写真

2011年12月19日 (月)

平林寺の紅葉 その2

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遅ればせながら、前回の写真から1週間後、今月初めにまた同じ平林寺に行った時の写真です。1週間で紅葉は進み、前の週にきれいだったところは既に落葉してすっかり晩秋の風景になっていましたが、ことしはやはり紅葉が遅く、12月に入ってもまだまだ場所によっては紅葉が楽しめました。

Rimg0022平林寺に紅葉を見に行ったことを話したら、実家の両親がぜひ行ってみたいというので、そのすぐ1週間後に、今度は車で行ってみました。午後の3時過ぎに着いたので、もう既に夕陽。前回は午前中でしたが、夕暮れ時もまた美しかったです。

偶然ですが、混んだ道路ばかりに向かわせようとするカーナビの案内に業を煮やして無視してめちゃくちゃ走っていたら、ちょうど野火止用水が脇を流れる道に出て、遠回りになったけれど、そこをずっと通って平林寺まで行くことができました。今はかなり長い区間がきれいに整備されているのですね。途中暗渠になってしまっているところもありましたが、ちゃんと水が流れていました。偶然その道を通ることができたのも何かの縁だったかもしれません。

前の週のように寒くはなかったし、人出もそれほどでもなかったので、今度は少しゆっくりと案内板の説明を読んだりすることもできました。

Rimg0042前回は見落としてしまったけれど、こちらが境内にある野火止用水のあとでした。いや~私が小学生の時見てがっかりしたのはこれだったのかな?そうすると、何十年もこのままで変わっていないということになりますね。思えば感無量です。
これは境内に引いている部分で、来るとき通ってきた道の脇に流れていた用水の続きは寺域の西側に沿って続いていました。

松平信綱公の墓所にあった説明文が面白かったので、少しかいつまんでご紹介しておきます。信綱公は旗本大河内氏の出身で、6歳の時に叔父の松平家の養子となりました。9歳の時、後に徳川家光となる竹千代君が誕生し、その小姓として三人扶持をもらったのが最初だそうです。その後20代で小姓組番頭となり800石、30代で1万石と、とんとん拍子に出世します。そして家光が将軍になるとその信頼を一身に受け、老中になって幕政に参画。40代で島原の乱を平定し、6万石の川越城主に。旗本からあれよあれよという間に大名にまで出世したすごい人だったんですねえ。Rimg0037

そして、玉川上水を開いたのは有名な玉川兄弟ですが、このとき玉川兄弟の計画は2度も失敗し困難を極めていました。そこで、総奉行だった信綱は、家臣で「算術の達人」といわれた安松金右衛門に命じ、設計の見直しをさせて、玉川上水を完成させたということです。翌年、その功績で玉川上水からの分水を許された信綱は、安松金右衛門と小畠助左衛門に命じ、水の乏しいこの地まで野火止用水を引いて新田開発を行い、野火止200石を2000石にしたという、本当にすごいやり手の殿様だったのですね。
その安松金右衛門と小畠助左衛門の墓も境内にありました。

落ち葉の匂いを含んだ晩秋の夕暮れの空気の冷たさもいいものですね。ことしは思いがけず同じところで2回も紅葉を見てしまいました。

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2011年11月30日 (水)

平林寺の紅葉

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友人に誘われて埼玉県新座市の平林寺(へいりんじ)に行ってきました。臨済宗妙心寺派の別格本山で、田舎にしてはとても格式の高いお寺です。私はもともと埼玉県人なので、平林寺と野火止用水のことは小学校の社会科で習ったことがあります。平林寺と埼玉(さきたま)古墳群、吉見の百穴(ひゃっけつ)は、埼玉県の小学生なら誰でも知ってる歴史的遺産ですね。遠足にも行ったんですよ。Rimg1966

そう、遠足で確かに行ったはずだけれど、そのときのことはほとんど覚えてないのです。ただ、境内の隅を流れる野火止用水を見たとき、水がほとんど流れてない溝のようなものだったのでがっかりしたことだけ覚えています。Rimg1967

紅葉の名所というのは知りませんでしたが、門前に着いてすぐ、人の多さにびっくり。でも、例年なら休日はもっとたくさんの人で身動きもできないほどだそうで、ことしはこれでも少ないのだそうです。紅葉のほうもことしは色の鮮やかさでは全然例年に及ばないとのことでした。全国的に紅葉が遅れているようですが、まだ緑の葉も多いし、気候のせいか紅葉する前に枯れかけてしまったような葉も見られました。

入り口で拝観料を払うのですが、建物の中は拝観できなくて、野火止用水を引いているという本堂裏の庭園も見ることはできません。ただ、天然記念物に指定されている境内の広大な雑木林を散策するだけなのですが、そこにカエデなどの紅葉する樹木が多く、紅葉の名所になっています。Rimg1984Rimg1996

総門を初め、山門、仏殿など、主な堂宇が何と茅葺きなんですよ。武蔵野の面影を残す雑木林とあいまって、いかにも古い関東の寺という雰囲気を作り出しています。

平林寺は南北朝時代に岩槻城主である太田氏によって創建されましたが、秀吉の関東遠征(小田原の役)に伴う岩槻城の戦いにより、建物の大半を焼失。その後、江戸時代になって、玉川上水を開いた老中松平信綱の遺言によってこの地に移され、以来禅宗の道場、松平家の菩提寺となっているそうです。

松平信綱は島原の乱の鎮圧の功績で川越藩主となり、城下町や街道、河川を整備する一方、玉川上水の分水を許されて自領に野火止用水を引き、武蔵野台地を潤したことから「知恵伊豆」(伊豆守)といわれて親しまれています‥‥と、そんなことを昔習ったことがあったな~と懐かしく思い出しました。遠足のことはちっとも覚えてないのにねえ。Rimg2007

境内はとても広いので、裏手の雑木林まで行くとさすがに人影もまばらになります。ただ、ここの紅葉はまだまだ。友人の話だと、まるで燃えるように紅葉するんだそうですよ。Rimg2024


入口に近いところはさすがに人がとぎれず、写真を撮るのも一苦労でした。こちらが写真を撮っていると、誰かがカメラを向けて早くどかないかなあ~と待っているといった具合で、人が写らないようにするのは朝一番でも無理かも(笑Rimg2028

松平家の墓所も、古い石の灯篭がたくさん並んでいて風情がありましたが、人が多くてうまく写真が撮れませんでした

この日、天気はまずまずだったのですが、とにかく寒くて、もう少し見ていたい気もしたのですが、早々とバスに乗って帰途についてしまいました。この寒さで今週あたり、一段と紅葉が進んでいるでしょうか。茅葺の屋根と紅葉が素敵な場所でした。

追記:野火止用水は玉川上水から水を引いていましたが、戦後周辺の開発に伴い、生活排水で水質が悪化し、農業用水としての用途もなくなり、ついには玉川上水からの水もこなくなってしまったとか。私が小学校の遠足のときに見た水のない野火止用水はそういうことだったんだなと。

その後、歴史的遺産の保全のため、下水の高度処理水を流すことで水流が復活したとか。ちなみに、玉川上水の水ですが、現在はその水のほとんどが村山貯水池に行っているんですよね。何か、いろいろ調べてみると面白いことがわかりそうです。

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2010年4月 5日 (月)

春ですね。

早くも4月になってしまいました。何か、今年になってから今までがあっという間という感じがしています。Simgp8498_2

1月~2月、息子は入試で大変だったようだけれど、私はあきれるくらいバレエ三昧でした それが3月に入ると、卒業式があり、合格発表があり、そしてお金の振り込みだの、入学手続きだの、さまざまな準備、買い物などがあってにわかに忙しくなりました。おまけに仕事も年度末。それなのにニーナはくるわ、パリオペもくるわで、このブログも公演の感想を書くだけで手いっぱいになってしまいました。Simgp8494

もう桜が咲いているのにいまさら梅の写真もなあ~と思ったけれど、先月の忙しい中、せっかく撮ったのでアップしてみました。来週になると今度は桜の写真を撮って歩くと思うから。

これは3月中旬に出かけた福生市の「神明社」です。境内に入ると紅梅の花びらが散って、一面ほんのりとピンク色。すっきりとした梅の香りも漂っていて、散りかけというのもなかなかいいなと思いました。Simgp8516

福生のあたりは私のフィールドだと思っていたのに、灯台もと暗しというか、ここが梅の名所だなんて知りませんでした。都内の友人に教えてもらって、この時期に初めて行ってみたのですが、狭い境内にもかかわらず梅の木がたくさんあったんですね。

もう時期が過ぎていたせいか、ほとんど人がいませんでした。この静けさもまたよかったです。Simgp8506

上の写真が新奥多摩街道側。こんなにのどかな感じですが、駅から10分ほどの街中にあるんですよ。そしてこちらの写真はその反対側です。この鳥居の向こう側は石段になっていて、多摩川の河岸段丘の上にあるという地形です。

この下には、秋にこのブログでも紹介した玉川上水や田村酒造などがあります。Simgp8507

このときはあまり時間がなくて、他には足をのばしませんでしたが、ちょうど3月半ばの暖かい時期でした。このあと、3月下旬になって急に寒くなってしまったんですよね。せっかく教えてもらったのでちょっと行ってみたのですが、忙しい中でも見に行ってよかったです。来年はぜひもっと早い時期に行って、満開の梅を見たいと思います。Simgp8513

ここは白い梅よりも紅梅が多いんですね。それも大きな木が。梅の木でこんなに大きな木はあまりないような気がします。西多摩では青梅の吉野梅郷が有名ですが、あそこは本当にすごい人出ですよね。

それに比べるととてもこじんまりしていますが、のどかな雰囲気を味わうにはよいところだと思います。Simgp8475

ついでに、先月撮った写真から。

こちらは上野公園内にある東照宮の参道です。パリ・オペラ座の公演に行った時に、まだ時間が早かったのでちょっと散歩した時のものです。

東照宮は、ちょうど連休ごろに牡丹園をよく見に行きました。上野公園から一歩境内に入ると、何か別世界のようで好きなところです。上野公園は、今頃は桜ですごい人出でしょうね。Simgp8480

こちらは上野動物園の横にある小さな遊園地。子供が小さい頃は、よく上野に遊びに来ました。科学博物館や動物園に行ったあとには、必ずここで遊んで帰りました。入園料なしで回数券を買って乗り物に乗るのですが、これがまた大きなテーマパークの乗り物と違って、幼児でも乗れるものばかりだし、ちょうど回数券のなくなるころに一通り乗り終わるので、適度な満足感もありました。もう子供も大きくなってしまったので、こんな風景も妙にノスタルジックに見えてしまします‥。Simgp8478

ノスタルジックといえばこれ!遊園地の向かい側にある売店ですが、これはもう子供が小さい時どころじゃなくて、自分が小さい時までさかのぼってしまうぐらいの懐かしさ。東京のど真ん中にまだこんなところがあるんですね。

この右側、上野動物園の前にもこんな店があって、懐かしいパンダの人形焼き「パンダ焼き」を売ってました。パンダが上野に来たのは1972年。もうかれこれ40年近くたつなんて。当時子供だった者としては、懐かしいというか何というか‥‥の上野です。今はもっぱら用事があるのは東京文化会館ばかりですけど、たまには散歩もよいなあ~と思いました。

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2009年10月20日 (火)

巾着田のコスモス

S2009_1011_143923imgp8038 昨年、彼岸花を見そびれて、時期がはずれてから行ったらコスモスがきれいだったということがありました。今年はしっかり彼岸花も見ましたが、今回は実家に行ったついでに、父母、妹と一緒に、天気がいいのでちょっと行って散歩をしてきました。実は、これは先週のことですので、今ではもうコスモスは終わってしまったでしょうね。S2009_1011_143506imgp8030

ことしは近所の昭和記念公園には行っていません。なかなか見に行く時間がなくて。昭和記念公園のほうはいろんな種類を、時期も変えて植えているので、まだまだ見れると思いますが。

こちらは1種類だけなので、多分もう終わりです。今年は丈の低いタイプが一面に植えてありました。山に囲まれた静かな田舎の秋の風景です。S2009_1011_144358imgp8043

一週間前ですが、もう稲刈りも半分以上済んでいました。正面に見える山は日和田山です。本当に雲ひとつないいい天気でした。

田舎の空気は乾いた稲のにおいと土のにおい。それから用水路を流れる水の音。のどかですね~S2009_1011_144904imgp8055

親子連れで来て、1日遊んでいくのものんびりできていいですね。本当に何もないのだけれど、何もないところでゆったり過ごすのは最高のぜいたくのような気がします。

彼岸花の時期はもっと人も車もいっぱいで、特産品や食べ物を売るテントも出ていてにぎやかでしたが、今はもう何もありません。ただただ田舎の風景があるだけです。

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彼岸花が咲いて真っ赤なじゅうたんのようだった林の中もこのとおり。何もありません。もう少し深まってひんやりした秋の空気があるだけです。

彼岸花は花が終わったあと、「龍のひげ」みたいな葉っぱが出てくるんですね。その葉っぱはいつごろまであるんでしょうか?冬場や春先に行ったことがないのでわかりませんが、彼岸花は確か葉っぱも何もないところから突然柄が伸びて、真っ赤な花を咲かせるんですよね。それが不気味で、あまり好きではなかったけれど、なぜかここのところ毎年見に行くようになって、少し親しみがわいてきました。また来年。

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2008年12月19日 (金)

すっかり冬ですが

バレエ公演通いをしているうちに、まわりの風景はすっかり冬になっていました。S2008_1130_142318imgp6622_2 

これはシュツットガルト・バレエの「オネーギン」を見に行ったとき、少し早く家を出て、11月末までの国立博物館の日本庭園の一般公開に行った時の写真です。この銀杏の木は日本庭園ではなくて、入って左側の法隆寺宝物館に行く途中にあった木ですが。S2008_1130_142404imgp6625

すっかり季節はずれになってしまいましたが、バレエ鑑賞が一段落したので、そのときの写真をいくつかアップしてみようと思います。

金色のちいさき鳥の形して
銀杏散るなり夕陽の丘に

なんて短歌がありましたが、銀杏には夕陽が似合いますね~。S2008_1130_140856imgp6609

といっても、3時からの公演の前に行ったのに、もう日が傾いて夕方みたいな感じだったのです。秋の夕暮れは早いんですね。

本館裏の庭園は、バルコニーから眺めるとなかなかきれいだったのですが、歩いてみるとそんなにつくり込まれたような庭園ではなくて、ごく自然な感じの公園っぽいお庭でした。S2008_1130_141227imgp6615

園内には何ヵ所かお茶室の建物があったのですが、この日は貸し切りのお茶会があって、見学はできませんでした。

外国の方も来られていましたが、和服姿の年配の女性たちが大勢集まって、園内の古くてみすぼらしい(由緒正しい文化財なのでしょうが)掘っ建て小屋のような?お茶室に入っていく姿を、物珍しそうに写真に撮っていました。S2008_1130_144314imgp6636

こちらは法隆寺宝物館です。実は私、ここは好きな場所の一つなんです。本館に入ってしまうと、もう時間もないのでこちらを見ることにしました。

このガラスに緑のドーム屋根が映っている「表慶館」(ここも明治チックで好きだったけど)、昔そこにあったものが、今は平成になってつくられたこの近代的な建物に展示されています。

明治時代に奈良の法隆寺から皇室に献上された宝物を展示している場所です。

特に、四十八体仏と呼ばれる小さい仏像が大好きで、学生時代から上野に行く機会があるたびに見ていました。朝鮮半島から渡来した仏像を飛鳥時代の日本の仏師が真似て作ったものが大半ですが、純粋な渡来仏よりもどこかおおらかな飛鳥の、古代日本人の気風が満ち満ちているようで、バランスなどは不細工なのですが見ているとほっとして、かわいらしささえ感じてしまいます。

庭園でまぶしい午後の日差しを受けた眼で中に入ると‥‥真っ暗。目が慣れるまで暗くてよく見えませんでした。1階の入ってすぐの部屋に、ずらっと一つ一つガラスケースに入れられて並んでいるミニチュア仏たちを一体一体眺めて、静かな気持ちになって東京文化会館に向かいました。

私ったら、11月の末から12月初め(シュツットガルト、ボリショイ、東バ)で、合計7回上野に通ったんですね。何か自分でもすごいことになっているような家族には有無を言わせず(もう子供も大きいし)友人にはあきれられていますが、世の中にはもっと凄いバレエファンがいるのよ。。

でも、東京文化会館はいいなあ。見やすいし、駅から近いし。ことしはあと新国立劇場に1回行ってバレエ鑑賞は終わりです。年開けて1月にはレニングラード国立バレエが来るけれど、今度は私の嫌いな国際フォーラムとオーチャードホールが続きます‥‥‥。

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2008年10月12日 (日)

10月の巾着田

S2008_1010_140402imgp6391_2 9月の彼岸花の時期に毎年「巾着田」に行っています。私の実家に近いので、知人一行をご案内するのが毎年恒例になってしまったものです。ことしは行く予定にしていた日に雨が降って中止になり、一昨日行ってきました。S2008_1010_133312imgp6381

埼玉県日高市の「巾着田」 は彼岸花の群生で有名な場所です。川が蛇行している真ん中の、ちょうど巾着のような形になっているところが一面の田んぼだったので、昔から「巾着田」といわれていましたが、私が子供の頃にはもうすでにほとんど田んぼはなくなって、グラウンドや資材置き場などになっていました。

小学校の遠足などで行かされましたが、「巾着田」といってもどこがどう巾着なのかわからず、全然面白くありませんでした。この正面の日和田山の上から見ると、見事に巾着の形になっているのがわかるんですけどね。当の巾着田からでは全くわかりません。S2008_1010_134741imgp6387

そこが今では、一部にまた田んぼも復活させて、のどかな観光地のようになっています。有名な彼岸花は、昔は川沿いの土手やあぜ道などに咲いていただけだと思いますが、10年ぐらい前からこんな雑木林の下に群生したのが有名になり、今ではかなり広い範囲に彼岸花エリアが広がりました。(写真は見事に花が終わっている彼岸花)

毎年9月半ばから9月末まで、かなりの人出でにぎわいます。昨年も、一昨年も行って、このブログにも写真を載せましたが、正直、毎年行くほどのものではないなと思っていました。でも、恒例の行事で他にお楽しみもあるので、花の終わった後でもいいからと行ってみたのです。S2008_1010_133815imgp6385

巾着の縁取りは彼岸花の群生する林になっていますが、真ん中は昔のように一部田んぼが復元されています。実った稲の穂を見るとやっぱり秋だな~と思いますね。この稲の香りが何だか懐かしいです。昔はきっと全面こんな風景だったんでしょうね。

今は付近の小学生の恰好の観察の場所になっているらしく、小学生の団体が来ていて、スケッチブックを持ってあぜ道や用水路で見つけたいろんなものを描いていました。勉強の一環で田植えや稲刈りもするのでしょうか。S2008_1010_121124imgp6371

お楽しみというのはこれです。日高市に行く手前の飯能市にあるお寿司屋さん。海のない埼玉県なのになぜかとてもおいしくて、値段も「特上」なのにお手頃。これが楽しみで彼岸花もないのに出かけてしまいました

でも、コスモスはありましたね。最初の写真のように、昭和記念公園のような丈の低いコスモスではなく、背の高い普通のコスモス。それも苗を植えたんじゃなくて直播きみたいで、雑草もかなり混じっていましたが、これがやっぱり 本来のコスモスの風情ですよね~。こちらは彼岸花に合わせて早播きにしているのか、早咲きの種類なのか、もうかなり広い範囲で花が終わってしまって、すでに刈り取られていました。彼岸花を見に来たときはコスモスなんてそんなに見てなかったけれど、改めてこんなに広い場所が全部コスモスだったなんて!とびっくりしました。今ではもうその3分の1ぐらいしか残っていませんが、それでもこれだけ広い場所にコスモス、まだいっぱい咲いていました。S2008_1010_132850imgp6376_2

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2008年8月16日 (土)

雨宿り

08_056 世間はお盆休みですが、夏バテもあってどこにも出かけていません。一昨日、車で40分の実家に行っただけ。

発表会が終わった娘は、塾も休みになったので、一足先に実家に行って泊まっていました。行ってみると私の妹の子どもも、弟の子どもも勢揃いしていたので、じゃあ近くの河原にでも遊びに行こうか、といってお昼を食べていたら、何だか雲行きが怪しくなってきました。08_049

すると父が雨が来る前にお寺に行って、卒塔婆を立ててこなくちゃというので、それなら車で、と急いで行きました。歩いてもたいした距離ではないのですが、ホントに一雨来そうな気配だったので。

そうしたら、案の定というか、思っていたよりもずっと早く雨が降り始めてしまいました。本堂で卒塔婆をいただいて、これから墓地に行こうというときに急な大雨!そして雷も鳴り始めました。08_052

結局、雷が遠ざかるまで30分以上、雨宿りをすることになりました。こんな経験は久しぶりです。

女の子たちの遊びにうんざりしたうちの息子は、もう一人の男の子(といっても小学生)の従兄弟と一緒についてきましたが、「こんなことなら来るんじゃなかった!」と文句タラタラ。何しろ電車に乗るときもイヤホンを耳に突っ込んでいるし、暇さえあればマンガ、ゲームですから、こんなに何もしない退屈な時間をどう過ごしていいかわからないのでしょうね。08_055

でも昔‥‥といったってせいぜい私が子どものときぐらいでも、こんな何もしないでボケッと雨の降るのを眺めているというような、そういうことは沢山あったと思います。そこで、いろいろなことを考えるのが、無駄などころかとても貴重な時間でした。そういうことがほとんどない今の子どもはかわいそう。

ここは埼玉県ですが、こうやって一部分だけ写すとまるで京都かどこかのお寺のようでもあります。それでも、田舎のように思えるけど、京都の東山などはもっと近くに山が迫っているんですよね。

お寺で土砂降りの雨にあった経験は、もう4~5年も前になりますが、山口の瑠璃光寺に行ったときがそうでした。既に雨が降っていたけれど、有名な五重塔だけでも見ようと無理して行ったのですが、もう身動きもままならずやはり東屋のようなところでじっとしているしかありませんでした。おかげで室町時代の五重塔を遠目ながら長時間鑑賞することができました。こんなことはめったにないのでいろいろなことを思い出します。08_053

雷が一段落すると、まだ雨は降っているのに我慢できず歩き始めました。この後すぐに雨も上がり、また夏空が帰ってきましたが、もう川遊びはできませんよね。

ことしも各地で河川の増水による水の事故が多く起こってしまいました。上流にダムができたり、コンクリートで護岸を施した都市型の河川が増えたりで、川も危ない場所になったのです。公園の水場で遊ぶ感覚では川遊びは危険。でも危険とばかり言っていて、子どもたちが自然に触れる機会がさらに少なくなっているのがとても残念です。08_060

ゲームやアニメにお守りをさせて、危険だからと自然の山や川で遊ばなくなった子どもたちは、明らかに違う人種になりつつあります。現代の、忙しい時代の子育てでは仕方ないのかもしれませんが、とても危機感を覚えます。また、自分の生活も自然から隔離されて、冷房漬けで夏バテなんて言って、日々疲れているのが気になります。

雨上がり、心なしがすがすがしいお顔の石の仏様。川遊びはできなかったけれど、思いがけず自然に目をやる機会を得ることができてよかったです。

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2006年11月18日 (土)

秋祭り

Photo_26 またまたちょっと古いけど、何年ぶりかで「飯能まつり」に行って、写真を撮ったので載せることにします。

ことしは11月5日でした。毎年この祭が終わると秋も深まって急に寒くなるのですが、ことしは2、3日前まで、結構暖かかったですよね。ここ数年、実家に帰っても、寒かったり天気が悪かったりで、お祭は見ていなかったのですが(子供が射的をしたり、くじを引いたりして遊ぶ程度)ことしは、子供たちと一緒に「引き合わせ」を見に行きました。Photo_27  

町内ごとに山車があって、全部で10台だったかな。お囃子にあわせて、狐、獅子、ひょっとこなどが踊ります。中でもこの「外道」は、独特な雰囲気があって面白いです。外道とは、人の道を外れたものという意味で、鬼のような存在ですが、どこか憎めなくて、人気があります。各町内で、それぞれの面や衣装、踊りがあり、いろいろ見比べたいのですが、とにかく狭い通りに人が多くて、目の前のを見るのがやっとという感じでした。Photo_28

山車の上に、こんな人形が乗っているのがあります。私は川越の祭は見たことがないのですが、川越にはこんなのがたくさんあるようですね。(川越には山車が29台もある。さすが城下町!)飯能ではこのスサノオの尊と、もう一つ、神武天皇の人形が乗ってるものがあります。これは、通りを練り歩くときは電線に引っかからないように、低くなっていて、引き合わせになると、上へせり上がってきます。Photo_29 

こちらが神武天皇。なんだかどこかの教団の教祖みたい?なんて言ったらバチが当たるかな。

今回デジカメで写真を撮っていて感じたのは、夜はだめ!ということ。シャッターがうまく押せないというか、ストロボが思ったように光らないとか、連写が出来ないとかで、動きのあるものは全然撮れませんでした。バレエの発表会を撮ったときもそうだったけど、やっぱり一眼レフでなきゃだめかな~。Photo_30

私の子供のときは、女の子はお稚児さんか(金棒引きというやつ)、昼間の山車(「底抜け」といって、床がない簡単なもの)を引っ張るぐらいしか出来ませんでしたが、今はさすがに時代が違うのですね。この町の山車は女性が大太鼓、小太鼓をたたいていました。大体どこの町内でも、女の子の親衛隊?がついていて、とにかく女性がすごく元気で楽しそうでした。

埼玉県では、10月の「川越まつり」と、このあとの12月3日の「秩父夜祭り」が有名です。こちらもとても面白いけど、何しろ寒いし、人が多いので、もう10年以上行っていません。「飯能まつり」はこの二つの有名な祭りの間で、手軽にちょこっと祭りの雰囲気を味わうことができる規模なのかもしれません。適度に歴史もあるし、華麗な山車やお囃子を楽しめます。(私はこっちに来てからびっくりしたんですが、立川なんか、トラックの荷台の上でお囃子をやってるんですよ。何か悲しいかも~)秋祭りを何年ぶりかで見に行ったので、ご紹介しました。

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2006年7月22日 (土)

「カメラ」を買いました。

4年ぶりにカメラを買いました。カメラといえばもちろんデジタルですよね。でも「デジカメ」って言葉は何か変で、使いたくないんだけど‥‥‥。「デパ地下」とか「ファミレス」なんておかしな言葉も市民権を得てきているので、もう仕方ないか。06072210imgp0039

最初に撮るのはやっぱりルル姫でしょう。アップもちゃんとピントが合っています。今までのものは接写がうまくできなかったし、何しろ大きくて重いので、気軽に持ち歩くという感じではありませんでした。最近のはみんな小さくて軽い!それで画素数も200万画素から600万画素になったけど、ここに載せるには一番小さいサイズでないとだめなので、画質は大して変わらないと思います。06072210imgp0040_1

もう大分前になるけど、子供と一緒に昭和記念公園にコスモスを見に行ったとき、「すみませ~ん、シャッター押してください」と言われて、シャッターを押してあげた人たちのカメラがみんなデジカメだったので、え~っもうそんな時代なんだ、と思ったものです。それからしばらくしてデジカメを買ったけど、何か重くて(同じ大きさならフィルムのカメラの方がずっと軽いよね)あまり使っていませんでした。06072210imgp0042

本格的に使い出したのは、去年ぐらいからで、フィルムのカメラでは慎重に撮っていたのに、デジカメではとにかくいっぱい撮って、あとでいらないのを捨てればいいんだということで、すごく気軽に写すようになったことが始まりです。その気軽さを生かすには、やっぱり小さくて軽いほうがいいよね。ただ、カード型のようにあまり小さすぎても使いにくいので、ほどほどにしましたけど。

写真は、小学生のとき、父からいらなくなった「蛇腹式のカメラ」と「露光計(?)」をもらってからです。白黒で、フィルムの大きさも違うやつで、明るさを測って露出(シャッタースピードと絞り)を決める、とても小学生には扱えないような代物でした。それで最初にとった作品?が、庭の石灯籠の上に乗っている当時飼っていた猫。見事にピンボケでした。

でも、それが子供なりにかなり使えるようになって、次に(中学生ごろか)一眼レフをもらいました。(その「蛇腹式」はかなりあとになって「超レア」となっていたらしく、カメラの収集をしている人にあげたらすごく喜ばれました)それは、ファインダーをのぞくと、露光計の針が動いていて、絞りの数字を指しているようなものでした。(シャッタースピードはあらかじめ決める)すごーい!と思ったものです。

高校になって、運動部を1年半で挫折したあと、誘われて入ったのが写真部。撮影旅行に行ったり、自分で現像をしたり、大きく引き伸ばしてパネルを作ったり、すごく楽しかったです。その頃はもうシャッターも絞りも焦点も自動の一眼レフが当たり前になっていたので、初めて新しいカメラを買うことになりました。広角レンズや望遠レンズも揃え、どこかに行くときには大きなカメラバッグを背負って、三脚なんかも持って出かけました。今考えるとおかしいですね。どういう高校生だったんでしょう。

ずっとカメラのことを忘れていましたが、子供が幼稚園のとき、卒業アルバムを作る委員になったり、(大部分写真屋さんが撮ったものを使うのですが、日常の様子などは幼稚園に撮りに行きました)小学校の広報委員になったときなどは、その経験が役立ちました。子供のバレエの発表会も、本番はだめだけどリハーサルは撮れるので、舞台写真の経験はなかったけど、結構うまく撮れたと思います。

でも、さすがにもうデジタルの時代ですよね。このブログを始めて、ちょっとまた写真に目覚めました。これから、軽くなったデジカメでまたいろいろな写真を撮りたいと思います。

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2006年4月28日 (金)

野川公園

_009_1 昨日、仕事が一段落したので運転免許の書き換えに行って来ました。いつもはのんびりしているのですが、今回は初めて誕生日よりかなり前に行くことになりました。行ける時に行っておかないと、という感じになってきたので。

いつも気になっていた府中の試験場の隣にある大きな公園。早めに書き換えが済んだのでちょっと歩いてみることにしました。_001_1

以前は立川警察でよかったのに、6~7年前から優良ドライバー以外は府中に行かなければならなくなりました。私は駐車違反とか、一時停止とかで何年かに1回ぐらい必ずつかまっているので、優良ドライバーになったことがありません。大体優良ドライバーなんて、ペーパードライバー以外にいるのだろうかと思うくらい、私のようなまじめな?運転者までこまめに取り締まってくれるものです。_003_2

試験場の隣の公園は「武蔵野公園」という公園でした。真ん中を野川という川が流れていて、そのまま川に沿って歩くと「野川公園」に自然に入っていきます。

野川という川は、国木田独歩の「武蔵野」だったか、大岡昇平の「武蔵野夫人」だったかに出てきたような‥‥‥。定かではないけど、武蔵野を代表する川のように思っていました。_010_1

夏には子供たちが水遊びをするような川だとも聞いていましたが、何か水が少なくて、イメージとは大分違うものでした。写真の左側のがけの上が国際基督教大学のキャンパスになっていて、この段差が多摩川の河岸段丘のひとつ、国分寺崖線といわれるものです。崖の上に降った雨が土にしみ込んで、崖の下のあちこちから湧き水となって現れる、その水を集めたのがこの野川ということですが、崖の上も宅地化が進んで湧き水が少なくなり、川の水も少なくなっているのでしょう。_011_1

新緑がとてもきれいです。すぐそばに東八道路という大きな道路があるのですが、車の騒音も少し感じる程度。鳥の声が聞こえます。_013_2

ここは自然観察園という囲われたスペースで、人はほとんどいませんでした。小さな草花か何種類か花をつけていて、カメラマンの人が写真をとっているくらい。森林浴にはとてもいい場所でした。それにしても広い。ここまででも結構歩きました。_018

ところが、何と地図上に「近藤勇生家跡」というのを発見してしまいました。大昔、高校時代に一度行ったことがありましたが、それって、この近くだったんですね。ちょっと意外でした。それで、またさらに歩くことになりました。_025

_026 全部で1時間くらい歩いたでしょうか。昔行った近藤勇の生家跡は、覚えていないくらい変わっていました。道路ができたのか、それとも?こんなに大きな公園の門の前にあったなんて、全然知りませんでした。

また少し歩くと龍源寺という、近藤勇の墓がある寺があります。ここはこんなに明るかったかな?門前の木を切ったのでしょうか。でも、寺の裏手にあるお墓は変わっていませんでした。思いがけず懐かしい人に出会った気がしました。

すぐそこまでのつもりがずいぶん歩いてしまって、きょうはすごい筋肉痛。でも、ちょっとした旅のようで楽しかったです。免許の書き換えに行ったら、ついでに歩いてみませんか。おすすめします♡

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