博物館・美術館

2010年10月21日 (木)

「百段階段」の歌舞伎衣装展

「猿之助歌舞伎の魅力」展に行ってきました。題名はそうだけれど、目黒雅叙園の「百段階段」という長い階段でつながった豪華なお座敷群に、猿之助歌舞伎で使われる衣装の数々が展示されているという、そういう催しです。歌舞伎の衣装というのは、多分舞台のほかは見る機会もないものだと思います。このような催しも今までなかったらしく、ほとんどの衣装が舞台以外では初お目見えということでした。もちろん、猿之助一門のファンならば、あの時に見たあの衣装が間近で見られるということで、2倍にも3倍にも楽しめるに違いありません。

目黒雅叙園の「百段階段」は、東京都の有形文化財に指定されている昭和初期の建築物です。木造の階段の途中の踊り場から廊下が横に伸びていて、そこを曲がっていくと高さの違うそれぞれのお座敷に通じているのですが、外から見るとどんなふうになっているんでしょうね?多分、山の斜面のようなところに日本家屋が段々になって何棟か建っていて、それがまっすぐな「百段階段」によってつながっているんじゃないかと思うのですが、外からは眺められないので何とも言えません。

普段は非公開だそうですが、年に数回このような催し物をやっていて、その際に見ることができます。催しも、この衣装展の次は刈谷崎省吾さんの個展、その次は「坂本竜馬」展と、割と頻繁に行われているようです。とにかく行ってびっくり見てびっくり。戦前、昭和の‥それも今にも戦争に突入せんとする時代に咲いたあだ花のような、デコラティブでキッチュな世界。当時の一流の画家や工芸家の作品をちりばめ、これでもかとばかりに贅を尽くした装飾の数々。センスがどうとかいうものではありません。とにかく一度は見る価値があると思います。

とはいえ、目黒雅叙園といえば、目白の椿山荘と並ぶ有名な結婚式場ですが、私にはここで結婚式を挙げるような友人や親類はなく、行ったことがありませんでした。だからこの催しもただの展覧会と違って、何だかドレスコードでもありそうな感じで敷居が高かったんですよね。

先月末(今月初め)には、ここで澤潟屋の役者さんたちによるトークショーもあったのです。ただ、それがお食事付きでかなり高価。値段はともかく、お食事付きというのは、お連れ様がいればいいけれど、お一人様には酷だよね~ ‥‥どんなに豪華なお料理でも一人じゃ全くさまになりません。すごく行きたかったけれど、連れが見つからないため泣く泣く断念しました

実際に行ってみたら、新館というか、新しい高層ビルがドーンと建っていて、イメージと違って全く近代的なホテル&結婚式場でした。(もちろん服装も普通で大丈夫でしたよ。)ロビーに入るとそこには懐かしい「ヤマトタケル」の、踊り女に化けて熊襲を討ちに乗り込んでいくときの、あの真っ赤な衣装がお出迎え。もうこれだけで敷居の高さも何のその。その世界にすぅ~っと誘われた気がしました。

エレベータで会場へ。そのエレベータがまた、内部が螺鈿を施したピカピカ黒漆塗りで「昭和の竜宮城」へ誘うには十分すぎるものでした。さて「百段階段」に差し掛かると、何とも不思議な世界に迷い込んだかのようでした。ケヤキの階段には赤絨毯が敷かれ、天井には杉板に描かれたさまざまな日本画。そして、やはりその階段よりは、そこから入っていく一つ一つのお座敷が素晴らしい。

下から見ていくと、最初の間は猿之助に縁のある紋や文様をあしらった衣装が飾られていました。私が見たことがあったのは「四谷怪談忠臣蔵」の暁星五郎と、「伊達の十役」の荒獅子男之助。また、実際に見てはいないけれど「夏祭浪花鑑」の団七九郎兵衛の、役者の紋(澤潟)が大きく襟周りに描かれた「首抜き」の浴衣が目を引きました。

次の「漁樵の間」は一番豪華でゴテゴテしたお部屋。人物像が立体的に浮き彫りになった極色彩の柱がすごい 四方の欄間にも四季の花々と華麗な衣装の人々が描かれて、とんでもなくカラフル!このお部屋に飾られてもかすまないものといえばもうこれっきゃないでしょう!‥‥ということで、ここにはスーパー歌舞伎の「ヤマトタケル」の中の敵役の人々の衣装が展示されていました。そう、熊襲兄弟の超豪華な立体タコ、カニですよ!(重そう)それから伊吹山の山神夫婦の、あのいろんな柄の布が優勝旗みたいにビラビラついた衣装。思わず「ヒ・ヒ・ヒ・ヒ・ヒ~!」と高笑いしたくなりました。

次の間は、「南総里見八犬伝」の衣装が多く飾られていました。見たのはかなり前なので衣装までは覚えていなかったけれど、笑也さんが着た犬塚信乃の衣装もあって‥‥あ~もう一度見たいものです あと、「四谷怪談忠臣蔵」で、斧定九郎が女賊に化けたときの、猪と斧をあしらった粋な衣装は、あの衣装が気に入って春猿さんの舞台写真を買ったほどだったので見られてよかったです。

次は今までとはうって変わって、正面に三日月をいただいた渋~い「黒塚」の世界。先月見たばかりの「黒塚」の荒涼たるススキの丘が目に浮かぶようでした。その次の間は、どれも私は見たことがなかったと思われる、「日本振袖始」の岩長姫ほか女形の美しい衣装が並んでいました。そしてその上のお座敷には、見慣れた「吉野山」の狐忠信の源氏車をあしらった衣装もありました。印象的だったのは「浮世風呂」の「なめくじ」の、何と肩に立体的な大なめくじが貼り付いている不気味な衣装。こんなのがぬっと現われたらぎょっとするでしょうね。それが色っぽい女ならなおさら。

最上階の「頂上の間」には「猿之助歌舞伎の歩み」と題して上演年表や台本が展示されていました。こうやって見ると、私は猿之助の狐忠信の宙乗りを見た昔から、全く舞台というものを見ていなかった時期にも年に1度だけ見るのは決まって猿之助‥‥という感じで、年数がある分、その一部にせよ結構見たものもあるんだなあと思った次第です。それにしても、ここに名を連ねたスーパー歌舞伎10作品を、一昨年「ヤマトタケル」を見るまで一度も見ていなかったというのが何とも悔やまれます。どうか再演がありますようにと祈るばかり。

「猿之助歌舞伎の魅力」展は、意匠を凝らした歌舞伎装束だけでなく、猿之助のこれまで歩んできた道のりの偉大さが思われました。そして、目黒雅叙園の豪華絢爛な内装も見ることができてよかったです。いよいよ今週いっぱいです。

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2009年5月 8日 (金)

夜の博物館

前述の「ザハーロワのすべて」で上野に行ったついでに、3月末からやっている国立博物館の「阿修羅展」を見てきました。Photo

奈良興福寺の阿修羅像は、東大寺戒壇院の四天王像(特に広目天!)と並んで私の昔からのアイドル仏像だったのです。変な言い方かもしれませんが、まあ、好きなんです。(偶像のことをidolというんですよね )だからその阿修羅像が東京に来るならぜひ見に行かなくちゃ!という、まるで追っかけのような気持ちになりました。

さらに、開催前からの宣伝がすごく、「阿修羅ファンクラブ」会員特典付き前売り券というのも売り出され、それを買うと「阿修羅バッジ」なるものがもらえる?というので、思わず前売り券を買ってしまったのが、たぶんことしの2月頃。なのに、実際の展示は3月末から。ということですっかり忘れていました。もしかして、もう終わっちゃう?と思ったらまだ6月初めまであったんですね。ほっ。

でも、きっといつ行っても混んでいるだろうなあ~。ふと去年の「薬師寺展」で炎天下1時間以上並んだのが脳裏をよぎります。奈良に行けばいつでもすぐに見られるのに、何で好き好んで長時間並んでまで見なきゃいけないんだろう‥‥と、ついノリで前売り券などを買ってしまったのを後悔していました。

ところが、調べてみると、この「阿修羅展」、金・土・日・祝は夜8時まで開館しているというので、ちょうどいい。連休中の日曜日でしたが、バレエ公演の終わったあとに、一人国立博物館に向かいました。それが午後6時半過ぎ。上野公園はもう皆さん引き上げる時間で、駅に向かう人たちがぞろぞろと向こうから歩いてきます。その流れに逆らって行くのは私ぐらい。都会のど真ん中だけど、帰る頃にはきっとここは真っ暗だろうな~。ちょっと心細くなりました。

行ってみると、待ち時間など全くなくすっと入れました。中に入ると思いのほかたくさんの人でにぎわっています。それでも展示物が見られないほどではなく、一つ一つの展示物をすぐに、しかも自分のペースで好きなだけ見ることができました。携帯で会場の混雑状況がわかるサービスがあるのですが、それによるともう開館直後から1時間待ちで、どちらかというと午前中の方が混んでいるんですね。よく、もっと早く来ればよかったと思ったりしましたが、みんな同じことを考えているので、開館前から並ぶ以外はいくら早くても同じだったんですね。それより午後4時過ぎから閉館時間までというのが狙い目の時間だったなんて意外でした。

今回の阿修羅展は、興福寺の中金堂再建事業の一環として企画されたそうです。興福寺に行くと、よく覚えていないけれど、猿沢池から五重塔に登って行ったところにがらんとした広場があったような気がします。その右奥に国宝館というのがあり、阿修羅像をはじめ、今回展示されている八部衆・十大弟子は、普段はここに展示されているのですよね。その国宝館の隣に江戸時代に再建された中金堂というのがあったのですが、老朽化が激しくなったため、昭和50年に裏手の講堂跡に仮金堂を建てて、中の仏像をそこに移したとのことです。現在はその江戸時代の中金堂を解体したところで、来年2010年が興福寺創建1300年に当たるため、そこに創建当初のような本格的な中金堂を建設する予定だそうです。

展示品の最初のほうはこの中金堂のあとから発掘されたものや、明治以来、祭壇の下から出土した「鎮壇具」と呼ばれるものでした。鎮壇具とは創建当初、建物を守るための地鎮の意味で埋められた品物のことで、水晶やヒスイ、ガラスの珠や、金銀の碗、鏡などがありました。どうせ埋められて誰の目にもとまらないものなのに、銀碗の裏には精緻な文様が施されていて、それを1300年の時を超えて今見ることができるなんて、まるでタイムカプセルみたいですね。

それから、次は八部衆と十大弟子のコーナー。何でも現存する十大弟子6体と八部衆8体の計14体が、興福寺の外でいっぺんに展示されるのはこれが初めてのことだそうです。残念ながらそのうちの3体は4月半ばにお帰りになったそうで、今は11体が展示されています。

八部衆はもともとインドの神々で、鳥や動物のかぶりものをかぶっていたり、鎧で武装していたり、はたまた阿修羅のように三面六臂の異形の姿で表わされています。脱乾漆づくりという技法で、生き生きとした姿、表情が表現されています。中でも沙羯羅(さから)という、頭に蛇を乗っけた少年(というより幼児の顔だよね)像が印象に残りました。一見微笑んでいるようだけれど、目はうるうるしていて今にも泣きだしそう。そんな幼い顔なのに、何で頭にヘビ!?それでいてプロポーションは見事な八等身なんです。そのアンバランスさにひきつけられました。それから、頭部しか残っていない五部浄(ごぶじょう)も、少年のようなふっくらした顔でいて、眉を寄せた悲しそうな顔。頭には象のかぶりものを乗っけてるの。何で~?

そんな変化に富んだ八部衆に対し、十大弟子は静かなたたずまいで、薄い衣をまとったあっさりとした姿です。若い弟子から、壮年、老年までいろんな年代が表現されていますが、どれもみなスリムで小顔のすっきりしたいでたちです。八等身というより10等身ぐらいあるんじゃないの?

その展示室の角を曲がると、いよいよ阿修羅像と対面です。上から見る阿修羅像は何か静謐な宇宙の中に浮かんでいるよう。普段ガラスのケースに入れられているのとは全然違う趣でした。ほんとに、ここでいつまでもいつまでも見つめていたい~。多分昼間だったらここは押すな押すなの状態でしょうね。それが、夜は最前列で見られるんですよ

下に降りて行くと、さすがに阿修羅像のまわりは人だかりになっていました。それでも動けないほどではなく、自由に左右背面360度ぐるっと回って見ることができました。普段は正面の顔はちゃんと見られるけれど、左右の顔は横顔しか見られませんよね。それがこの左右の顔も正面から、また反対側からしっかり見ることができました。

これがまたびっくり。横の顔は完全な左右対称ではなくて少し歪んでいるのか、正面から見た横顔と、反対側から見た横顔が全く違うので驚きました。向って左側の顔は、正面(左側)から見ると、きかん坊のように口をきゅっと結び、悔しがっているような顔。また右側の顔は右正面から見ると、ふっくらしているけど大人っぽい顔に見えます。ところが、背面から横顔を見ると、正面から見て左側のほうはちょっと怖いような怒った顔。そして右側の顔は、これがきりっとしていて超美形

この変化が信じられなくて、何度も前に行ったり後ろに行ったりして見て、阿修羅像のまわりをぐるぐる回ってしまいました。これも昼間だったら多分できませんよね。とても面白かったです。もちろん、正面の顔はどこから見ても永遠の美少年‥‥ですね。軽く眉を寄せ愁いを帯びた表情は見るごとに何かを、自分の心に問いただされているような気がします。

第2会場ではもともと中金堂にあって、昭和50年から現在まで仮金堂に安置されている仏像たちが展示されています。八部衆と十大弟子は天平時代のものでしたが、こちらは鎌倉時代の仏像たちでした。まず運慶の父康慶の作という四天王像。光背のかわりに丸い火炎を背負って、邪鬼を踏みつけた力強い姿です。正面奥には大きな薬王菩薩と薬上菩薩立像。そして、現在は頭部しか残っていない運慶作という釈迦如来像と、その光背にあった飛天や化仏などが展示されていました。これらの仏像が、来年新たに建設が始まる平成の中金堂に収められるのでしょうね。

博物館の夜間の時間延長は、すいていてゆっくり見られるのはいいのだけれど、閉館時間が迫っているというのが唯一のマイナス点ですね 7時前くらいからたっぷり1時間(込んでいる中での1時間はあまり見られなくてあっという間ですが)見て、外に出ると、もう売店などを見る時間は残っていませんでした。いろいろと面白そうな阿修羅グッズを売っていたのに、それだけがちょっと残念。でも、「阿修羅ファンクラブ」会員特典の「阿修羅バッジ」をもらったのでまあいいか~。

このバッジを付けている人同士声を掛け合えば、初対面でも阿修羅の話ができるんですって‥‥‥!?街で「あ、阿修羅展に行きましたか?私も行きましたよ」ってお話するんでしょうか。ちょっと引きますけどね でも、金土日祝の夜8時までの開館はとてもよかったのでおすすめします。(6時閉館の平日でも4時過ぎはすいているそうです。)知らなかったけれど、夜の博物館もまたいいものですよ。 

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2008年6月16日 (月)

ルドゥーテの薔薇

Img 先月、「草ぶえの丘バラ園」に行ったとき、そこの「バラ文化研究所」に、この「薔薇空間」のチラシが置いてありました。あの遠い超・田舎と渋谷がどうしても結びつかないんだけど、チラシを見るともう昨日が最終日だったので、Bunkamuraへこの「薔薇空間」を見に行きました。

渋谷はコールプの「ドン・キホーテ」に行って以来でした。ほんと、バレエでもなければ行かなくなってしまいました。覚悟して行ったけれど、久々の日曜日の昼間の渋谷はなぜかスイスイ歩けて拍子抜け。昔は日曜の昼間なんて、人がいっぱいでなかなか前へ進めなくて、駅から東急ハンズまで行くのに30分かかったなんていう“記録”もあるのに‥‥相変わらず人が多いことは多いのですが、昔のようなすごさはありませんでした。時代が変わって、人が夜型へ移行しているのでしょうか?Bara_006

Bunkamuraの、いつもオーチャードホールのラウンジから見下ろしている吹き抜けの一番下にオープンテラスがあり、そこには素敵なバラの鉢植えがたくさん並んでいて、すでに「薔薇空間」の雰囲気をかもし出していました。ここで優雅にお茶でも飲みたいな~と思ったけれど、次に行くところもあるのでガマン。

会場に入ると、ルドゥーテの描いた「バラ図譜」の全作品が展示されていて、その数が半端じゃない!まずそれに驚きました。花だけではなく、茎、棘、葉の様子など、細部まで特徴が描かれた、いわゆる「図鑑の絵」なのですが、それがまた何とも雰囲気があって素敵なのです。花が終わって花がらが摘まれたその切り口とか、破れた葉っぱとか、散りかけの花とか、そんなものも写実的に描かれています。花も微妙な色合いで花びらの薄さ、量感などを表していたり、線の強さで茎の硬さ、柔らかさがわかります。

ルドゥーテはフランス革命の前後にフランスで活躍した宮廷画家。マリー・アントワネットやナポレオン妃ジョセフィーヌに仕え、晩年、ジョセフィーヌが大金を投じて世界中から集めさせたバラのコレクションを、この「バラ図譜」に描き上げました。

品種もガリカ系、ダマスク系、アルバ系などの古い品種から、アジアやヨーロッパの原種まで盛りだくさん。でも、いわゆるオールド・ローズかと思ったら、意外にもそうではなかったのです。当時のバラは自然交配でできた品種で、人工交配でさまざまな色や形を作り上げるのは、ジョセフィーヌから始まってあとの時代のことだったのです。そういう意味ではジョセフィーヌの功績は偉大だった。ただの金にあかしたバラ愛好家のマダムではなかったのですね。

今では残ってないものもあるでしょうが、その中の多くは例の千葉の「草ぶえの丘バラ園」にあったようなバラだと思います。現在よく知られているマダム・アルディーとか、ジャック・カルティエといったオールドローズというのは、それよりも新しい時代だったようで、この中には入っていません。そう考えると、さぞやと思ったマルメゾン宮殿のバラ園も、現代のバラ園に比べると「草ぶえの丘」よりまだ地味な感じ?だったのかもしれません。現代バラの持つ大輪の花、花数の多さ、四季咲き性、色の多彩さ、強くはっきりとした色合いなどは、ルドゥーテがバラを描いていた当時はなく、それから200年足らずの間に急速につくられていったものだったのです。

それにしてもこの優雅さは、現代のカラフルなバラ園より格段上だったのではないでしょうか。古代より薬用として、香料として珍重されてきたバラたち。白とピンクとの濃淡で表されるグラデーションの美しさは、たとえ現代のバラより小輪であったとしても、淡い色合いであったとしても、それに勝る豊かな香気を放っていたことでしょう。

この「薔薇空間」の展示も、ただ図鑑の絵が並んでいるだけなのに、枝や花びらの柔らかさ、野生的な棘の質感、うつむき加減に咲く重たげな花の雰囲気や、その香りまで伝わってくるような、この広がりは何なんでしょうね。

ほかにイギリス人と日本人の絵もあったけれど、ルドゥーテの絵が思いのほかたくさんあったので、もうじっくり見る気力がなくなっていました。アルフレッド・パーソンズの「バラ属」の中の幾つかの原画を見ると、さすがにイギリス人らしく、雰囲気など関係なくひたすらマニアックに細部を描き込んでいて、さすがだな~(?)と感心してしまった。鈴木省三氏が解説を書いている「ばら花譜」の、バラを描いた二口善雄氏の水彩画は、さらに詳しく表現するために鉛筆書きで、色や特徴など細かい書き込み(多分編者からの注文?)がされているものもありました。こちらは西洋の花を描いていても何となく和風の趣があるのが面白かったです。Bara_007

ショップではバラをあしらったオリジナルグッズがたくさんあって、とてもかわいくて心引かれたけれど、1点1点じっくり見ていられないほど人だかりで、時間もなかったので外へ出ました。

外は先ほどのバラのテラス。ここにある鉢植えは(品種名が書いてなくて残念)多分ルドゥーテの時代にはなかったものばかりだと思うけれど、絵の雰囲気に近いものを並べていて、とても素敵でした。これを見たらまた一方で、何(絵や商品)にしても、本物の花に勝るものはないかな~?とも思ったりもしました。

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2008年6月 9日 (月)

「薬師寺展」すべりこみセーフ!

Imgp5730 3月末から始まった、国立博物館の「国宝・薬師寺展」が昨日で終わりました。終わる前にやっぱり見ておきたくて、一昨日の土曜日に行ってきました。国宝の日光・月光菩薩の普段見られない後ろ姿まで見られるということで、話題になっていた展示です。8日までなのを忘れていて、ほかに行くつもりで家を出たのだけれど、途中で思い出し、上野に向かいました。

記事のカテゴリはどうしようかな?と思ってふと見ると、今まで私は3年ほどこのブログをやっているのに、博物館や美術館、または展覧会のことを記事にしたことはほとんどなかったのですね。というかしばらく行ってもいなかった。かなり淋しいです~  今までいかに舞台方面にばかり偏っていたかですね~Imgp5739

薬師寺は、はるか昔の中学の修学旅行で行きました。そのあとには多分一度くらいしか行っていません。当時はまだ西塔がなく、西塔の礎石に雨水がたまったところに東塔が逆さに写っている写真を、ガイドブックなどではよく見かけました。東塔は、一見六重の塔?に見えるけど、各層の間に裳階(もこし)という小さい屋根がついた三重の塔で、その優美さは「凍れる音楽」などといわれていて、創建当時から残る唯一の建物だということでした。

当時の修学旅行は、今のような移動学習的な要素はなかったと思うので、ほとんど事前学習のようなことはしていなかったように思います。「日光・月光菩薩」という言葉も、多分現地でガイドさんか誰かに聞いたのが初めて。あのときは「にっこう」といえば栃木県の日光、「がっこう」と聞いたら「学校」としかイメージがわかず、「月光」という漢字を見れば「月光仮面」を思い出すぐらいのものでした。それでも古く暗いお堂の中で初めて見た国宝の仏さまたちは、とても大きく堂々としていながら、直立不動の仏像のイメージとはかけ離れて、まるで今にも動き出しそうなほど生き生きとした躍動感が感じられたのを覚えています。

次に訪れたときには金堂が再建されていて、新築の朱塗りの建物がいかにも場所にそぐわずキンキラキンで、かなりショックを受けてしまいました。それでも奈良時代の創建当初は当然こんなふうにきらびやかなものだったはずで、最初から古くてしぶいお堂だったわけではないという説明を聞いて、そんなものかと思ったものです。そのときは中の仏さまたちも古びて黒ずんで見えてしまって、それきり私は行っていませんでした。それから西塔も再建され、さらにピカピカになっていったでしょうね。ちょっと趣味?とはかけ離れてしまった薬師寺‥‥だったのです。

5年ほど前に法隆寺に行ったとき、バスの中から東塔と西塔が見えました。二つの塔が揃った外観はかなり壮麗で、田舎道に忽然と現れた異空間でした。後ろ側の唐招提寺は解体・修理中で、巨大な覆いがかけられて、もっと異様な風景でしたけどね。唐招提寺は今もまだ修理中なのですよね。

唐招提寺といえば、数年前に鑑真和上の像が、やはり国立博物館で公開されました。鑑真像は唐招提寺でも年に一度しか公開されないものなので、もちろん見るのはそのときが初めて。千年の時の流れを過ごしてきた小さな木像を目の前にしたとき、本当に不思議な感動がありました。芭蕉翁が旅の途中で開山忌に出会い「若葉して 御目のしずく ぬぐわばや」と詠んだ感動も、何百年の時を経てすごく共感できるものでした。博物館で、こういう体験ができるのはありがたいです。‥‥あれ~最初からとても脱線してしまいましたね。 Imgp5731

国立博物館の平成館はものすごい人でした。いきなり「90分待ち」と言われ、どうしようかと思ったけれど、せっかく上野まで来たのに見ないで帰るわけにはいきません。覚悟を決めて並びました。ちょうど梅雨の晴れ間の薄曇りの中、ときおりカーッと強い日差しも照りつけ、暑い!並んでいる人たちに日傘の貸し出しもありました。「あと10メートルで給水所があります」と案内の人が言っています。マラソンランナーにでもなった気分。文庫本を持って来ていてよかった。ディズニーランドでも90分は待ったことがないな、と思いながら、何となく列は進み、結局予定より早く1時間10分ほどで中に入ることができました。Imgp5732

入ってもほっとするわけにはいきませんでした。入った後もすごい人で、とても一つ一つの展示を丁寧に見るどころではありません。瓦とか、経典とか、薬師寺の鎮守、休ヶ岡八幡宮の壁画などが展示されていましたが、もう疲れるので適当にパス。ただ、休ヶ岡八幡宮の「国宝三神坐像」はしっかり見ました。意外に小さくてかわいい彩色木像。その中の神功皇后像は何だかスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の倭姫様(笑三郎さん)にそっくりで、笑ってしまいました。(また脱線!)

あと、見るべきものは「国宝聖観音菩薩立像」。こちらも薬師寺に安置されているときは厨子の中か何かで、後ろ姿などは見られないと思います。正面から見るとほっそりとして華奢な姿なのですが、横から見るととても分厚い!実際の人間の倍ぐらいありそうです。法隆寺の「百済観音」などはとても薄いので、この分厚さは何なんだ~?とちょっと驚きました。白鳳仏独特の豊満さ?まあ、どうでもいいですけど。正面から見るのと違って意外な表情を見せてくれるものだと、まずここで驚きました。日光・月光菩薩が楽しみ。

スロープを上がっていくと、3メートル以上ある日光・月光菩薩の全体を上から見られるような場所が設けられています。ひゃ~。お寺ではこんな目線、絶対にありえませんよね。これだけでも来てよかった。何だか思わず手を合わせたくなるような、言い知れぬ神々しさ。不思議にも、薬師寺のお堂の中で金色の光背を背に立たれた姿は、とても躍動感があるように思ったのですが、こうやってバックに何もないところを上から見ると、モノトーンのひたすら静謐な世界を感じます。もとは銅に金箔がはられ、金色に輝く姿だったそうですが、幾多の年月や災害をのりこえ、金箔が落ち、黒光りしたこの姿こそ、本来の精神性を伝えているような気がします。

この場所はとてもいいのだけれど、前のかぶりつきの人がなかなか移動してくれないので、あきらめて下へ行きました。上から見ると首や腕の太さの割りにウエストが細くて、線も丸みを帯びて優美な感じがするのですが、下から見上げた姿は力強く、かなりの量感がありました。お寺に安置されているときはこんなに近づけないでしょうから、本当に貴重な体験です。日光菩薩と月光菩薩、腰のひねり方や体重の乗せ方で左右対称のような感じがしていましたが、細かいところを見ると日光菩薩のほうが豊満で、月光菩薩はすっきりしている気がします。

話題の背中のラインも、仏様というより、血の通った人間の暖かさが感じられました。これが金色の光背で隠されていた部分。隠れて、多分絶対見られることがないだろうという部分にも一切手を抜いていない、当時の仏師たちの祈りにも似た心に感じ入りました。それより何より、こんな博物館のようなところに、光背も外され裸同然にありながら、この二つの仏像の持つすごいパワーは何なのでしょう。千年以上も人々の信仰を集め、願い、崇められてきたその思いのかたまり、とでもいうのかな。

いつも公演などを見に行くときは記念にプログラムを買うことにしているのですが、この展示の図録というのはとても分厚い写真集のようで、値段も高くてとにかく重い!のであきらめました。あんなに立派でなくても、もう少し薄く、歌舞伎の筋書きぐらいの大きさにしてくれればいいのに‥‥。そういうところには多分書いてあったと思うのですが、なぜこの二つの国宝の仏像が初めて寺の外に出張することになったのか。入り口の「ごあいさつ」には、今のこの時代の人々の精神のよりどころのなさ、こんな時代だからこそ、この展示で多くの人々の心を癒すことができたらと、そんなことが書かれていたように思います。

平城遷都1300年記念とありましたが、本当に1300年たって、人々は食糧や病気の不安、そういうものからは比べ物にならないほど解き放たれてきたように思いますが、心の豊かさは1300年前の人々に及ばない。毎日ぞっとするような事件が身近に起きている現実。この世を救う宿願をたてた菩薩たちは、まだまだいっぱい仕事があって大忙しなのかもしれません。しばし二つの国宝の仏像を前に、そのパワーを感じていました。

ほかには仏足石とか、塔の水煙の模型、国宝の慈恩大師像とか吉祥天像(絵画)などがありましたが、人だかりでもう疲れてしまってよく見ませんでした。ただ、塔の中につくられていた釈迦の生涯のジオラマ?(法隆寺にあるような)の塑像の出土品がたくさん展示されていて、それが地味だけど意外に面白かったです。木製の簡単な人型の上に粘土で肉付けをして、さまざまな人形を作っているのですが、わずかに残っている塑像の断片の、その表現の豊かなこと。高さ30センチほどの人形に、当時の人々の生き生きした表情が見て取れ、とても興味深いものでした。

もう昨日で終わってしまいましたが、その間薬師寺では本尊の薬師如来が一人でお留守番だったのでしょうか。明日から娘が修学旅行で奈良・京都に行くのですが、薬師寺に行くグループもあったようです。多分日光・月光菩薩がご本家でまた見られるのは、もう少し先になるでしょうね。本家を留守にしても東京での公開に踏み切った薬師寺と、国立博物館、そしてそれに携わった多くの方々に感謝の催しでした。

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2007年1月 5日 (金)

上野で「ミイラ」見てきました。

お正月は、1日に子供と自転車で近所へ初詣に行っただけで、3日まで実家以外はどこにも行きませんでした。近くの大型ショッピングセンターも、車が混んで大変だし、昔は並んで福袋を買ったりしたけど、今の福袋はもう中身が全部わかっているのでつまらないですよね。「福袋」じゃなくて単なる「セット販売」じゃないですか。

子供の宿題もたくさんあって、下の子は書初め、上の子は新聞記事を切り抜いてレポート、そのほかにもいろいろあります。短い冬休みにこんなにたくさんできないというほど。帰省や旅行なんかしてたら宿題こなせません。

といいつつ、昨日は国立科学博物館に「ミイラと古代エジプト展」を見に行きました。2年前ぐらいにルーブル美術館所蔵のエジプト展というのが来ましたが、そのときはエジプトの美術品が中心だったようですが(行ったけど余りに混んでいて気持ち悪くなってよく見れなかった)、今回は「ミイラ」が主役です。

大英博物館の所蔵品の中でも、特に保存状態のいいミイラ、神官だった人のミイラですが、その3000年も前の人のCTスキャン映像や、CGで再現した生前の顔などを3D映像で見せるのが新しい試みです。それを見てから展示品を見るので、土日や祝日に行く人は、あらかじめインターネットで前売り(2日前まで買えます)を買って行った方がいいと思います。そこがほかの展覧会と違うところかな。

でも、数年前の恐竜展もそうだったけどこの科学博物館、訪れる人の数に比べてイベントのスペースがすごく狭いんですよ。もっとも今回はそのミイラの棺以外は特に大きなものはなく、小さなものばかりだったのですが、それだからなおさら小さいスペースに集中していて、3Dシアターから出てきた人がどっと出て行くと、すごい混雑になってしまう。行ったからにはじっくり見たいけど、じっくり見たい人は動いてくれないので全然すすまないのです。もう少し広いスペースをとって、並んでいるときに説明文を読めるようにしてくれるとか、順路の工夫などをしてほしいと思いました。

展示品では神像もよかったけど、今回はアクセサリー類が素敵でした。新品のようにきれいで、デザインもとても何千年も前のものとは思えない。見ている人で「わア~これほしい!」と言っていた人もいました。遺跡から発掘されたんじゃなくて、ミイラが実際に包帯の下に身につけていたものだから保存状態がいいし、単なる装飾品ではなくて再生を願う護身的な意味もあるものなので、デザインも斬新なんだと思います。

それにしても、すごい手間隙をかけてミイラをつくり、副葬品も整えて丁重に葬られた人をこうやって見世物にして、こちらも興味本位で見に行って、いくら何千年も前の人でも罰当たりじゃないかなと、後で手を合わせました。18世紀、19世紀に、フランスやイギリスなどの列強が、お金と権力で奪ってきた財宝。中でもミイラは棺を開けて包帯を解くショーなども行われたそうです。今回の3D映画の中にもチラッと出ましたが、パーティー会場のようなところで、正装した人たちがワインを飲みながら、テーブルの上で行われている解体を(マグロの解体じゃあるまいし)笑いながら眺めている映像がありました。のこぎりなどを使って、バリバリと荒っぽく包帯を解いているのを見てぞっとしました。この展示品のアクセサリーもそういうときに包帯の下から現れて、観客をわかせたものなのでしょう。もちろんミイラの包帯は、一回解いてしまうと元には戻せません。ミイラも空気に触れると変質してしまうでしょう。略奪というか、犯罪に近いものだったのではと思います。

そういった教訓もあって、この神官のミイラは包帯を解かずにというか、内側のカルトナージュ棺というのも開けずに、CTスキャンという方法でいろいろな側面を見せてくれました。包帯の下にはやはりいろいろな護符としてのアクセサリーを身につけているようですし、40代の相当地位のある神官ということもわかります。でもそれ以外に、彼が虫歯から来る膿瘍に苦しんでいたこと、背骨のゆがみや大腿骨の変形から、歩行が多少困難だっただろうことなどもわかりました。中でもミイラ製造の過程で、樹脂を受ける皿を取り忘れて頭にくっついたまま包帯を巻かれてしまっていたこともわかり、すごく面白かったです。ミイラ職人は「あ~ヤバイ、取れなくなっちゃった!」とあせったけど、「包帯巻いちゃえばわからないや」と思って、急いで包帯を巻いたんでしょう。こんな何千年もたってそれがばれるなんて、夢にも思わなかったでしょうね。

それ以外では、大理石で作られていて、ふたに動物の頭の付いた壷が目にとまりました。ミイラづくりは腐りやすい内臓を取り出すことから始まります。鼻の穴から脳をかき出し、わき腹を少し切ってそこから心臓以外の内臓を取り出します。心臓は魂の宿る場所として残されます。(干からびてCTに写っていました)取り出した臓器は肺、肝臓、胃、腸と分けて、その4つの壷に入れられるのです。その展示の前で、隣にいた人が連れと話しているのを聞いたら、「胃と腸は一緒でもいいよね~」「腎臓はないと困るよ、脾臓もあった方がいいよね」‥‥‥。いったい何の会話?その前に脳がかき出されちゃってるんだから、今で言えば脳がないともう終わりじゃん、なんて会話に参加しそうになりました。どういう人たちだったんでしょうね。

そんなわけで展示品もとても興味深いものでした。おみやげ類もたくさんあって、ミイラのフィギュア、棺型のペンケース(誰が使うの?)、ロゼッタストーン型のマウスパッド、など面白いものがありました。ただ、子供は飽きますね。子供は常設展の方が面白いでしょう。新館も新しい展示室が増え、旧館にあった旧人の人骨なども移動してきました。旧館は「日本館」と名前を変えて今年の春頃にオープンするそうです。国立科学博物館の常設展は小中高校生まで無料です。こんなに子供が興味をもって見るところはないし、ただでいい勉強になるのだから連れて行かない手はないと思い、年に1度は行っています。ディズニーランドに行くより数倍おすすめですよ。ただ、レストランはいまいちだったかな。ファミレスよりも輪をかけてお子様向けの内容ですから。

ほかに、上野では国立博物館もおすすめ。こちらは確か常設展だけでなく、平成館でやる特別展も中学生まで無料です。常設展も本館は季節ごとに変わるけど、東洋館なども面白いし、法隆寺の48体仏はいつでも見られて、日本の彫刻史を知るには必見です。こちらは科学博物館と違い子供はそんなに喜びませんが、ただでこんなすごいものが見られるのだからと、やっぱり年に一回は行きます。でもそんなに歩いてないのに博物館というのはいつも足が疲れますね。どうしてなんでしょうか。

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