こんぴら歌舞伎初日
前日の「お練り」見学に続いて、こんぴら歌舞伎の初日の舞台を昼夜で楽しみました。
最近では初日に観劇するなんてあまりなくて久しぶりだったのですが、やはり初日の緊張感はいいですね。特に、私にとっても初めてのこんぴら歌舞伎。当日は大荒れの天気予報ながら、琴平は曇り空に小雨が時折という感じで風もなく比較的おだやかな朝でした。
10時開場ということだったので、本当はその前から並んでいたほうがよかったのかもしれませんが、せっかく来たので朝から本宮まで登ってお参り。その帰りに、途中にあったお洒落なカフェで遅めの朝ごはん。かなりのんびりしてしまいました。
石段を下っていくと偶然にも、毎年こんぴら歌舞伎に来ている人で、この日は夜の部から見ると聞いていた友人にバッタリ。今到着したばかりでこれから奥の院まで行くとのことでした。もう開場している時間なのにのんびり歩いていた私を見て怪訝そうな顔。マス席の中は早いもの順だから早くから並んで場所を確保したほうがいいよというアドバイスをせっかくもらっていたのに‥‥ごめんなさ~い!
金丸座に行くとまだ長蛇の列。その最後に並んで中に入りました。前述の通り、一枠5人はかなり狭くてびっくりしましたが、脚のやり場に困りながらもお芝居はとても楽しめました。
昼の部
「鳥辺山心中」
タイトルに「心中」と付くと近松の心中ものを思い浮かべますが、こちらは大正4年に初演された岡本綺堂作の新歌舞伎。義太夫が付いて所作をする場面など古典的な趣もありますが、古典と違って「家」や「忠義」にがんじがらめになるようなことはなく、「純愛」を描いているところが新歌舞伎らしいところです。
ときは江戸時代初期の寛永年間。将軍家光とともに上洛した旗本の半九郎(愛之助)は、祇園の遊郭でその日初めて廓に出たばかりのお染(春猿)と出会って一目惚れ。以来逢瀬を重ねてきたのですが、将軍が江戸へ戻ることに決まり、半九郎も京を去らなければならなくなります。このまま京を去れば、お染は今度こそ本当に遊女になってしまう。家宝の刀を手放してもお染を自由にしてやりたいと思う半九郎でしたが‥‥。
ふとしたことで同僚の弟の源三郎(猿弥)と口論になった挙句、鴨川の河原で決闘となり、ついには源三郎を斬ってしまったのでした。そこへ駆けつけたお染。切腹するか、源三郎の兄に討たれるしかないという半九郎に、それなら自分も一緒に死ぬと告げ、二人で正月用に誂えた晴れ着を着て、鳥辺山へと向かって行くのでした。
という、あらすじだけだと非常に単純な物語なのだけれど、お芝居はこれだけではありません。最初に二人の晴れ着を持ってやってくるお染の父の与兵衛を寿猿さんが好演していました。親のために遊里に出されてしまった娘だけれど、幸いにもお客とはいえ相思相愛の人に巡り合い、おそろいの晴れ着も用意することができた。そんな娘の幸せそうな顔を見て心から喜ぶ姿。いいなあ寿猿さん。遊女ではあるけれど、清らかな娘心を残した春猿さんの美しさ。そして終始酔っ払ってる感じだったけど、愛之助さんの若々しいかっこよさ。
彼の純粋さに対比させるように、世慣れた遊び人の右近さんと、無粋で血気盛んな猿弥さんの兄弟。またウブな春猿さんに対して先輩遊女の笑三郎さんの老成した雰囲気など、脇役まで適材適所の澤瀉屋ならではでうれしくなってしまいます。
家宝の刀も惜しくない、ただ京の鶯を自由にしてやりたいだけ。一見いい加減な男のように思えるけど、半九郎のこの思いは、たとえ身請けしても江戸に連れ帰って奥方にすることなんかできっこない時代、お染に対する精いっぱいの「純愛」だったと思うのです。それを痛いほどわかっているお染。ならば私も一緒に死にましょうというのは当然だったかもしれない。でも、お父さんのことを考えなかったのかなあ。二人にとってはそれがすべてだけれど、観客には最初のうれしそうなお父さんの姿が印象的に残っているから、お父さんのことまで考えちゃって涙・涙の道行ですよね。四国の田舎町の小屋全体が、完全に鳥辺野を望む京都の鴨川のほとりになっていました。
美男美女の道行は美しいですねえ~ でもこんなにビジュアルがよすぎると歌舞伎というより(春猿さんは今や新派の花形だし、ラブリンは商業演劇にも出るスターだし)どこか大衆演劇っぽくて、私にはそこがかえってツボでした。いいお芝居でした。
幕間、客席があまりに狭いので、少し運動したほうがいいかなと思って外へ出ました。休憩中も花道の上は通れないので、平均台のような板の上を歩いて仮花道まで出て、そこから外へ出ます。外はかなり雨が降ってきていました。トイレは外なので雨が降ると困ります。建物は文化財なので、建物に続けてトイレをつくったりはできないのでしょうね。
何と、気がついたら一番後ろの二階席の下にはちょっと殺気立つぐらいにカメラの三脚が林立し、報道陣がひしめいていました。外ではお客さんをつかまえてインタビューしていたり。こういうのも初日ならではなのでしょうね。
「義経千本桜~川連法眼館の場」
前回の御園座では2回見ながら何だかあまり感動がなかった「四の切」でしたが、今回は全然違いました。劇場の持つ特性というのでしょうか、それが新・猿之助の芸風とぴったりとマッチした感じで、増幅エネルギーがすごかった!
とにかく、ちょっとしたことですぐ笑いが出たり拍手がわいたりで客席の反応がストレートなのです。もうこうなったら四代目の独壇場でしょう。舞台と客席が近いというのはこういうことなんですね。彼の一挙手一投足に客席が大きく反応して、一体となって盛り上がっていく楽しさはここでしか味わうことができないものでした。演じるほうも役者冥利というか、それはそれはやりがいがあったのではないでしょうか。
先月の御園座には姿を見せていた川連法眼役の段四郎さんですが、今月は休演だそうで心配です。かわりを寿猿さんが務められました。寿猿さんと竹三郎さん、ぴったりのいいご夫婦です(笑)義経は愛之助さん。イケメンなので義経は合いそうに思ったけれど、貴種流離譚の主人公としてはその気品・哀愁が不足気味。まあ初日なので仕方ないでしょうか。静御前はもうおなじみの秀太郎さん。静役は昨年6月からの襲名披露で初めて演じたそうですが、見るたびに深まって、心に沁み入る、まさに名静御前になっていました。
今回駿河二郎が月乃助さんで亀井六郎は弘太郎さん。毎回少しずつ配役が変わっているんですね。一旦御簾が降りて腰元たちが現れて後半へのつなぎとなりますが、この腰元たちが今回は笑野さん、喜昇さん、猿紫さんなどのおなじみの「オモダカ’s」(勝手に言ってます)登場でうれしかったです。それも今回の演出は花道と仮花道の両方に別れて、手燭を持って「探索」に出てこられたので、会場からも拍手が。お客さんからすれば、とにかくすぐ近くまで顔を見せに来てくれたという感じ。腰元たちが盛大に拍手をもらうのは珍しいですよね。これも金丸座ならではのことでしょう。
再び御簾が上がって後半へと移りますが、ここはもう先ほど書いたように源九郎狐の独壇場。も~う、いつもの何倍もノリノリでいらっしゃいました そして、江戸時代からある仕掛で、この金丸座にも残っていた「かけすじ」という機構を使っての古風な宙乗りは本当に感動しました。下から見上げると、上に二人の黒子さんがいて操っているのがわかります。ワイヤーを操ったりコマを押して進めたりするのが全部人力。(復元の際、安全上縄からワイヤーにせざるを得ず、それを巻きとるのはモーターだそうですが、それが金丸座唯一電動の舞台装置ということでした)それも天井に渡した狭い板の上でやっているのですよ。移動するのは花道の上だけだし、それほどの高さもないのですが、こんなに興奮した宙乗りは今までなかったんじゃないかなと思うくらい、感動しました。そして、会場もわきにわきました。最後は花道揚幕から布の囲いが出てきてそこからたくさんの桜吹雪が吹き出す中、狐さんは満面の笑みで去っていきました。あ~楽しかった!
小屋を出ると雨が上がって空は明るくなっていました。外には夜の部を待つ人の長蛇の列。これはもう早く並ぶとかの話ではありません。幸い今度は2階席。ゆっくりと敷地内のお土産コーナーなどを見ながら時間を過ごして、列が短くなってから後ろに並んでまた入場しました。
夜の部
「京人形」
一昨年の10月に新橋演舞場で見た「京人形」が面白かったので、何とかしてもう一度見れないものかと思っていましたが、ここ金丸座で実現。小さな芝居小屋には向いている演目かもしれませんね。奴照平(月乃助)以外は多分同じキャスト。
日光東照宮などの彫刻で有名な左甚五郎のお話です。島原の太夫に一目ぼれした甚五郎ですが、まだ無名の職人の身では廓に上がって太夫に会うことなど夢のまた夢。とうとう甚五郎は太夫そっくりの人形をつくってしまいました。花道から登場する甚五郎は花を持っていますが、何とそれは自分で作った人形のため。家に帰ったら早速、大事にしまってある太夫の人形のふたを開けて酒を飲もうというところでした。
女房役は笑三郎さん。こんな変態(?)ダンナを怒りもせずに、自ら仲居役をひきうけて自宅を廓に見立てて太夫との酒宴をもりあげようとする、いい女房ですよねえ。そして、女房が引っ込むと、何が起きたのか、人形が動きだすというファンタジー。
笑也さんの美しい京人形がまた見られて幸せ演舞場のときは、ふたが開いたとたんに客席がざわざわっとなり、「ジワ」と呼ばれるような現象が起こったものでしたが、今回はそれはなかったものの相変わらずびっくりするほどきれいでした
コミカルな動きは先月の御園座でのおばあちゃんになった「るん」を思い出しちゃう。変だけどかわいいの(笑)
人形を相手に酒を飲むシチュエーションは、ローラン・プティ版の「コッペリア」でコッペリウスが人形をテーブルに座らせてシャンパンをあけて乾杯したり、人形と一緒に踊ったりするのとよく似ています。(あれは本物の人形だったけど)「京人形」はまさに「和製コッペリア」ですね。そうそう、人形振りというのは日舞でもバレエでも何となく共通点があるのを前回発見しました。
甚五郎の動きをまねて男っぽく踊ったり、太夫の魂が入ったときは急に女っぽくなったり、メリハリがあって楽しい踊りです。上手くても下手でもわからないお得な踊り(?)それにしても、まばたきをしない笑也さんはすごいです。前に見たピーターライト版の「コッペリア」では、人形のふりをしてる吉田都さんのスワニルダが全くまばたきをしないので驚いたことがありましたが、それに匹敵するすごさ。(まばたきって無意識にやっちゃうけれど、訓練でやらないようにできるのかしら?)まさに名匠のつくった「京人形」そのものでした。
後半、突然お家騒動ものに切りかわり、甚五郎の家に匿われていたお姫様(春猿)のピンチ。お姫様を助けに来た奴(月乃助)が誤って甚五郎の大事な右手を傷つけてしまい‥‥それでも左手で器用に大工道具を使いながらユーモラスに追手をやっつけるという場面。甚五郎は左利きだった、ということかも。猿若さんや猿琉さんなど「チームおもだか」(勝手に言ってます)の息の合った立ち廻りがテンポよく演じられます。人間カンナがけやのこぎりのまた裂きなど(初めてこれを見た友人はそりゃないぜと言ってましたが・笑)そんな笑いも随所にあって楽しかったです。しかし‥‥美しい春猿さんとカッコいい月乃助さんの出番はこれだけ?‥‥って、みんな思ったでしょうね。
口上
金丸座にもこのおなじみの祝い幕が登場しました。あれ?と思ったら、今まで見た襲名披露の幕は猿之助さんだけでなく中車さんと猿翁さんの名前もありましたよね。こちらは猿之助さんだけの一人ヴァージョンなんですね。
それほど広くない金丸座の舞台に座りきれないほどずらっと並んだ役者さんたち。今回は秀太郎さんが紹介役です。新顔は愛之助さんだけであとはおなじみの面々。
寿猿さんが「この金丸座がまだ琴平の町中にあったときに子役で出演したことがあります」と言ったら、さすがに客席のあちこちから「ほぉ~」という声が。そうですよね。50年前の先代猿之助の襲名披露のときにもいたという寿猿さん。まさに澤瀉屋の生き字引です。
「奥州安達ヶ原~袖萩祭文」
先代猿之助が地芝居に残る型を取材し取り入れたという作品。昨年BSで再放送された1980年の「猿之助奮闘」という番組にその時の様子が出ていました。地芝居の師匠がやって見せている型を見ながら、三代目は小型テープレコーダーを回しながら逐一その動きを言葉にして実況中継みたいにしてマイクに入れている‥‥そんなのを見ていたのでとても楽しみにしていたのですが、ここでついに眠気がきてしまいました 昼の部の窮屈な枡席と違い、二階の椅子席で楽になったこともあるのでしょうが‥‥二階はよく見えるけど臨場感という点ではやっぱり‥‥だったかもしれません。
眠くなったのはよくわからなかったということでもあります 難しいお話なんですよ。時は平安時代の前九年の役とか後三年の役とかの時代。頼朝から数えると5代前ぐらいの八幡太郎義家が奥州の豪族安倍氏を討伐した時代のお話です。源平時代と比べるともともと馴染みの薄い時代かもしれませんね。
場所は帝の弟宮である環宮の邸宅。雪は降っているけど奥州?ではないみたいです。平傔仗直方(猿弥)は環宮の養育係でしたが、宮が誘拐された責任をとって切腹しなければならない状況に陥っていました。それをどこで聞いたのか、娘の袖萩(猿之助)が一目会いたいと父の元を訪れます。
袖萩は親の反対を押し切って浪人と駆け落ちし、勘当されているという状況のようです。夫ともはぐれ目も見えなくなり、家々の門口で祭文を唱えてわずかな銭をもらって歩くような境遇に身を落としていますが、それでもせめて切腹する前に父親に会いたくて、幼い娘に手をひかれてやってくるのですよ。しかし、やっとの思いでやってきた袖萩を、傔仗は会おうとしないばかりか、冷たく追い返します。母(竹三郎)は娘の変わり果てた姿を見て悲しみ、中に入れるよう夫に頼みますが、聞き入れられません。
降りしきる雪の中、寒さに耐えながら三味線を弾き、祭文を歌い、今までの親不幸をわびる袖萩。それを甲斐甲斐しく世話する娘のお君。そう、この子役のお君ちゃんが大活躍なの。セリフもたくさんあるし、とにかく舞台の上でいろんなことをしなければならない。そのけなげさがばっちり観客を泣かせます。プログラムを見ると子役は二人交代で務めているようですが、何てかわいくて賢い子役ちゃんなんでしょう。癪をおこした母親に、自分の着ていたものを脱いで掛けてやるシーンなど涙・涙。
そして、何と客席の天井、網状に組まれた「ブドウ棚」から客席にまで雪が降ってきたと思ったら、あとからあとから観客の上に降り積もります。ああ、こんな時こそ二階席じゃなくて平場にいたかったわ(笑)‥‥古い芝居小屋でも、客席の上にまでブドウ棚があるのは珍しいということです。その珍しい金丸座の特性を生かした雪の演出は、まさに客席まで全部悲劇の舞台になったみたいで圧巻でした。
猿之助さんのコッテリ濃い芝居はここでも冴えわたり。。。しかし二階から見ると(平場より客観的に見える)やっぱり演技過剰に思えてしまう。けなげな子役、父も母も娘に、孫に会いたい、中に入れてやりたい、それなのに立場上できないその状況。寒さに震えながら雪は降る降る雪は降る、あとからあとからどっさりと‥‥こんなただでさえ「泣ける」芝居をさらに泣かせようとするやる気満々の猿之助さんでした。
で、いつの間にか眠気がきて‥‥知らないうちに場面はすっかり変わっていました(爆)その間のことを「筋書き」から拾うと‥‥袖萩のところに夫の弟である安倍宗任(愛之助)がやってきて父を討つようにと懐剣を渡す‥‥ほっといても父はこれから切腹するんじゃないの?という突っ込みは寝ていた私にはできませんね(爆)
そう、袖萩の夫というのは戦いに敗れ行方知れずになった安倍貞任だったのです。父を討たれた復讐と安倍家の再興のために環宮を誘拐したのはまさに彼の仕業。傔仗が切腹しなければならないのはそのためで、完全に敵味方に分かれてしまった親子。しかし、袖萩は夫のためとはいえ自分の親を殺すことなどできません。思いあまった袖萩はとうとうその懐剣で自害するのでした。(お君ちゃんかわいそう)
その、いつの間にかやってきた宗任ですが、なぜか館の奥から義家(門之助)が現れて手形を与えて逃がし‥‥そして父傔仗は梅の枝で切腹()そこへ傔仗の切腹を見届けにきたという桂中納言教氏(猿之助)が登場。貴族の格好をしているのですが、これが実は安倍貞任だったのです。義家に見破られて正体を現すところは派手な衣装のぶっ返りでまた会場が沸きました。後日の戦場で雌雄を決しようといって全員そろって華やかに「さらば、さら~ば」で見得を切って終わるラストはいかにも地芝居っぽくてかっこよかったです。最後は何が何だかわからなかったけれど、ま、いいか。二度三度見ればわかるようになるかも‥‥でした(爆)
外へ出たら雨はやんでいました。タクシーを拾う人、ぞろぞろと駅や旅館へ向かって歩く人。まだ6時過ぎというのに、もうお店は閉まっているところばかりで、私も早くどこかで夕ご飯を食べなきゃ食いっぱぐれてしまいます。それくらい琴平の夜は早いのでした。
そう、ここでは絶対食事付きの温泉旅館に泊まるべきでした。それが私はいつも通り(大阪や名古屋に行った時みたいに)安いビジネスホテルにしてしまったのです。町の中ならどこでも外食できるだろうと思いきや、ここではそうはいかないみたい。幸いうどん屋さんが一軒開いていておいしい讃岐うどんにありつくことができましたが、今度来るときは高くても温泉旅館にしようと思いました。 澤瀉屋の皆さん、また近い将来ぜひぜひこんぴら歌舞伎やってくださいね!!初日見た後にもう「次」のことなんて気が早すぎですが、金丸座はいいな~。またここで澤瀉屋の芝居が見られるのを楽しみにしています。昼夜通しはちょっと疲れたけど、遠征した甲斐あって本当に楽しい芝居見物でした。
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