一生懸命階段を上った「ちきり神社」のある山だと思います。今度はもっとゆっくり歌謡ショーも楽しみたいな(笑)‥‥しかし、まだ9時台でも帰りはもう真夜中みたいでした。仏生山温泉も大衆劇場も、電車で来たというのは私一人だったかもしれません(爆)

朝早く出発したのに空港で2時間以上待つことになり、どうなることかと思った一日でしたが、結果はお練りもしっかり見れた上にこんなに欲張りな一日になりました。何があるかわからないけど、旅はいいですね。

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2013年5月 3日 (金)

金刀比羅宮参拝

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4月5日から7日まで、香川県の琴平へこんぴら歌舞伎を見に行ってきました。そのときのお芝居の感想やらを非公開のまま(下書き)ちびちび書きながら、やっとのことでアップすることができました。と思ったらもう5月です(笑)

Rimg1588今年の春は何だかあっという間でした。3月中にバカみたいに暖かくなって桜も20日過ぎには咲き始めてしまい、3月末にはもう散っているなんて、私の記憶ではそんな年はなかったような気がするのですが。

それで4月に入ったらまた寒くなり、気候が安定しない時期が続きました。だから今年は、家の近所でもゆっくり桜をながめることもなく過ぎてしまったような気がします。

でも、琴平に行ったら、散った木もあるけれど、こんなふうに待っていてくれた木もあってうれしかったです。Rimg1603

5日のお練りの日はとてもいい天気で暖かかったのですが、翌6日は雨がちらほら。そんな中、昼の部の芝居が始まる前に本宮まで登ってきました。

こちらは途中の「旭社」というところです。ここまででも結構大変でしたが、ここからさらにまた急な石段が続きます。

その昔、学生時代に友達と二人で来たことがありました。自転車でツーリングだなんて、今から思えばすごいことをしていたんだな~。

Rimg1607 次は20数年前に父と、奥の院まで行ったと思います。あのときはほかにも中津万象園とか丸亀城なども1日で回ったはずだから、多分すごい駆け足だったでしょうね。

3回目は子どもが中学生ぐらいのときでした。そして今回は4回目。目的はこんぴら歌舞伎です。まさかこんなところまで一人で見に来るほど歌舞伎が好きになるとは思いませんでしたよ(笑)

本宮の脇の展望台からは讃岐富士、そして遠くに瀬戸大橋も見えました。讃岐平野の山というのは関東の山とは全然違って、まるで子どもが描いた絵みたいに平地にボコボコとあるような山。不思議ですが、どこか懐かしいような気がします。

Rimg1610 本宮です。ご神木の大きなクスノキ。その向こう側には絵馬などを奉納している絵馬堂があります。写真はないけど、そこは以前子どもと来た時に子どもが面白がったところです。なぜかというと、絵馬というより、船の写真や絵の額、模型などがたくさん奉納されていたから。こんぴらさまはもともと航海安全の神様なんですよね。

ここまでで785段の石段だそうです。奥の院まで行くと1368段ですって!いやはや、これからお芝居を見ようという人が785段でもよくここまで来たものです。ここでお参りをしたあとはまた階段を下っていきました。奥社へはまた次の機会に。 Rimg1600

ちょうど500段目にこんな展望広場があります。ここは確か、以前来た時は観光案内所か休憩所のような建物があったところだと思います。内部にはパネル写真が展示されていたりして、ベンチに座って自動販売機の飲み物を飲んだような記憶が‥‥。今はきれいになくなってしまった?と思ったら、何やら下に降りる階段が。

この広場の下は「神椿」というお洒落なカフェになっていました。そのまた下にはレストランもあるようです。ここでしばしサンドイッチを食べながら休息していると、パンパンと花火?の鳴る音。ちょうど10時なので、開場の合図だったのでしょうか。さて、そろそろ下り始めようか(笑)金丸座の観劇前にかなりハードな運動になった金刀比羅宮参拝でした。

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2013年4月 9日 (火)

こんぴら歌舞伎に行ってきました。

Rimg1524念願のこんぴら歌舞伎に行ってきました。7~8年前に琴平を訪れたときに金丸座の内部を見学し、ここで行われるお芝居をぜひ見たいものだとずっと思っていましたが、やはり遠いしチケットもとりにくいので、なかなか「よし、行こう!」と決断するまでにはなれませんでした。それが、今年は猿之助の襲名披露で大好きな澤瀉屋の方々が出演するので、いよいよ私にもこんぴら歌舞伎を見る機会が巡ってきたわけです(笑)

銀座には新しい歌舞伎座がオープンし、こけら落としの興行が賑々しく行われている真っ最中、現存する日本最古の芝居小屋でも年に一度の「こんぴら歌舞伎」。最新の劇場と最古の劇場で同時に歌舞伎が行われているって素晴らしいことですよね。

その初日の前日の「お練り」を見てきました。まあその前のごたごたを話せば長くなるのでほどほどにしますが、私はこのお練りをベストポジションで見学するため、午前中の早い時間の飛行機で出かける予定でした。しかし、解放感でぼ~っとしていたのか(爆)前に並んでいた人のちょっとしたトラブルで時間がかかり、保安検査場で私の番が回ってきたのが出発時間の15分前を過ぎてしまったところでした。え~!?飛行機に乗れないの?めちゃくちゃショック(バカです)次の便に振り替えてもらいましたが‥‥お練りの出発時間には間に合いそうにありません。

羽田空港で茫然としながら考えました。思えば今までどこへ行くにも家族連れ、子ども連れで、もしかして一人で飛行機に乗って出かけるのは20数年ぶり?‥‥旅行に行くにもダンナの実家に行くにも、いつも子どもがちょろちょろしないか監視していて、ボ~っとしたりする余裕は全くなかったのです。なので、一人の気安さから失敗してしまいました。まあこれも何かの縁と思って観念しましょうか。焦る気持ちを抑えて、屋上の展望デッキに出たり、空港内のお店を見て回ったりしてのんびり2時間過ごすことにしました。

そんなこんなはありましたが無事高松空港に着いて、そこからバスに乗り琴平へ。そのバスが、きょうは街中の混雑が予想されるので迂回しますというので、あ~到着が遅れるのかとあきらめモードだったのですが、街中に入ると、何とお練りに遭遇してバスは立ち往生。そこですかさず「すみません!ここで降ります!」といって降ろしてもらいました。

お練りはちょうど「金陵」を出発して街中の人込みを抜けたばかりのところ、そこへうまく行き当たることができたのです。澤瀉屋の方々は今回が初めてのこんぴら歌舞伎という方ばかりなので、その晴れ姿を何としても見たいと思っていましたが‥‥思わぬトラブルで一時はどうなるかと思ったけれど結局しっかり見れました。それもちょうど人の少なくなったいい場所で至近距離で見ることができたのです。もし予定通り早く行っていたら、多分一番混雑した中で身動きもできずに見ていたことでしょう。怪我の功名とはこのことです。日頃影ながら細々と彼らを応援している私を金毘羅様は見捨てなかったのね。ご利益ご利益

お練りは、賑やかな地元の方々の露払いのあと、最初が猿之助さん、それから秀太郎さん、愛之助さん、門之助さんの順で人力車が通りました。その次が右近さん、笑也さん、猿弥さん、竹三郎さんと続きます。そして最後にだんじり(舟型の車)に乗った笑三郎さん、春猿さん、月乃助さん、弘太郎さん、寿猿さん。皆さん笑顔で手を振っていました。

荷物をそこら辺に放り出して夢中で写真を撮っていましたが(写真は沿道のいろんな人が写り込んでいるのでここには出せず、すみません)通り過ぎてから荷物を持って追いかけ、途中に琴電の琴平駅があったのでそこのコインロッカーに荷物を放り込み、今度は裏道を先回りして商店街の手前のすいているところで待ち伏せし、ちゃっかり二回目のお練り見物(笑) 今度は写真ではなく、秀太郎さんや門之助さん、右近さん、笑也さん、竹三郎さんなどに握手してもらったりして、もうファンにはこたえられない楽しいお練りでした。

Rimg1537そのあとはすごい人込みの商店街を抜け、「金陵」の中庭に戻って皆さんのご挨拶、鏡開きなどがありました。皆さん本当に晴れ晴れとしたいいお顔をされていました。ご挨拶も楽しくて、右近さんが「歌舞伎座こけら落としの出演を断ってやってきました」と言うと、他の方々も同じように言って笑いをとっていました。そう、私だって歌舞伎座のこけら落としを見ないではるばると遠いこんぴらに来たんですよ~!いやあ、大好きな役者さんたちが笑顔で並んでいる姿はいいものですね。

後で聞いたのですが、今年のお練りは過去最高の人出だったそうです。またチケットも一般発売は1時間で完売だったとか。新年度、お天気も良く汗ばむような暖かい一日。猿之助一門の華やかないい門出となりました。Rimg1617_2

翌日は初日の舞台を昼夜で観劇。内容はまたあとで書こうと思いますが、日本最古の芝居小屋で見る歌舞伎は格別でした。

金丸座へ行く道には、東京では散ってしまった桜がまだ残っていて出迎えてくれました。前日とは一転して雨模様でしたが、しっとりとした雰囲気はまたよかったです。

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好きな役者さんたちの「まねき」が上がった芝居小屋。それを見上げるのはファンとしてもうれしい気分。狭い「ねずみ木戸」を腰をかがめて入るスタイルは、入ったとたんに別世界、江戸時代にタイムスリップするみたいでいいですねえ。

もともと琴平町の街中にあった旧金毘羅大芝居(金丸座)ですが、戦後は廃れてしまっていたところ、国の文化財に指定されて現在の場所に移築・復元されたのが1976年。そして現在のように年に一度の歌舞伎の興行が始まったのが1985年だそうです。それが今年で29回目。

Rimg1618劇場の内部は、7~8年前に家族で来た時に見学しました。そのときは花道も舞台も歩くことができ、裏側の楽屋、回り舞台の機構のある奈落も見ました。私も普段地元の地芝居のお手伝いをしたりしているので、そのときは上演するほうの立場で「素敵な舞台~」と思いましたが、今度はそこでお客さんとして大好きな澤瀉屋のお芝居を見るのです。

天井から下げられた、皆さんの紋どころ(おもだかばっかりですね・笑)を描いた提灯も誇らしげです。芝居の始まる前のこのワクワク感がたまりません。

しかし、席に着いたら途端に状況が‥‥せ、せまい!何これ?座布団一枚のスペースしかないじゃないですか。こんな狭い所に座るの?一マスに5人。回りの人を見るとさほど狭そうにも思えないのですが‥‥何と私と同じマスには既にでっかいオヤジが二人もどっか~んと胡坐をかいているではありませんか。そりゃあ小柄なご婦人だけ5人という席とは全然違うはずです。(オヤジ席とかオヤジ料金とか設けてほしいわ)そのお二人のおじさまは二組のご夫婦で、荷物もやたらたくさんお持ちで‥‥すごい窮屈な思いをしてしまいました。

毎年こんぴらに行っている友人に、マスの中は早いもの順だからできるだけ早く行ったほうがいいよと言われていたのです。それでも、一緒のマスの中なら後ろでも前でもいいやと思っていたのですが、そういうことじゃなかったみたい 少しでもスペースを確保しておけということだったんですね。参りました。

脚は伸ばせないし、狭いマス内は荷物でいっぱいで身動きもできません。辛かった~。でもそのつらさも忘れてしまうくらいお芝居もよかったんですけどね。午後の第二部は二階の最前列の椅子席でほっとしましたが、楽になればなったでやっぱり臨場感には欠けるなと思いました。あの狭い中でひしめき合って見るのもまた一興だったんですね。折しも日本列島を爆弾低気圧の通過するというこの日、初日のためか狭い中にも報道陣がいっぱい。そんな中での初めてのこんぴら歌舞伎見物でした。

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2013年4月 4日 (木)

名古屋市内、ちょこっと散歩(2日目その2)

Rimg1462御園座昼の部は意外に短かかったです。「小栗栖の長兵衛」に「黒塚」「楼門五三桐」と全部今まで見た演目だし、「五三桐」などは15分程度のものなのでちょっと物足りない気がしないでもありませんでした。で、夜の部との間がまた結構ある。時間どうしよう?その辺の喫茶店にいてもよかったけれど、やっぱりせっかくだから知らないところを歩いてみようじゃないかと‥‥それで疲れて夜の部の客席で爆睡してたらもともこもないけれど、大丈夫、私はめったなことで爆睡はしません(うそ?笑)

また行き当たりばったりに歩き始めようと外に出たら、道の向こう側に緑いっぱいの公園が見えます。よ~し、あそこに行こう! 

Rimg1465道を渡ると白川公園という大きな公園がありました。公園に入っていくと左側に突如現れた巨大ボール。そう、裏側の街中から見てギョッとした建築物はまさにこれでした。名古屋市科学館です。市立ですよ、すごいですね。1962年に開館し、2011年にリニューアルオープンしたそうです。プラネタリウムは世界最大ということなので、一度中に入って見てみたいな~。

公園の向こうには高速道路が見えます。地図を見るとその向こう側に大須という繁華街があるようです。何だか近そうじゃない?と思いつつ、もう足は道路を渡る歩道橋に向かっていました。で、道路のむこうは別世界でした。

Rimg1474大須観音というお寺がそれはそれは賑わっていました。この境内に「からくり人形時計」というのがあって、私が行った時にまさに始まろうとしていたところでした。一日数回、時間になると動き出すからくり人形時計は名古屋の名物で市内に何箇所かあるそうです。御園座の脇にもありましたが、二日間御園座に行きながらとうとうあそこから白波五人男が出てくるところを一度も見られませんでした。その時間を狙ってわざわざ行くのでなく、ちょうどその時間にぶつかるというのは相当の巡り合わせですよね。

大須観音の境内にあったのは「宗春爛満」というからくり人形時計でした。宗春というのは尾張徳川家七代藩主で、八代将軍吉宗と同時代人のようです。(年齢は一回りぐらい下)質素倹約を奨励した吉宗とは対照的に、遊郭や芝居小屋をつくり、祭などを盛んにして経済を活性化する政策をとったので、質素倹約で冷え切っていた当時の日本の中で名古屋が一番賑わった、そういう華やかな一時代を築いた藩主のようです。祭の山車も町同士で競い合ったので、複雑なからくり人形を乗せた山車が次々に登場し、職人の技術が花開いたといいます。時代劇では「暴れん坊将軍」がヒーローですが、名古屋では宗春さんこそヒーローなのかもしれません。

からくり人形時計「宗春爛満」は、最初に牛に乗ったド派手衣装の宗春が現れ、「浦島がよいか唐子がよいか申してみよ」というので、観客の中から「浦島!」という声が。すると玉手箱を持った浦島太郎が現れ、玉手箱を開けるとたちまち白髪のおじいさんになるという仕掛け。残念ながら写真はガラスが光を反射してしまって上手く撮れませんでした。そのあとなぜか花魁が出てきたり、最後は金の鯱鉾の付いた屋根がせりあがったり、かなりの大仕掛けでした。音楽まで付いてまるで大衆演劇のショーみたい(笑)5分ぐらいだったと思いますが、なかなか楽しかったです。

Rimg1476大洲観音を出るとそこはアーケードの商店街。東京で言えば浅草とアメ横と秋葉原が合体したような濃い賑やかさ。その場で買って食べられるいろんな食べ物やさんとか、派手なファッションの店とか、一つ一つ覗いていたらとても面白そうだったけれど、いかんせんあまり時間がありません。

商店街の一角にお寺を発見。織田信長の父・信秀が創建したという織田家の菩提寺の万松寺というお寺だそうですが、繁華街の中にある何だか不思議な空間でした。ほかにも町の真ん中にでっかい招き猫があったりしてびっくり。いやはや何でもありの面白い街ですねえ。

Rimg1457 上前津というところから地下鉄で2駅、5~6分でまた御園座のある伏見に戻ってきました。こちらが御園座横のからくり人形時計です。時間になると五つの隈取りのふたが開いて傘をさした「白波五人男」が出てくるそうですが、残念ながら見れませんでした。またいつか御園座がリニューアルオープンしたら行くので、そのときまで待っていてほしいです(笑)

そして御園座で二度目の夜の部を見て、新幹線で帰りました。名古屋駅までは地下鉄で1駅。御園座を出てから10分で着いてしまったので、それから50分ほど駅で時間をつぶすことになりました。名古屋市内は本当にアクセスがいいですね。観劇の合間だけでもこれだけ探検することができたので、今度また機会があればゆっくり歩いてみたいです。ほんの短時間でしたが楽しい「小さな旅」でした。

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2013年4月 3日 (水)

名古屋市内、ちょこっと散歩(2日目その1~猿之助への軌跡展)

御園座の歌舞伎を見に行った1泊2日の小旅行で歩いた名古屋市内の覚書です。Rimg1444

さすがに2日目は11時からの昼の部、16時からの夜の部を続けて見るし、夜の部終了後すぐに新幹線で帰らなければならないので、街歩きする時間なんてないでしょう‥‥と普通は思いますが、違ったんですねえ(笑) 名古屋というのは東京とは違ってつながった一つの街という感じ。地下鉄で1駅か2駅行っても、帰りは15分か20分で歩いて帰れます。なので、この日も朝地下鉄に乗って栄まで行きました。

栄の三越でこの期間「猿之助への軌跡展」というのをやっていたので、それを見に。しかし、いくら何でも10時の開店と同時に入り、40分ほど展示を見て、それからぎりぎり御園座昼の部に滑り込むなんて、我ながらすごいスケジュールでしたね(爆)Rimg1445

三越前で開店を待っていると‥‥そう、向かい側は中日劇場のある中日ビル。「新・水滸伝」に熱狂した懐かしい2年前がよみがえります。あのときはどうしてももう一度見たくて、とうとう前楽に日帰りでまた行ってしまった。。。あの頃の私のおもだかファミリー熱は、その後の一連の襲名劇や襲名披露興行を経ても変わることなく今に至っています。私は先代の育ててきたお弟子さんたちがみんな好き。ことしの夏にまた大阪で「新・水滸伝」が見られるのは本当にうれしいです。また「熱狂」します(笑)Photo

「猿之助への軌跡展」は、舞台写真の大型パネルや、本物の「ヤマトタケル」の衣装などが展示されていましたが、一番の目玉は「四の切」の稽古から本番までを収めたドキュメンタリーフィルムの上演だったでしょうか。残念ながら私は時間の関係で見ることができませんでした。それこそまさに「猿之助」になるためには避けて通れない「軌跡」だったことでしょうね。DVDにもなっているようなので、またそのうち見る機会はあるかな。

展示されている写真は、昨年の襲名披露の「ヤマトタケル」や「黒塚」「四の切」もあったけれど、亀治郎時代の明治座や浅草公会堂での写真もたくさんありました。そういえば「黒手組曲輪達引」や「敵討天下茶屋聚」「金幣猿島郡」など‥‥私は澤瀉ファン(自称)といっても弟子たちのファンだから気がつかなかったけれど(すみません)私の知らないところで(すみません)亀ちゃんはしっかりと「猿之助四十八撰」を継承していたのですねえ。もう何年も前から着々と

猿翁さんはやっぱり最初から甥に「猿之助」を継がせるつもりだったのでしょう。そのつもりで一度外に出して修業させ、地味に(?)家の芸を経験させてきた。また一方で右近さんをはじめとした弟子たちと、2系統を育てていた。いやはやすごい策士です。この二つの系統が今めでたく合体し、中車さん・團子ちゃんという最強の後継者まで加わった。そしてまた弟子たちには弟子たちで「新・水滸伝」などの新しいことをやらせ‥‥猿翁さんは病床でもずっと澤瀉屋の未来を見据えていらしたんですね。駆け足で新・猿之助の展示を巡りながら先代・猿之助の偉大さを改めて思ったことでした。Rimg1450

で、早くも時間です(笑)三越を出て広小路通りを足早に西へ。この途中でギョッとする光景が‥‥何これ?ビルの谷間に宇宙船が挟まってる??

あとでこの裏側に行ってみてわかったのですが、名古屋市科学館の建物でした。Rimg1447Rimg1453_2

それから、この通りはレトロビルの宝庫だったんですね。左が旧・貨幣資料館(三菱東京UFJ銀行)で、右が三井住友銀行名古屋支店。銀行らしく四角張っていかにも堅牢そうな建物ですねえ‥‥って、時間は大丈夫? 全然平気でしたよ。よほど急いで歩いたのか、意外に早く御園座に着きました。

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2013年4月 2日 (火)

名古屋市内、ちょこっと散歩(1日目)

3月、御園座観劇旅行で名古屋に一泊しました。そのときの「小さな旅」の記録です。Rimg1417

名古屋市内を歩くのは2度目で、前回は2年前。そのときは中日劇場周辺と名古屋城しか行きませんでした。名古屋城も拝観時間を過ぎてしまったので中には入れずに外から見ただけ。だから今回が初めての名古屋見物だったかもしれません。1泊2日で夜の部を2回、昼の部を1回見る間のわずかな時間での街歩き。(笑)それでも、そのちょこっとずつの時間を有意義に過ごすことができました。

出発点は御園座からそんなに遠くない「納屋橋」周辺。 別に調べて歩いているわけではないのです。行き当たりばったり。このときも名古屋に着いてまず御園座へ行き、夜の部のチケットを買ったあと、少し歩こうかなと思って歩きはじめたら、橋のたもとにレトロな建物を発見し、さらに素敵な川沿いの道を発見したので写真を撮っていると、景観保全に尽力しているという地元の方が声をかけてくださり、いろいろお話を伺い、それならばとこの堀川をさかのぼっていくことにした‥‥そういうなりゆきでした。

Rimg1411これがその建物。旧加藤商会ビルというそうです。今はタイ料理のレストランとギャラリーになっているようです。こういう街中にぼこっと現れる面白い建物が好き(笑)

3月下旬、東京ではばかに暖かく、桜が満開になっていましたが、名古屋はまだ肌寒い感じで桜も一分咲きぐらいでした。上の写真で満開になっているのはソメイヨシノではなかったみたいです。Rimg1413

何だかしゃれた道でしょう?この川は堀川といって、名古屋城築城の際に物資の運搬用に開かれた運河だそうです。街の中に川があるっていいですよね。この川をさかのぼること十数分で、もう名古屋駅前からくる道にぶつかりました。その周辺で遅めのランチ。最近知った名古屋の名物「あんかけスパ」を試してみました。。。何と言うか、具といっしょに炒めたスパゲティにとろみのあるソースをかけた広東麺とかあんかけ焼きそばみたいなもの。「みそかつ」同様めちゃくちゃ味が濃いけど、胡椒がきいていてなかなかおいしかったです。Rimg1420Rimg1421_2  

面白い街灯?があるのは桜橋。とっても風情のあるいい橋です。こんな写真を撮りながら、納屋橋で会ったおじさんに教えてもらった「四間道」(しけみち)を目指しました。 Rimg1422

名古屋は戦時中、空襲でほとんど焼け野原になったので、そのあと計画的に街をつくることができ、道路がやたら広いのだという話を聞いたことがあります。確かに道は広いです。メインストリートは三車線ぐらいあって、真ん中にグリーンベルトがあったりします。だから、信号が青でももたもたしていると真ん中に取り残される。昔聞いたジョークで、信号が変わって我先に飛び出す歩行者がいたら、それは大抵名古屋人だとか(爆)本当でしょうか?Rimg1424

そんな名古屋にあって、戦災を免れた古い街並みが残る場所がある、それが「四間道」ということでした。

私は古い街並みが好きでいろんなところを見ているけれど、ここは不思議なほど道路が広い。道を広くするのはもともとから名古屋の伝統だったのかな(笑)Rimg1427 Rimg1425

江戸時代初期にあった大火を教訓に、火災の際の延焼を防ぐため、堀川沿いの蔵と、反対側の商家との間の道を四間(7メートル)と定めたというのです。なので「四間道」。名古屋では数少ない、昔の城下町の雰囲気が残る場所なのだそうです。

下手に道が広いと車もスピードを出して通りそうですが、ここは段差のない歩道エリアを設けたりして車がスピードを出さないような工夫がされていて、歩行者にもやさしいまちづくりがされている気がします。右側の蔵の裏側に堀川が流れているというロケーション。つまり、蔵は堀川側が表でこちらは裏側なのだと思います。Rimg1428

反対側から見た街並み。ちょっと表通りに出ると広々とした道路に近代的ビルが立ち並んでいるのですが、ここはまるで時間が止まったよう。堀川もそうですが、都会の真ん中にこんな場所があるなんて、いいですねえ。Rimg1429_2 Rimg1430_2

全長500メートルぐらい、最後はアーケードのある商店街にいきつきます。

ここがまた昭和レトロな商店街(円頓寺商店街)でしたが‥‥あまりゆっくりしていたら御園座の夜の部が始まってしまいます。この辺で引き返すことにしました。 Rimg1432_2 Rimg1435_2

商店街の一角にこんぴらさんを発見。小さいお宮だけれど風情がありますね~。Rimg1437

こちらはその商店街の近くの五条橋です。このあたりは「清州越し」といって、名古屋城築城に伴い江戸時代初頭に清州(清須)からそっくり街ごと移ってきた場所なんだそうです。尾張の中心が清州から名古屋に移るとともに、家臣団だけでなく、城下の商人、町家などもそっくり引っ越しをした、それが「清州越し」。名古屋では老舗の伝統を表す言葉としても「清州越し」が使われるとか。この五条橋も清州の五条川にかけられていた橋をそのまま移築したという由緒ある橋(もちろん当時のものでなく掛け替えはしているけれど)でした。今まで知らなかった名古屋の歴史もちょこっとだけ聞きかじった、小さな旅でした。

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